民衆の敵
かつてのハリウッドの大スターであるスティーヴ・マックィーンが、ただのアクション・スターではなかった事を証明する映画が、あのイプセンの戯曲の映画化である「民衆の敵」だと思います。 このイプセンの戯曲のテーマは、政治にはごまかしや変節がつきもので、民衆は耳に痛い事実より、快く響く嘘を好むという、人類不変の真理であり、その風潮に逆らう者は、変人、奇人、あるいは民衆の敵との烙印を押されるという事実です。 この硬派の社会劇を、スティーヴ・マックィーンは、自分の主宰するソーラ・プロで映画化したんですね。 スターとなって以後の彼は、当時、精力的に新作に出演していたが、「タワーリング・インフェルノ」以後、パタリと出演作が途絶えましたね。 そして、5年ぶりに公開された「トム・ホーン」では、痛々しく痩せていました。 実は、この間に、この映画「民衆の敵」の製作・主演、そして公開と、癌との闘病に全力を尽くしていたんですね。 この「民衆の敵」での彼は、痛々しいほど、熱演していると思います。 髭もじゃの扮装は、予備知識なしに観たら、とうてい彼とは分かりにくいし、静の演技に終始しながら、気迫のこもる様も実に見事です。 妻役にスウェーデンの実力派ビビ・アンデルソンを迎えている事でも、この映画への並々ならぬ打ち込みようが分かります。 だが、当初、この映画はすぐには公開されませんでした。 製作後7年の日本での公開が、世界で初めてでした。 その理由とし考えられるのは、まず、余りにも演劇的で映画的な魅力に欠けるからという事だろうと思います。 第二に考えられるのは、アクション・スターのイメージが強いスティーヴ・マックィーンの室内劇など、商売にならないという配給・興行側の判断でしょう。 彼は確かに絶大な興行価値を持ったスターだったが、それも「荒野の七人」や「大脱走」のような、身の軽いアクションをポーカーフェイスでこなしたからで、観客はそんなスティーヴ・マックィーンしか求めていないとの判断であろう。 俳優が、ある役柄で目立つ演技をすると、同じキャラクターしか回ってこなくなるのは、常識といってよく、心ある役者は、そんなマンネリ打破に四苦八苦するものです。 そんな作られたイメージ、大多数が信じている虚像を壊すべきだというのが、この「民衆の敵」のテーマである事を思うと、スティーヴ・マックィーンは、この作品に、自分自身の虚像打破を賭けていたのではないかと思われます。 そして、その実像が人々の目から、隠されたまま終わるという、この作品のストーリー通りの結末になったのは、実に痛ましい限りという他はありません。
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