青春の殺人者
厳格な両親のもと、溺愛されて育った22歳の青年、斉木順。親に与えられたスナックの経営を始めるが、ある日、両親にスナックで手伝いをしている幼なじみのケイ子と別れるよう迫られる。口論の末、父親を殺してしまい、さらには行き違いから母親までも刺し殺してしまう…。
この映画「青春の殺人者」は、中上健次の小説「蛇淫」の映画化作品で、1969年10月に千葉県で実際に起こった事件をもとにしています。 父母の厳格な教育方針と溺愛の中で、身動きできなくなった一人の青年。 彼がついに父をそして母を殺し、社会から疎外されていくまでを、冷徹かつ衝撃的に描いた長谷川和彦監督のデビュー作ですね。 製作に今村昌平、脚本に田村孟、撮影に鈴木達夫と、新人としては異例の超一流のスタッフが脇を固めています。 人間が人間を殺すという行為は、それが例えば戦争などの場合のような大量殺人であれ、あるいは恋のもつれといったような、個人的な殺意による、一人一殺のような場合であれ、必ずや動機といったものがあるものです。 その動機が、ドラマとしての発端となり、殺人行為そのものを描きつつ、被害者なり加害者なりの心理描写を通して、人の命の尊さとか、人間が自分以外の他人の生命を左右してしまうことの恐ろしさを訴えることが、"殺人"をテーマにした物語の常套でした。 当然のことながら、殺人行為そのものが、そもそも非日常的な出来事であることも論をまちません。 ところがこの作品は、外出から帰って来た母親が、自分のいつもの居場所である台所で、おびただしい血の量に仰天するところから話が始まり、動機とか、殺人行為のプロセスなどは一切、排除されている。 母は「拭くだけでは、とても間に合わない」と、血の海の中でつぶやいたりするのだが、台所という日常的な空間の中に、死体という非日常的なものを持ち込んで来た、この発想が秀逸だ。 息子が、自分の父親を殺害するという行為は、はた目にいかに唐突にうつろうとも、あるいは無分別なことに見えようとも、当事者にとっては、ごくごく自然な、当然の帰結であるということの説明なのだ。 つまり、世間の人が目をひんむくような、どのような出来事も、それは決してある日、突発的に表面化したものではない。 川の川底に徐々に積まれていった土が、ある日、洲となって形を表わすように、日常の中で、毎日の生活の中で、少しずつ少しずつ積まれていったものの結果なのだと思います。 つまり、日常の中には、常に非日常なるものが醸成されているということなんですね。 分別をわきまえ、大人になるということは、その非日常性を自分の中で抑制し、コントロールしながら、日常になじんで生きていくということであろう。 父を殺し、また母をも殺し、放火という罪を犯して、特異な行為へと身を投げた青年は、大人になることを拒否し、永遠に子供であろうとした男の物語だと言ってもいいと思います。 若き水谷豊が、そういう未熟な青年の姿を、実に的確に演じて見せていると思います。
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