映画ポップコーンの評価
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「二百三高地」は、児玉源太郎と乃木希典との対比を通して、戦争における指揮官の在り方を問いかける極めて政治的な映画だと思います。 この東映映画「二百三高地」は監督が「トラ・トラ・トラ!」の舛田利雄監督、脚本が「仁義なき戦い」シリーズの笠原和夫のオリジナル。 凄惨そのものの戦闘場面の展開は、「仁義なき戦い」の迫力ある場面を想起させます。 舛田監督はこの映画を撮るにあたって、「私達は日本人です。この極めて当たり前の事が、この単一民族社会では当たり前過ぎて、ともすれば忘れがちになります。----もし負けていればどうなったか。----闘わねばならなかったのではあるが、その事自体いかに苦汁に満ち、血まみれたものであったか。それを今日よく考えてみる必要がある」と語っていますが、この映画は公開当時にインドネシアで開催された、アジア映画祭でグランプリを受賞していますが、ある意味、明治時代に当たる青年期の各国が、どのような目でこの映画を観たかがうかがわれます。 しかし、この映画は公開当時、「愚劣な懐古アナクロニズム」とか「何を今さら二百三高地か」という手厳しい評価を受けていたそうですが、しかし、そのような厳しい評価をした人々も、庶民とインテリの代表とも言える小賀予備少尉(あおい輝彦)には共感を示していて、彼は乃木大将に向かって抗議します。 「死んでゆく兵たちには、国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です。灼熱地獄の底で鬼となって焼かれてゆく苦痛があるだけです。その部下たちの苦痛を、乃木式の軍人精神で救えますか!」と-------。 しかし、このように兵の無益な死を強調するだけでは従来の戦争批判のパターンを出ていません。 むしろ、この映画は、兵のおびただしい死をもたらした無能とも言える指揮官・乃木大将と官僚的砲術専門家である伊知地参謀長の責任を問うているのであり、その指揮権を一時剥奪し、攻撃の発想を転換して、一挙に二百三高地を攻め落とし、湾内のロシア艦隊を全滅させた有能で積極果敢な児玉満洲軍総参謀長(丹波哲郎)を、戦下手だが人格者である乃木大将(仲代達矢)との対比で描いているところに注目すべきだと思います。 陥落した二百三高地を仰ぎながら、この児玉と乃木の二人が栗を食べるところの食べ方に、この二人の人柄の差がよく現われていて、興味深いものがありました。 この映画の史実は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」(四)に拠っているので、同書の中に次のような児玉の言葉が書かれています。「(伊知地参謀長に対して)司令部の無策が、無意味に兵を殺している。貴公はどういうつもりか知らんが、貴公が殺しているのは日本人だぞ」「おのれの作戦の責任を他に転嫁するな」「(第七師団参謀の懸章をひきちぎって)国家は貴官を大学校に学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない」「参謀は、状況把握のために必要とあれば敵の堡塁まで乗りこんでゆけ。机上の空案のために無益の死を遂げる人間のことを考えてみろ」と-------。 児玉大将は二百三高地を僅か1時間20分で占領したと言われています。 しかし、児玉は乃木大将の名誉を考えて、その山に登る事をしませんでした。 彼は、「知恵ではなく気合だ」、「頭の良否ではない、心の良否だ」、「智恵というのは、血を吐いて考えても、やはり限度がある。最後は運だ」と言っており、また、「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」と叱っています。 そして、乃木は専門家に呑まれていると児玉は見てとり、「伊知地は、よくやっている」という乃木の倫理的な態度を無視したのです。 そして児玉は戦争が終わると、精根が尽き果てたようにして死んだのです。 この映画のラストの明治天皇の御前シーンは必要なかったのではないかと思います。 そして、さだまさしの「防人の詩」が切々と流れてきて感動を深めます。 思えば、太平洋戦争も、この二百三高地と同じ流血の連続でした。
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