人間の証明
東京の高級ホテルのエレベーターで黒人男性が殺された。“ストーハ”という言葉と、西条八十の詩集を残して。捜査線上に見え隠れするファッションデザイナー八杉恭子とその息子。黒人男性の過去を追って渡米する棟寄刑事。八杉と黒人男性の意外な関係、そしてアメリカの刑事と棟寄刑事の関係が明らかになる。
人間の虚栄と孤独の底から証明される人間そのものとは何かという原作のテーマを映画的サスペンスの世界で描いた角川映画が「人間の証明」だと思う。 この映画「人間の証明」は、角川春樹事務所の「犬神家の一族」に続く第2回作品で、製作が角川映画、配給が東映、興業(上映)が東宝という三者協力体制であり、これに撮影の現場を担ったスタッフの日活が加わっての日本映画界にとっては異例づくめでの公開でした。 原作は当時のベストセラー作家の森村誠一の第三回角川小説賞の受賞作で、脚本は当時としても異例の一般公募を行ない、結果としてプロの脚本家の松山善三が第一位となり、監督は「新幹線大爆破」等のサスペンス物を得意とする佐藤純彌、音楽に「犬神家の一族」やアニメのルパン三世でおなじみの大野雄二を起用し、このような多角的な角川旋風が、当時の沈滞していた日本映画界に新風を吹き込んだ事でも知られる作品です。 しかし、このような日本映画界にとっての異端児の作品に対する当時の評価は、「まとまりの悪い、消化不良の大作」、「ツッパリに見合う新鮮さもなく、中身は母もの悲劇」、「読み捨ての域を出ず、国籍不明映画」、「見世物多すぎ、焦点ボケ」等と厳しいものでした。 「見てから読むか、読んでから見るか」という言葉が、この映画の宣伝に使われていますが、個人的には、この映画の場合、まず原作を読んで、現在の東京とニューヨークを結び付け、更に太平洋戦争直後の傷跡に遡って、"人間の虚栄と孤独の底"から証明される人間そのものとは何かという事を沈思黙考して、ゆっくりと考える事が先にあった方がいいと思います。 原作の森村誠一が、この小説のあとがきの中で、「論理性だけでなく、人間性が犯人を討ち取るような推理小説」と書いていて、原作の本文中の「八杉恭子は、自分の中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。棟居は、人間を信じていなかった。だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に賭けたのである。心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ」という一節が、この原作の小説の重要なテーマだと思います。 そして、原作と映画の脚本とを比較してみると、主人公が原作の棟居刑事(松田優作)から、映画では八杉恭子(岡田茉莉子)に移っています。 また、映像美を強調するために恭子は女性評論家ではなく、ファッション・デザイナーに変えられています。 それから、ニューヨークの場面も車の追跡という映画的な見せ場も追加されています。 そして、特に、人間を証明するという最も重要な場面が、原作では、棟居刑事が恭子から自白を勝ち取るところに重点がおかれているのに対して、映画では、棟居刑事が自白を迫るガレージの場面から、更に、華やかな表彰式での恭子の告白、そして霧積での投身とそれを許す棟居刑事という場面にまで発展させています。 このようなテンポの早い映画的な展開も、原作を先に読んでいれば、非常にわかり易いと思います。 また、外国人スタッフだけを使ってのニューヨークロケもさほど違和感もなく、映画のラスト近くの、霧積からニューヨークへの映画的展開も実にうまいと思います。 そして、ケン刑事(ジョージ・ケネディ)の最後の死は、終戦の決着でもあるのかも知れません。
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