失われていくものへの哀惜とレクイエムを描いた、篠田正浩監督の「はなれ瞽女おりん」
2024年2月20日 23時33分
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5.0
映画「はなれ瞽女おりん」は、水上勉原作の小説を"近松門左衛門の絢爛たる世界を、日常性から脱却して、非日常の世界へ没入する事で、美と恍惚とエロティシズムの極致を描いた「心中天網島」"の篠田正浩監督が映画化した作品で、撮影監督を宮川一夫、音楽を武満徹という日本を代表する超一流の布陣で製作されています。
瞽女とは、盲御前という敬称から発生した言葉だと言われていますが、三味線を弾き、語り物、はやり唄、民謡などを歌って日本中の村から村へと門付けをして歩く盲目の旅芸人で、その村に1年に1回訪れるのが大正時代の日本において娯楽の少なかった農民たちにとって待ちわびた楽しみであり、農村での大衆芸能を最も伝統的に継承するものでした。
この瞽女さん達は、全員が盲目の女性であるため、独特の仲間組織と厳しい内部戒律を守ってきたそうです。
このような厳しい戒律の中で、男子禁制を破った場合には仲間から追放されたそうで、この追放された人を"はなれ瞽女と呼びました。
映画は、6歳の時に親に捨てられ、越後の高田瞽女屋敷に引き取られたおりん(岩下志麻)が21歳の時に、ある男とふしだらな関係を持ったという事で屋敷から追放され、"はなれ瞽女"となります。
おりんは、たった一人で門付けをして、誰もいない破れ小屋や雨漏りのする御堂に寝泊りし、男に体をまかせてはわずかなお金をもらうという漂泊の旅を続けて行きます。
その旅の途中で出逢った得体の知れない平太郎(原田芳雄)は、おりんの仏さまのような心と姿の美しさに魅かれ、おりんの体を求めようとはしませんでした。
一方のおりんも生まれて初めて、人の心の優しさに触れ、平太郎に魅かれていきます。
このおりんと平太郎の二人の奇妙とも思える漂泊の旅が、裏日本の自然の美しさと古い町並みを背景として、しみじみと描かれていきます。
黒澤明監督の「羅生門」や溝口健二監督の「雨月物語」などの名作を手掛けた撮影監督の宮川一夫は、失われつつある農村の風景を日本の原風景として捉え、その風景を後の時代に残そうという使命感に燃えてファインダーをのぞいて、まるで涙を浮かべながら撮影しているような、そのシーンのひとコマ、ひとコマが我々観る者の心の奥底に伝わってきます。
宮川一夫は、大正時代の日本の原風景を求めて3年がかりで日本全国80か所のロケ地を探し回ったとの事です。
現在の視点から見ても、日本の中にまだこのような昔ながらの場所が残っていたのかという、素晴らしい風景が次々と出てきて、その風景の中で、おりんという瞽女の姿は失われていくものへの哀惜であり、消え去ろうとする古い文化の終焉を表現しているのだと思います。
全盲の瞽女という難しい役を演じた岩下志麻は、おりんの生まれつきの明るさ、純粋無垢な心の美しさ・素直さを、魂のこもった演技で表現していたと思います。
彼女は、このおりんという難しい役を演じるにあたって「最初は目をつぶっての芝居が不安でした。しかし、元瞽女の杉本キクエさん(無形文化財伝承者)にお会いして、仏さまのような優しい人柄に打たれたおかげで、おりんの心境がつかめ、演技のために目をつぶると逆に心の安らぎを感じるようになりました」と語っています。
映画のラストシーンで憲兵隊から釈放されたおりんが、一人で旅を続け、着ている着物は破れ、埃だらけのよれよれの姿になって断崖に足を滑らせたのか、それとも身を投げたのか映画は詳しく説明しませんが、おりんは白骨となって自然の懐へ還ります。
悲しい人生の最後の極限の姿を、白骨で表現する最後のシーンは、原作以上に何か心の奥底に迫って来るものがあります。
原作者の水上勉は、この映画を観終えた後の感想として「やはり映画は、芸術の中でも最も景色と密着して、思想を具現し得る武器だなと思った。
感心したのは、最後の鳥葬の場だった。
ぼくらの歴史は、名もない野の聖たちを鴉に喰わせてきた歴史である。
篠田さんは、いいたいことを景色の奥に秘めて、この熱っぽい作品を完結している。」と評されています。