セルピコ
熱い情熱をたぎらせ仕事に燃える新人刑事セルピコ。だが警察内部では汚職が横行し、やがて彼は孤立していく……。『ゴッド・ファーザー』で注目されたアル・パチーノの若かりしころの名演が見られる。
この「セルピコ」はご承知のように、ニューヨーク派の名匠シドニー・ルメット監督の作品で、アル・パチーノは、アカデミー賞で主演男優賞の受賞はできなかったものの、ゴールデン・グローブ賞のドラマ部門の主演男優賞を受賞しましたね。 私はアカデミー会員という、いわば、映画界の身内で投票するアカデミー賞よりも、各国の外国特派員の記者たちの投票で選ばれるゴールデン・グローブ賞の方が、より映画ファンの目線で選ばれ、映画ファンの気持ちに、より近い結果になっていると思っています。 この「セルピコ」が公開された1974年頃のアメリカでは、クリント・イーストウッド主演の「ダーティ・ハリー」あたりから、警官ものの映画が、ブルース・リー(李小龍)の「燃えよドラゴン」のカンフー映画と共に流行となっていましたが、この警官ものは、ジーン・ハックマン主演の「フレンチ・コネクション」のような派手なアクションを売り物にする、ショッキングな実録タッチのサスペンスものと、ジョージ・C・スコット主演の「センチュリアン」のような、社会派警官の苦悩を描くものとの二つの系統に分かれていたように思います。 この「セルピコ」は、当然、後者の社会派警官の苦悩を描く系統に属する作品になっています。 ニューヨーク市警察の汚職を内部告発した、実在の警官をモデルにしているこの映画は、アメリカ社会の腐敗をリアルに描いて、とても迫真性のある映画になっていると思います。 しかし、このような映画が製作され、また率直に新聞を通して世論に訴えるところに、アメリカの伝統的な自由が生きており、忖度と腐敗だらけの、どこかの東洋の島国と違って、腐敗を腐敗に終わらせない社会の根強い復元力を感じさせます。 かのワシントン・ポスト紙の記者であったボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによる、ウォーターゲート事件の新聞キャンペーンもその一つの例とみるべきでしょう。 1971年2月、ブルッキング・サウスの麻薬担当刑事のセルピコは、麻薬犯を逮捕しようとして、犯人に戸口から顔面を直撃されて倒れます。 同行の二人の刑事は、意識的にか支援をためらったのです。 セルピコが撃たれたとの報に、警察の同僚と上層部が、すぐに警官相互の殺しではないかと思ったほど、セルピコは警察内部で恨みを買っており、孤立していたのです。 というのは、その前年の4月25日、ニューヨークタイムズ紙の第一面は「ニューヨーク市警の汚職数百万ドルに及ぶ」との大見出しを掲げ、その後、連日にわたって、関連の暴露記事で強力な論陣を展開しました。 この報道は、セルピコの告発に基づいた調査結果であり、それだけに、彼は警察内部では異端者として忌避される存在になっていたのです。 当時のニューヨークのリンゼイ市長は、世論に応えるため、5人の委員からなる調査委員会を設ける事を宣言し、その調査が進んでいましたが、一方、セルピコは、最も危険な麻薬担当への転出を上司に強いられていたのです。 瀕死のベッドから、画面は彼が11年前に希望に燃えて、警察学校を卒業する場面へとフラッシュバックします。 正義感の強い仕事熱心な彼が、同僚たちが不感症になっている収賄、さぼり、暴行などの汚れた環境の中で、外見的な変貌と内面的な苦しみを重ねてゆく推移が、早いテンポで描かれます。 人間的に一般市民との繋がりを深めようとすればするほど、職場である警察の閉鎖社会からは次第に遊離していくのだった。 そして、裸のつき合いを持つヒッピー的な友人の間から現れた優しい恋人も、彼の人間性には魅せられ、愛しながらも、余りの潔癖さとその苦悩を見るに耐えかねて、別れていってしまいます。 組織の全部が狂ってしまったその内部からの、外部に向かっての社会的な告発が、それに至るまで、どのように深刻な人間的な苦悩を踏むものであるか、そして、内部告発に踏み切らせるものは、その組織の上層部の硬直化した問題処理の態度に起因している事を、セルピコは強く訴えているのです。 しかし、組織の内部での真剣な解決への努力と内省の苦しみを欠いた、安易な内部告発は、むしろ、うとましい一種の卑劣感が伴うものであり、社会に強く訴える力は、到底、持ちうべくもありません。 やむにやまれぬ正義感に立って、しかも、あらゆる内部解決の努力を払った、最後の手段としての苦悩の告発であり、一方においてはそれと並行して、あくまでも、その組織内にあって忠実勇敢に、日常の職務執行に献身するセルピコのような姿にこそ、我々は心を打たれるのだ。 それにしても、いかなる形であれ、内部告発者の末路は暗いものがあります。 その後、セルピコは不具の身を人知れず、スイスで過ごしたと言われています。
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