緻密な脚本の妙と役者の演技で魅せる渋いサスペンス映画の傑作
2024年1月30日 17時17分
役立ち度:0人
総合評価:
5.0
このテレンス・ヤング監督の「暗くなるまで待って」は、もともと芝居だった作品で、舞台がほぼアパートの中だけに限定され、緻密な脚本の妙と役者の演技で魅せる渋いサスペンスものですね。
ハリウッド製の派手なスリラーに比べると地味に思えるかも知れないが、精密に計算し尽くされた脚本は、お見事の一言。
だんだんと緊張感が高まっていき、最後には息をつかせぬ迫力で、我々観る者を釘付けにする。
CGもエロもグロも血みどろもなし。
これこそ美しき職人技だなと思います。
主人公のスージーは盲目で、彼女の夫が麻薬入りの人形をたまたま預かってしまうことから、ギャングたちの抗争に巻き込まれてしまう。
要するに、彼女のアパート内に貴重な麻薬入りの人形があり、それを手に入れたいギャングたちが、あの手この手でスージーを騙すというお話なんですね。
スージーを演じるのはオードリー・ヘプバーン、彼女を騙そうとするこわもてのギャングたちは三人。
スージーの夫は、最初と最後に出てくるだけで、彼女の力にはなれない。
彼女のヘルパーになるのは、小さな女の子一人だけ。
まず最初に、盲目のスージーの無力さが強く印象づけられる。
すぐ目の前に落ちているものを拾うことさえできず、灰皿の中で紙がくすぶっているだけでパニックになり、警察に電話して「部屋の中で何かが燃えてる! 助けて!」と叫ばなければならない。
あまりにもか弱い存在だ。それからおもむろに、このスージーを脅すためにアブナイ男三人が登場する。
この三人の使い方も実にうまい。
ロートとトールマンとカーリノの三人だが、最初はトールマンがメインになってスージーに接し、ロートは脇に回る。
トールマンは、ギャングの一味だが、どこか侠気がある男で、実際にスージーの立場に同情し、手を引こうとする。
すると不気味で残酷な男ロートが前面に踊り出して、終盤の容赦ない恐怖を盛り上げていく。
ラストのロート対スージーの対決は、様々なアイディアを盛り込んだ直接的なアクションで見せるが、前半のトールマン対スージーは心理戦だ。
トールマンの嘘にあっさりと騙されてしまうスージーだが、その後で少女グローリーとの連携がうまく活用される。
あの「電話のベルを二度鳴らす」という仕掛けで、スージーが真相に気づくくだりは、非常に巧いと思います。
そして、有名なあのラスト。絶対絶命を悟ったスージーは、無我夢中でアパート中の電灯を壊して回る。
暗闇が、彼女を守る最後の砦となるのだ。
アメリカでこの映画が上映された時、このシーンでは、映画館中の電灯が消え、実際に客席が真っ暗闇になったそうだ。
心憎い趣向である。そういう状態でこの映画を観たら迫力は倍増だろう。
冷酷な殺し屋ロートが、盲目のスージーを容赦なく襲うクライマックスに盛り込まれた、サスペンスを盛り上げるためのアイディアの量は、半端ないものがある。
マッチとガソリン、ステッキ、そして冷蔵庫。
あらゆる小道具大道具が、驚くべき展開を担う。
そして、追い詰められるスージーの絶望の演技と、名優アラン・アーキン演じるロートのサディスティックな凄み。
今観るとそこまで強烈なことは何もしていないにもかかわらず、もの凄く、非常に残虐でサディスティックな印象を醸し出す。
もちろん、それは華奢なヘプバーンの恐怖に打ち震える演技の見事さにもよるものだが、それまでの伏線がガッチリ効いているからでもある。
リアリティという意味で言えば、ギャング三人が盲目の女性一人を相手に、あそこまで手の込んだ芝居を打つだろうかとか、スージーがああまで懸命に人形を守る理由がないなど、突っ込みどころはあるが、これはリアルな犯罪映画というより、パズラーに近い人工的なエンターテインメントなんですね。
緻密な設定と伏線が、ジグソーパズルのように噛み合って、サスペンスを醸成する、知的遊戯なのだと思います。
そういう意味において、これは精緻な脚本と演出によって、職人的に作りこまれた、見事に知的なサスペンス映画の傑作であると思います。