夜の大捜査線
南部で発生した殺人事件の容疑者として、駅で列車を待っていた黒人青年ヴァージルの身柄が拘束された。しかし警察の取り調べによって、ヴァージルは殺人課の刑事であることが判明する。警察署長のビルは、ヴァージルに反感を覚えながらも、協力して捜査を進めていくが……。
この映画「夜の大捜査線」は、南部の強烈な人種偏見と闘いながら、鋭い人間描写と緊迫感に満ちた演出で描いた社会派サスペンス映画の傑作だと思います。 1958年のスタンリー・クレイマー監督の「手錠のままの脱獄」でジドニー・ポワチエは、トニー・カーティスと手錠で繋がれた脱獄犯を演じていました。 それが、この1967年のノーマン・ジュイソン監督の「夜の大捜査線」では、頭のかたい保守反動的な、人種差別主義者の田舎町の白人署長ギレスピー(ロッド・スタイガー)をリードする敏腕エリート刑事に扮しています。 この映画の原作は、MWA新人賞を受賞したジョン・ボールの「夜の熱気の中で」。 主人公の黒人刑事バージル・ティッヴス(シドニー・ポワチエ)が、フィラデルフィアから南部の田舎町にやって来て、乗り換えのため駅で待っていたところ、黒人という理由だけで殺人の容疑者となった彼は、人種的な偏見と差別意識の強い、地元の白人たちと闘いながら、てきぱきとこの殺人事件を解決に導いていきます。 偏見のかたまりだった白人署長との間にも、友情が芽生え始めるが---------。 1958年から1967年に至る9年の間に、アメリカ社会ではどのような動きがあったのか。 公民権法が成立したのが1960年。 1963年のジョン・F・ケネディ大統領の暗殺をはさみ、キング牧師らをリーダーとする人種差別反対の集会やデモ、あるいは暴動が相次いで起こる。 そして、1964年にヴェトナム戦争が開始され、1965年には急進的な運動家であったマルコムXが射殺されている。 この映画の原題通り、まさしくアメリカ全体が"in the heat of the night"の真っ只中にあったのだ。 この映画で描かれている、黒人が白人を小気味よくやっつけるというモチーフは、そうした時代背景をリアルに反映していると思います。 もっとも、現実には、小気味よくやっつけきれないために、こういう映画を観てリベラルな観客、特に黒人は溜飲を下げていたのかも知れません。 この映画の撮影は、イリノイ州やテネシー州を中心に、全てロケーションで行われたそうで、泥沼状の河と広大な綿畑しかない南部の田舎町が広がっている世界だ。 そして、白人が黒人に対して抱いているイメージを執拗になぞるように、名手ハスケル・ウェクスラーのカメラは風景を映していきます。 この南部の風景自体が、この映画の主人公と言ってもいいかもしれないほどです。 そして、この綿畑を舞台にしたシーンで、ティッブス刑事が、彼を茫然と眺める黒人の小作人を横目に、綿畑を自動車でさっそうと駆け抜けていく。 バックに流れるのは、レイ・チャールズの歌。 そして、その時、運転席に座る白人署長の表情は、複雑で釈然としていないように見える。 時代の変遷、つまり、「過去」と「未来」の間に位置する「現在」の浮遊感といったものを、実に見事に表現した映像だと思います。 仕立てのいいスーツをビシッと着こなし、眼光鋭いシドニー・ポワチエ扮するティッヴス刑事が登場する最初のシーンは、カッコ良すぎるくらいカッコいい。 そのカッコいい刑事が、殺人犯に間違えられるところからこの物語は始まるわけですが、どんなエリートにせよ、なにしろ黒人なんだから犯人に決まっているという偏見の描き方が、異様なくらいにしつこい。 これくらい、しつこく描かなくては、"無意識下の差別"を抉りだせないという、ノーマン・ジュイソン監督の演出の意図が感じられます。 例えば、前半で登場する白人のチンピラ(スコット・ウィルソン)は、経済的にも精神的にも、社会の最底辺にいる人間であるはずなのに、それでも黒人よりは偉いと思い込んでいる。 あるいは、黒人刑事という理由だけで彼を平手打ちにし、殴り返されると、なぜ射殺しないと、白人署長に詰め寄る資本家の表情。 そして、気のいい奴の鈍感さこそが、差別の温床なのだということを十二分に表現する白人警官(ウォーレン・オーツ)の平々凡々たる顔。 この映画は、黒人映画のようなふりをしながら、実は"白人社会の惨めさ"をこそ描いた映画なのだと思います。 センチメンタルで進歩的な理想主義者にとっては、この映画のテーマは、非常にわかりやすいと思います。 娯楽作品としても非常に良くできていると思います。 レイ・チャールズの心の底から絞り出すような、哀切で魂を揺さぶるようなブルースが流れ、黒人と白人は和解できるかもしれないという予感が漂う、駅でのティッヴス刑事と白人署長の別れのラスト・シーンは、何度観ても目頭が熱くなってしまいます。 この映画の実質的な真の意味での主人公は、シドニー・ポワチエではないと思います。 彼を受け入れる白人署長を熟練のメソッド演技で、人間の内面の生々しい感情の揺れを迫真の演技で示したロッド・スタイガーだと思います。(因みに、アカデミー賞では、ロッド・スタイガーが最優秀主演男優賞を受賞) 地元のミシシッピーの田舎町で生まれ育った多くの者と同様に、人種差別主義者であるこの白人署長のギレスピーは、当初、黒人のティッヴス刑事を受け入れることなどできなかった。 しかし、その後、彼の言動に接していくうちに、次第に友情が芽生え、信頼が醸成されていく。 このあたりの微妙な内面の変化を、ロッド・スタイガーは、その表情やしぐさから、見事に表現していて、その巧さに唸らされてしまいます。 それにしても、結局これは、例えノーマン・ジュイソン監督が、ロック・カルチャーを通して黒人の文化や時代感覚に鋭敏だったとしても、白人による黒人映画なんだと気付いたのは、黒人監督のスパイク・リーの出現以後だ。 その後のスパイク・リー監督の「ドゥ・ザ・ライト・シング」で描かれた黒人社会の実情は、1967年当時とあまり変わっていません。 綿畑が都市の路地裏に移行しただけだと思います。 そして、スパイク・リー監督は、黒人と白人の和解などというものが、幻想に過ぎなかったということを暴露したのです。 もちろん、「夜の大捜査線」は、今の時点で観ても感動する。 ただ、その感動は、少しだけ居心地の悪い感動なのだ。
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