「今朝は死刑を執行される夢を見て、目が覚めました」。最高裁で死刑判決が出た翌日、奥本章寛死刑囚は、面会室で記者にこう打ち明けた。奥本死刑囚は2010年、宮崎市の自宅で生後5か月の長男、妻、義母を殺害。自らの家族を殺めるという「償えない罪」の重さの前に打ちひしがれていた。被告の時代、刑の確定前後、死刑囚となった後の足かけ8年に渡り、向き合ってきた記者が見たものは…。「私は意思疎通のとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」。神奈川県相模原市の障害者施設で19人を殺害した植松聖死刑囚は、記者をまっすぐみすえて、確信に満ちた表情を見せた。戦後、最悪の殺人事件とも言われるこの事件の加害者に、反省を促すきっかけはないのか。当初、「虚勢」を強く張る姿しか見せなかった植松死刑囚は、2年近く10回以上の面会を繰り返すうちに、記者に「弱さ」を覗かせる場面も出てきていた。「私は成果主義者なんです。効果が出ないものにエネルギーを使いたくはないんですよ」。神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件で、死刑が確定した白石隆浩死刑囚は、被害者遺族に対して「謝罪する気持ちはない」と言い切った。反省につながる糸口さえ見てとることができない白石死刑囚に、記者は葛藤を抱えながらも面会を続けた。「今、俺にとって生きがいについて考えることはつらいんです」。犯行当時18歳7ヶ月だった千葉祐太郎死刑囚は、記者の前で頭を抱えてうな垂れたまま、動かなくなった。母親から虐待され続けた過酷な幼少期をもつ千葉死刑囚。記者は「最後まで反省を深め続けるためにも、生きがいをもつことの大切さ」を説き続けた。記者と千葉死刑囚にとって、拘置所の面会室は「生きがい」について考える「真剣勝負の場」だったのである。
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