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エーゲ海の天使
1993年5月8日 上映 / イタリア / 96分
レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―
2009年4月10日 上映 / アメリカ / 144分西暦208年、魏呉蜀が争う中国・三国時代。孔明(金城武)の奇策で曹操軍を撤退させた孫権・劉備連合軍だったが、食料不足と疫病のために戦意も尽きようとしていた。そこに曹操軍の2000隻の戦艦と80万の兵士が逆襲。司令官の周瑜(トニー・レオン)と孔明が作戦を仕掛けようとする中、周瑜の妻・小喬(リン・チーリン)がある行動に出る。
鶴は翔んでゆく/戦争と貞操
1958年8月26日 上映 / ソ連 / 97分
太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男
2011年2月11日 上映 / 日本 / 128分1944年、太平洋戦争末期。サイパンに、アメリカ軍から“フォックス”と呼ばれ、恐れられた一人の日本人、大場栄大尉(竹野内豊)がいた。大場は47人になりながらも仲間の兵士たちと共に16か月間敵に立ち向かい、多くの民間人を守ってきた。やがて彼の誇り高き魂は日本人だけでなく、アメリカ人の心も動かしていく。
ブラザーフッド
2004年6月26日 上映 / 韓国 / 148分ジンテ(チャン・ドンゴン)にとって婚約者と弟のために働く日々は貧しいが幸福だった。だが、朝鮮戦争が勃発し兄弟は強制徴用される。ジンテは弟を除隊させるため軍隊で英雄になることを決意し、危険な任務を遂行し続けるが……。
燃える戦場
1970年10月10日 上映 / アメリカ / 144分
黒い雨
1989年5月13日 上映 / 日本 / 123分福山市近郊の村に家族で暮らす重松静馬は、妻や姪とともに広島にいた。原爆投下は、何千人もの人々の命を無残に奪い、生き残った人々の過酷な生活を永遠に刻み込んだ悲劇だった。
アイスクリーム・パーラー
1985年 / オランダ / 92分
大地と自由
1996年11月16日 上映 / イギリス / 110分
パリのジャンヌ・ダーク
1942年 / アメリカ / 91分
装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 劇場版
2009年1月17日 上映 / 日本 / 118分極秘文章「ペールゼン・ファイル」… そこには「異能生存体」と呼ばれる特異遺伝子(不死)の秘密が記されていた。 そこに着目したギルガメス軍 情報省次官 フェドク・ウォッカムは、ファイルにあった「キリコ(主人公)、バーコフ、ゴダン、ザキ、コチャック」の5人をモルモットのごとく過酷な戦場に送り込んでゆく。 そして、百年続いた戦争が終わりを迎えようとする時、両軍の雌雄を決する大作戦が行われようとしていた。 惑星モナド攻略戦…その中心には5人の異能生存体の姿があった…
ネレトバの戦い
1969年 / ユーゴスラビア / 175分
ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場
1987年1月31日 上映 / アメリカ / 130分生涯を海兵隊に費やした軍曹が、エリート将校を指揮するために戻ってきた。最初はお互いの主張がまるで異なり、あからさまな敵意を剥き出しにするが、やがて将校たちは鬼軍曹に惚れ込んでいき……。
太鼓
1938年 / イギリス / 104分
悲劇の将軍 山下奉文
1953年4月29日 上映 / 日本 / 125分マレー戦線を南下してシンガポールを占領し、「マレーの虎」とたたえられた山下奉文将軍。だが、ガダルカナル島の戦いで日本は一気に劣勢に陥る。山下はフィリピン防衛の第一線に立たされるが、マニラに到着した彼は大本営の作戦変更に翻弄されてしまう。
ミッドウェイ囮(おとり)作戦
1944年 / アメリカ / 97分
遠い太鼓
1951年 / アメリカ / 101分陸軍を水路で誘導する命を受けた海軍大尉。猛獣や毒蛇の棲む湿地帯をインディアンに襲われながらも行く……。1835年に起こったクリーク族インディアンの反乱を史実に基づいて映画化したウエスタン作品。
五人の斥候兵
1938年1月7日 上映 / 日本 / 78分北支事変の初期。二百人の精鋭を半数まで失いつつも攻略を終えたばかりの一地点。藤本軍曹は部下四名を率いて敵軍の現状を探る任務に就いた。敵のトーチカを発見した斥候兵たちだったが、既に敵軍に四方を囲まれてしまっていた。本作は戦後米国に接収され1968年に返却された新版公開版。
8月のメモワール
1995年 / アメリカ / 126分
うしろの正面だあれ
1991年3月9日 上映 / 日本 / 90分昭和15年。東京本所区(現・墨田区)に住む八才のかよ子は、五代続いた釣竿店の娘で、働き者の両親と、三人の兄、祖母の愛情に包まれて、明るく健やかに育っていた。昭和16年、弟の誕生に姉である喜びを実感するかよ子だったが、12月8日、日本は太平洋戦争に突入し、町には出征兵士を見送る光景が見られるようになる。昭和19年6月、B29爆撃機の来襲が頻繁になり、かよ子はたった一人で沼津の伯母の所へ縁故疎開することになる。そして、昭和20年3月9日の夜、沼津で箱根の山脈ごしに真っ赤に燃える東京の空を見るかよ子は、この大空襲で父も母も兄二人と弟、祖母の家族六人が死んだことを、唯一生き残った兄・喜三郎から聞かされるのだった。そんな絶望の中で敗戦を迎え、親せきの家を転々としたかよ子は、本所の焼け跡で思い出の品の残骸を拾い、かつてこの辺りで「うしろの正面だあれ」と歌って遊んだ友達や家族のことを想い、泣き続けた。そんな時、ふっと「かよ子は明るく人に好かれる子だからだいじょうぶ。自信をもたなきゃね」と、いつも励ましてくれた母親の言葉がよみがえってくる。そして、この言葉をかみしめながら、死んだ家族のためにも生き抜こうと決心したかよ子は、明日に向かって一歩一歩踏みしめ、歩きだすのだった。