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ボヘミアン・ラプソディの豆知識・失敗談

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豆知識・トリビア

  • 豆知識・トリビア
    イギリスの振付師であり、演技指導者でもあるポリー・ベネットは、ラミ・マレックと密に連携し、フレディ・マーキュリーのあらゆる動作や身振りを正確に再現させました。 すべての目線、すべての体のひねり、ステージ上でのすべての気取った歩き方やマイクを指ではじく動作まで全てを完璧に表現しなければなりませんでした。
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    番組『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』 ゲスト:マイク・マイヤーズ/クリスティアン・アマンプール(2018年撮影)、「ウェインズ・ワールド」(1992年)の撮影中彼と彼の友人達が運転しながら聴く(そして頭を振る)曲は、「ボヘミアン・ラプソディ」であるべきだとマイク・マイヤーズは主張した。プロデューサー達はその曲は適切ではないと感じた。最終的には映画の出演を取り止めると脅しながら、マイヤーズは主張を曲げなかった。マイヤーズの主張が認められ映画は大ヒットとなり、その歌はチャートに再登場しアメリカで第2位に達した。この映画はクイーンを新しいオーディエンスに紹介したと評価された。またこの映画に出演するチャンスが与えられた時には、台本を読むこともせずすぐに引き受けたとマイヤーズは語った。皮肉なことに彼の役レイ・フォスターは、車の運転中に「ボヘミアン・ラプソディ」を聞いて頭を振りたい人は誰もいないと信じている。
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    クイーンのギタリストであるブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーが、20世紀フォックスのこの映画の始まりのファンファーレをロック調にアレンジした。
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    レミ・マレックは自分が歌っているビデオをクィーンに送った。 最終的にメンバーに会ったとき、適切にダウンロードできなかったため、彼らはビデオを見ていなかった。マレックは自分の歌に対する彼らのはじめての反応を直接目にした。
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    カナダの歌手マルク・マーテルはフレディとして伝記映画に彼の声を提供した。彼の声とフレディ・マーキュリーの声はミックスされ、ラミ・マレックの声に被せられた。彼の歌はフレディーとマーテルの声がシームレスにミックスされたものと、マレックはインタビューで語った。
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    スティーヴン・フリアーズ監督、サシャ・バロン・コーエンがフレディ・マーキュリー役というのが元々の選択だった。バンドの音楽と映画化権を管理するブライアン・メイとロジャー・テイラーとの創作性の違いにより、フリアーズはプロジェクトを去った。クイーンのメンバーではなくマーキュリーだけの伝記映画というプロジェクトにメイが反対した後、バロン・コーエンとの契約は消滅した。他のメンバーとマーキュリーの死後の影響に焦点を当てるべきだと、メイは感じた。作家のステファン・J・リベレとクリストファー・ウィルキンソンによるオリジナルの原稿は、彼らには気に入らなかった。裏付けのある同性愛関係や乱交を含む、マーキュリーのラフな側面を隠すことのない歴史的に正確で風変わりなマーキュリーの描写であると、バロン・コーエンは考えた。マーキュリーをうまく演じるにはバロン・コーエンはあまりにもコメディ俳優だと、メイは感じた。
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    彼の役フレッディ・マーキュリーを演じるためにラミ・マレックは、卓越した外見を再現するために特別な義歯を入れました。撮影を終えた後、ラミは義歯を撮影の記念として持ち、最終的に金に作り替えました。
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    メアリー・オースティンとフレディ・マーキュリーは、一時婚約していました。彼らはとても親密だったので、マーキュリーは彼の意思で、財産のほとんどとロンドンの屋敷とガーデンロッジを彼女に託しました。彼の歌「ラブ・オブ・マイ・ライフ」は、オースティンに捧られました。
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    アダム・ランバートはこの作品のシーンで、フレディ・マーキュリーが公衆電話でメアリー・オースティンに電話をかけるときに、トイレで密会を待つトラック運転手役として出演しています。ランバートは2012年からクイーンと共演しています。
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    『ライブ・エイド』でのクイーンのセットは、ロックンロール史に残る最高の公演の一つとして広く知られています。2005年に60の音楽家、ジャーナリスト、音楽業界の重役に実施したチャンネル4の投票で、1985年のクイーン・ライブ・エイドは「史上最高のライブ・パフォーマンス」と称されました。
  • 豆知識・トリビア
    1985年7月のライブ・エイドの頃、アメリカでのクイーンの富や名声は大きく下落していました。
    彼らは依然人気であり、レコードも売れ、彼らのホームであるイギリスやその他西ヨーロッパ・オーストラリアでは常にチャート入りしていたにもかかわらず、1985年までアメリカでは彼らは、そこそこのアルバム売上を持った勢いを失ったバンドと見なされていたのです。
    彼ら自身はどうにもできず、『アイ・ワナ・ブレイク・フリー(1984)』では、MTVを含むアメリカの保守的な放送局がその攻撃性を見出し、ミュージックビデオの放送を拒否しました。
    そのため、この曲は米国では45位にしかチャートインしませんでしたが、ほとんどのヨーロッパ諸国では​​トップ10入りを達成しました。特にイギリスでは、BBCは若者への影響を問題視せず、 1964年からの旗艦番組である、木曜夕方に放送されたテレビ番組・トップオブザポップスでビデオをフルで流したので、チャートは3位まで上りました。
    こういった“論争”とフレディ・マーキュリーの“野心”のアピールは、彼らのアメリカでのイメージには深刻な打撃でした。ライブ・エイドでのクイーンのパフォーマンスは史上最高のライブの1つとして称えられたものの、アメリカにおけるキャリアアップには何も影響はありませんでした。次のアルバム『カインド・オブ・マジック』は最高46位と、トップ40にランクインできませんでした。クイーンのアメリカ人気は、『ウェインズワールド(1992)』が「ボヘミアンラプソディ」を使用して再ヒットするまで、復活することはありませんでした。そのとき、すでにフレディマーキュリーは亡くなっていたのでした。
  • 豆知識・トリビア
    フレディ・マーキュリーの声域は4オクターブに及ぶと噂されていましたが、実際は3オクターブにまで伸びました。2016年、生物物理学者と医学研究者のグループは、彼の声帯の動きが平均的な歌手よりも速いと結論づけました。彼のビブラートは7.04ヘルツで測定されましたが、標準的なビブラート周波数は5.4から6.9ヘルツの間にあります。
  • 豆知識・トリビア
    猫好きであるフレディ・マーキュリーは、作中でも実態に近い形で描写されています。レスレイ・アン・ジョーンズ執筆のフレディの伝記の中では、彼はツアー中に猫たちと話すために頻繁に自宅に電話をし、テレビがちゃんとついていて、猫たちがブロードキャスト・ライブを鑑賞できるようになっていたかを確認していたそうです。デライラは特に彼のお気に入りだったと言われており、歌を作ってアルバム「イニュエンドゥ」に収録したほどです。
  • 豆知識・トリビア
    BBCによると、映画制作は大まかなものでした。映画のプロデューサーで主演スターのラミ・マレックは、ブライアン・シンガー監督の日々、遅刻してセットに来て、すぐいなくなる奇矯な行動に飽き飽きしていました。
    2017年、感謝祭の休日後、シンガー監督は3日間連続して撮影から姿を消しました。その時点で、撮影監督のニュートン・トーマス・サイジェルは、シンガー代わりに監督をしなければなりませんでした。報告によると家族の問題であったと主張しています。このレポートの数日後、FOXは、シンガーのオンとオフの不安定な振る舞いのためにこの映画から解雇し、制作担当者と衝突しました。翌日、FOXがスタジオとのバッド・ハット・ハリー・プロダクションの契約終了したため、問題はシンガーにとってさらに悪化しました。FOXは、新しいディレクターが制作を終えるのに、2週間分の撮影がまだ残っている状態で、ポストプロダクションのすべてと、再撮影の可能性を求めてキャンバスを作り始めました。新しいディレクター、デクスター・フレッチャーは、2017年の新年の後に制作を開始しました。マレックとフレッチャーはどちらも、第二次世界大戦が題材のHBOミニシリーズに出演しました。フレッチャーはバンド・オブ・ブラザーズ(2001)に、マレックはザ・パシフィック(2010)に出演しました。
    ジョン・ディーコンを演じるジョセフ・マッツェッロも、ザ・パシフィック(2010)でマレックと共演しました。 結局、シンガーはそれでもディレクターの信用を得ました。
  • 豆知識・トリビア
    レディー・ガガ(本名ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ)の芸名は、「レディオ・ガガ」という曲に由来しています。
  • 豆知識・トリビア
    俳優ラミ・マレックのムーブメントコーチ(身体の動かし方を教えるコーチ)は、マレックに対して、ジミ・ヘンドリックス、デビッド・ボウイ、アレサ・フランクリン、さらには『キャバレー』(1972年)のライザ・ミネリ、こういった歌手たちの身のこなし方を研究させました。そして、この研究は、マレックがフレディ・マーキュリーを上手に演じるための、重要な手がかりになったのです。

失敗談・うっかりミス

  • 失敗談・うっかりミス
    バンドマネージャーであるジム・ビーチがウェンブリーのライブエイドコンサートで演奏するため、彼らを演奏リストに載せようとしていたとこの映画では描かれている。実際にはボブ・ゲルドフがコンサートの発表するために1985年初めに開いた記者会見では、演奏することに同意したミュージシャンの1つとしてクイーンの名を挙げた。ゲルドフは事前に演奏について何も話していなかったため、この時彼らも初めて聞いた。しかし誰も座をしらけさせて辞退することはしたくなかったため、ゲルドフが発表したほとんど全ての演奏がコンサートで行われた。これにはダイアー・ストレイツ(ライブエイドの夜に近くのウェンブリーアリーナで行ったコンサートのチケットは完売、そのため1日に2つのギグが必要だった)も含まれる。
  • 失敗談・うっかりミス
    映画の中でバンドは、1980年のセットで「We Will Rock You」の録音、リリースをしています。この曲は1977年のニュース・オブ・ザ・ワールド で録音、リリースされました。映画で映された年より、3年前です。
  • 失敗談・うっかりミス
    「ファット・ボトムド・ガールズ」は、1975年に先立ってアメリカのツアーで演奏されています。この歌は、(歌)「ボヘミアン・ラプソディ」のリリース・録音後、1978年までジャズアルバムでリリースされていませんでした。
  • 失敗談・うっかりミス
    ロンドン1980年と説明文がつけられたフレディ宅でのパーティーシーンで、リック・ジェームズの曲『スーパーフリーク』がBGMとして流れていましたが、実はこの曲はその1年後である1981年までリリースされていなかったのです。
  • 失敗談・うっかりミス
    1980年代のある時期から、クイーンのメンバーは”何年も一緒にレコーディングしていない”とされていましたが、それは正しくありません。映画で描かれている時期では、80年に2枚のアルバム、82年と84年にそれぞれ1枚のアルバムをリリースしています。その頃に、メンバーが1年以上離れていたということはなかったのです。
  • 失敗談・うっかりミス
    ポール・プレンターがフレディ・マーキュリーのマネージャーを解雇されたのは、この映画ではライブ・エイドのコンサートが終わる前ですが実際はライブ・エイドの後の事でした。
  • 失敗談・うっかりミス
    バンのホイールを交換するとき、あるバンドが、ボルトを「Counter Clockwise;反時計回り」に取り外す必要があると示唆しています。 これはアメリカ英語であり、イギリス英語を話す人は決してそう言いません。正しくは「Anti-Clockwise」または「Widdershins」で、全てのバンドがそう話すべきです。
  • 失敗談・うっかりミス
    本映画の中でフレディ・マーキュリーが音楽バンド「スマイル」に加入するのですが、その際、フレディは、どんなバンドにも所属したことがなかったかのように見えます。けれども、実際は、高校のときからバンドに所属していました。例えば、1969年に、リバプール拠点のバンド「アイベックス」に参加しています。このバンドは、後に「レッケイジ」と改名するのですが、結局、解散してしまいます。次に、フレディは、「サワー・ミルク・シー」というバンドにも参加します。しかし、このバンドも、1970年の初めに解散しました。
  • 失敗談・うっかりミス
    映画では、フレディ・マーキュリーに紹介されたジム・ハットンとメアリー・オースティンが仲良くしていたことが暗示されています。フレディの生前の彼らの関係はともかく、それは急激に悪化しました。フレディとジムは、ケンジントンのローガン・プレイス1番地に住んでいましたが、フレディの死後、メアリーはジムを家から追い出し、フレディの遺灰へのアクセスを拒否しました。このことは、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、フレディの妹カシュミラへのインタビューで確認されています。
  • 失敗談・うっかりミス
    この映画では、EMIの最高責任者が「ボヘミアン・ラプソディ」をシングルとして発売しなかったためにバンドが70年代半ばに所属していたEMIレコードを脱退したように描かれていますが、実際には、クイーンはキャリアを通じてEMIに在籍し、フレディ・マーキュリーの死後も20年以上在籍していました。
  • 失敗談・うっかりミス
    本作では77年のリオのギグの描写がありますが、実際は、クイーンは1981年3月20日、21日にサオ・パウロのモルンビスタジアムで初めてブラジル公演を行っており、映画ではそのコンサートの音が使われています。後年、ウイーンはRock in Rio 85で演奏をしています。80年代より前にクイーンが南米で演奏をしたことはありません。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディ・マーキュリーがマイクスタンドを壊し、彼の象徴であるマイクプロップを作った出来事は、実際の彼の最初のライブではなく、クイーンの初期のキャリアの中でずっと後に起こったことです。
  • 失敗談・うっかりミス
    映画の中で何度か登場人物が文章の最後に「ピリオド!」と言って自分の主張を強めています。これはアメリカ的な表現です。イギリスでは、ピリオドではなくフルストップなので、「俺はやっていない、フルストップ」などと言います。また、飲み物のことをビバレッジと言う人もいますが、これもイギリスにはないアメリカ的表現です。
  • 失敗談・うっかりミス
    1985年のライブ・エイドの前にフレディがクイーンの他のメンバーと和解したとき、ディーシーは、その時点から、今後のすべての作曲クレジットは、メンバー1人ではなく、バンド全体のものになるだろうと述べています。実際には、1986年に発売されたアルバム『カインド・オブ・マジック』では、まだ個々の曲としてクレジットされており、1989年の『ザ・ミラクル』と1991年の『イニュエンドウ』で初めて、すべての曲がバンド全体にクレジットされました。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディの猫は、子猫時代の一瞬以外、作中のどのポイントでも全く年をとっていません。
  • 失敗談・うっかりミス
    ポール・プレンターは、フレディ・マーキュリーのセクシュアリティについてテレビインタビューに答えていますが、実際には、プレンターはこの話をイギリスのタブロイド紙『The Sun』に売り、この件についてのオンエア・インタビューは受けていません。
  • 失敗談・うっかりミス
    実際には、クイーンのメンバーでソロプロジェクトを録音したのはフレディ・マーキュリーだけではありませんでした。マーキュリーが1984年に発表したアルバム『Mr.バッド・ガイ』の前に、ドラマーのロジャー・テイラーは1981年に初のソロアルバム『ファン・イン・スペース』を録音し、ブライアン・メイは1983年に複数のミュージシャンとコラボレーションして『Star Fleet Project EP』を発表しています。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディ・マーキュリーは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーと駐車場で出会って、彼らのために歌ったわけではありません。フレディはスマイルのリード・シンガー、ティム・スタッフェルの友人で、バンドのファンだったのです。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディは1970年代にDTMF電話(イギリスではMF4と呼ばれます)を使ってメアリーに電話をかけています。DTMF対応の電話機が英国に導入されたのは1980年代後半で、「ライブ・エイド」の後でした。フレディはロータリーダイヤルか、「トリムフォン」のようなループディスコネクト対応のプッシュボタン電話で番号を入力する必要があったはずです。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディ・マーキュリーがバンド名をクイーンに変えたのは、スマイルに参加した直後で、2年後のファースト・アルバムのレコーディング中ではありません。
  • 失敗談・うっかりミス
    フレディ・マーキュリーは深い茶色の目をしていました。ラミ・マレックの目は青/緑ですが、顔のクローズアップを含め、映画中、それを修正はしていません。

ネタバレ有り

下記の内容にはネタバレが含まれます

豆知識・トリビア

  • 豆知識・トリビア
    ライブエイドのシーン全体で使われていた1980年代のペプシのロゴは、史実として正しいものでした。1985年に、ペプシは、ライブエイドのメインスポンサーとなりました。ステージ製作のコストや、群衆の管理、警備 、そして観衆、バンド、裏方スタッフのための場所と軽食にかかる費用を負担しました。テレビ放送とラジオ放送を担ったBBCには、スポンサーを視聴者に明示しないという厳しい規定がありました。しかし、かつてない歴史的で人道的なこのコンサートの性質から、置かれてあるスポンサー商品に関しては、見て見ぬ振りをしました。ウェンブリースタジアムのオーナーは、無償で会場を提供しました。また、コンサートのプロモーターや出演バンドも無償で参加しました。

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