美しさと汚らわしさと
このレビューにはネタバレが含まれています
2021年1月28日 23時26分
役立ち度:0人
総合評価:
5.0
アイオワ州に住む平凡な主婦と彼女が住んでいる近くにある橋を撮影しに来たカメラマンとの儚い恋の話。
この映画は女が死んだあと、子供たちが弁護士立ち会いのもと、
遺言に従って遺品の整理をする所から始まる。
遺品の中で橋をバックに写っている女の写真を見つけた息子の嫁が、
彼女がノーブラである、と指摘する。変なセリフだな、と思ったが、
実はこのセリフこそがこの映画の全てを表現している。
夫と子供たちが牛の品評会に出かけ、4日間留守となる。
そこへ橋を撮影しにきた男が道に迷い女の家に寄る。
女は橋の場所を説明しようとするが説明下手なので車に乗り込んで場所を教える。
その車中、男がタバコを取ろうとダッシュボードに手を伸ばした時に
女の足に手が触れる。女はそれにドキドキする。
結局撮影に付き合った女はその帰り、アイスティーでもどうか、と男を家に誘う。
ひとしきり会話を楽しんだ後今度は夕食でもどうか、という話になり、
男はそれに応じる。夕食までの間、男は外の井戸で体を洗う。
女は上半身裸の男を見てドキドキする。
また女が夕食を作る時、男が手伝うのだが、そこでも肉体のさりげない接触があり、
女の気持ちはどんどん高まっていく。
恋愛を美しい精神論だけで片付けようとはせず、汚らわしい肉欲の側面からも
きちんと感情を盛り上げていく過程はとてもリアルで笑ってしまう。
イーストウッドって、こんな演出もできるんだ! 原作の設定は分からないが、
40過ぎの女と60過ぎの男の恋愛をまるで10代、20代の恋愛の様に描いて行くところは
さすが。いや、恋愛に年齢など関係ない、という事か。
女が自分の裸をチェックするところはご愛嬌として、とうとうその時がきた時、
「イヤならやめるよ」と触れそうで触れない唇の撮り方など、
この辺の演出は絶品だ。というよりもイーストウッドのガチを見ているようで
ある意味すごい。
しかしイーストウッドは本当に驚くべき演出家だ。
小さな肉体的接触の積み重ねで大きな心の流れを生み出した事への驚きもあるが、
自分自身がどう見えるのかをきちんと理解しているという事にまず驚く。
立ち姿の良さや、60過ぎとは思えない肉体美をセクシーに撮らせたかと思うと、
雨に濡れてたたずむその姿は、頭皮に張り付いた薄い髪が哀れさを誘う。
自分の良いところと悪いところをきちんと理解してきちんと自分に演出をしている。
その雨の中の別れは、実に美しい名シーンだ。
男が乗る車の後ろに女の乗る車がある。女の車は夫が運転している。
男の車、青になったのになかなか進まない。
女はドアノブを握りしめ男の元に行こうか行くまいか逡巡する。
そして夫がクラクションを鳴らすと男はウインカーをチカチカさせ左に曲がって行く。このウインカー、まるでこっちに来い、こっちに来いと、
涙ながらに女を誘っているかのように見える。
この映画は「美しさ」と「汚らわしさ」を融合させた稀有な作品なのだ。