現実世界とリンクする映画
このレビューにはネタバレが含まれています
2024年11月12日 11時08分
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総合評価:
4.0
「ジョーカー」の続編に何を期待し、求めていたかによって評価が分かれる作品だった。
現に賛否両論で、アメリカに至っては否のほうが多いとのこと。
はっきり言って前作にあった、ある種の爽快感やカタルシス、スリリングな展開などはほとんどなく、今回はミュージカル映画でもあるのに印象はとても地味である。
そして、前作でジョーカーが誕生し、この続編で多くの観客が期待したであろう、ジョーカーとハーレイ・クインがタッグで暴れ回るというような展開には全くならないし、結局「バットマン」映画のヴィランとしてのジョーカーにもならないので、そのあたりが気にいらないという人も多かったと思う。
自分もどちらかと言えば、暴れ回るジョーカーを期待していた。
が、それでもこの続編は個人的にはとても興味深く、心に深く刻み込まれた。
もちろん、作品としての力強さや、単純な面白さは前作には及ばないだろう。
でも、アーサー一個人の人間ドラマとして本作を見ると、本当に胸が締めつけられるような思いになる切ない物語で、これはこれで良い続編なんじゃないかと思えた。
前作では育った環境や境遇、様々な受けてきた仕打ちによって、ジョーカーとなって殺人まで犯すが、今作は人間アーサー・フレックが果たしてジョーカーとアーサーのどちらを選ぶのかが描かれていて、その過程がとても悲しい。
アーサーは、ジョーカーに心酔するリーに恋してしまい、裁判でリーや周りが求めていたジョーカーを再び演じるが、結局は心が折られ、ジョーカーという自分を捨ててしまう。
裁判を見守っていた多くのジョーカー信奉者は落胆し、アーサーは恋人のリーにまで見放される。
あくまでジョーカーを求めるリー。
アーサーの内面を慮ると本当に切ないシーンなのだが…
このへんが今回の続編で覚醒したジョーカーが暴れ回る展開を期待していて落胆してしまった多くの観客とすごいリンクしていて、皮肉的だし興味深い。
みんなが期待するジョーカーを描かず、人間アーサーに戻っていく物語にしたのは、明らかに前作の影響により世界各地で発生するジョーカー模倣犯に決着をつける意味があるのだろう。
(もちろん、ヒース・レジャーの時代から模倣犯はいるが。)
トッド・フィリップス監督の批判される覚悟と、強い意志を感じる続編だった。