映画ポップコーンの評価
あなたの評価は?
裏切られた男の心の奥底のロマンティシズムを描いた、失われた世代の作家F・スコット・フィツジェラルド原作の映画化作品が「華麗なるギャツビー」ですね。 1970年代のアメリカ映画界は、1930年代へのノスタルジーを込めた作品がブームになっていましたが、この「華麗なるギャツビー」という映画は、更に時代を遡った、頽廃の花咲く1920年代の"成金文化"を背景として描いています。 この映画の原作は、"失われた世代"の作家と言われる、F・スコット・フィツジェラルドで、彼は第一次世界大戦の勝利で成金の国になったアメリカという国をバックに、金にまかせて狂乱のごとく、浮かれ騒ぐ、アメリカの消費者たちの精神的な混乱をテーマにした小説を、この原作以外にも数多く書いています。 彼の小説は、それまでにも幾つか映画化されていて、例えば、1954年の「雨の朝巴里に死す」(リチャード・ブルックス監督)は、退廃的でデカダンな日々を送り、深酒に酔いしれる新進作家が、そのような荒んだ日々の中にも、エリザベス・テイラー演じる美貌の女に果たせぬ思いを寄せるという内容の作品でした。 内容的にはややメロドラマ調の映画でしたが、酒でも飲まなければいられない、男の心の奥底のロマンティシズムといったものが、テーマとなっていました。 このように、F・スコット・フィツジェラルド自身が、かなり破滅的な人生を送り、酒に溺れて、晩年は不遇のうちに亡くなったそうです。 その破滅的な生きざまは、日本の作家で言えば、太宰治や坂口安吾などの無頼派の作家と共通するものがあるような気がします。 映画「華麗なるギャツビー」は、ある男の生きざまの悲哀を、"男心は純情"という思いの込められた作品で、原題の「THE GREAT GATSBY」の中の"GREAT"はアメリカの俗語で、"いかす"という感じで使われているそうですが、ギャツビーの短い悲劇の生涯は、まさにその表現がぴったりします。 ニューヨーク郊外のロングアイランドの湖畔にある大邸宅で、夜な夜な催される豪華なパーティ。 そこでは楽団の派手な演奏と共に、数多くの男女が集まっては飲み、食い、踊り、騒ぐといった饗宴が繰り広げられていました。 ところが、この邸の主人はほとんどこの饗宴には顔を出さず、部屋にこもり、何かの思いに耐えているようで、彼の素性は謎に包まれていて、このパーテイに招かれる上流階級の人々も、陰では彼を密輸や麻薬といったもので成り上がった暗い過去を持つ成金じゃないかと噂します。 しかし、ギャツビーは表面的には一分のすきもないくらいの美青年であり、その笑顔は爽やかでさえあり、こんな主人公を、当時のアメリカ映画界で人気、実力共にNo.1であったロバート・レッドフォードが「追憶」そして「スティング」で見せた魅力的な微笑というものが、この映画ではその微笑の裏に"暗い翳り"を秘めた男を、惚れぼれする程の良い男っぷりで演じていて、まさにミスター・ハリウッドという形容がぴったりするくらいで、当時、ゲーリー・クーパーの再来と言われていた事が納得出来ます。 ギャツビーが人生を賭けてまで愛した女性デイジー役のミア・ファローは、はっきり言ってミス・キャストで、魔性を秘めた魅惑的な女性デイジーのイメージにはほど遠く、当時、他にデイジー役を演じる女優がいなかったのかと残念でなりません。 昔であれば、エリザベス・テイラーが演じていた役どころで、リズだったら魔性の魅力を秘めたデイジーを余すところなく演じていただろうと思います。 この邸の対岸には、彼の初恋の女性デイジー(ミア・ファロー)が、シカゴの大財閥トム(ブルース・ダーン)の妻として贅沢な、そして倦怠の日々を送っています。 戦争にも行かなかったトムは、浮気癖があり、こともあろうに近くの貧しい自動車修理屋の人妻(カレン・ブラック)との情事を楽しんでいます。 そして、その夫(スコット・ウィルソン)は、真面目一方の気弱な男として描かれています。 貧富の差が対照的なこの二組の夫婦、そしてギャツビーの過去と現在、そして未来を見透かすように立っているのが、街道筋の大きな眼鏡の立看板であり、この立看板というものが、"神を象徴する役割"をこの映画で果たしていると思います。 このあたりをさりげなく見せる、ジャック・クレイトン監督の演出のうまさが光っています。 そして、トムとデイジー夫妻の知人であり、ギャツビーの隣人でもあるニック(サム・ウォーターストン)も、この映画の舞台回しというか、狂言回しとして、"冷静な観察者"として、実にうまく描いていると思います。 このニックを介してギャツビーは、やっと恋い焦がれた、初恋の女性デイジーと再会する事が出来ますが、戦争から帰るまでどうして待っていてくれなかったのかと詰問する彼に答えて、「金持の娘は貧乏人とは結婚できないのよ」と言うまでに、デイジーは上流社会の生き方が身にしみて育った、いわば"砂糖菓子"のような女でした。 原作の小説の中で、「その声までが金持らしい娘」と書かれていますが、甘やかされて、わがままな反面、繊細な感情のひらめく魅力的な女、天真爛漫な華やかさと功利に長けた計算とが一体となったような、矛盾に満ちた女------女とは本来、このような"魔性"を秘めたものなのかも知れませんが、しかし、映画を観ている間中、こんな女に何故惚れてしまうのか、と言いたくなる感情を抑えきれませんでした。 そして、デイジーとの間に愛情が取り戻され、ギャツビーが一生を賭けた恋が成就するかと思われたが、その破局は一気に訪れます。 暑いニューヨークのホテルでのギャツビーとトムとの確執、対決は、デイジーを錯乱させ、彼女の運転するギャツビーの黄色いロールス・ロイスは、自動車修理屋の妻を轢き殺してしまいます。 キャツビーはデイジーをかばって、彼女を夫のもとに送り届けますが、翌日、この自動車修理屋は、妻の浮気相手のトムを殺そうと迫りますが、トムにギャツビーが犯人であると吹き込まれて、ギャツビーをそのプールで射殺して自殺します。 女を思い詰めた二人の男が同時に死んだのです。 大邸宅も巨大な財産も、そして命さえも、男はただ一人の女に捧げて悔いはないかのようです。 この映画でのロマンティシズム、恋にそして人生に破れて死んでいった男の姿は、まことに哀しく憐れでもあります。 そして、生き残ったデイジーは、ケロリとして夫とよりを戻し、何事もなかったかのように、陽気に旅立って行きます。 女の軽薄さを示すこのラストで、死んでいった男の哀しさ、憐れさが、余計に我々、観る者の心に迫ります。 この映画での"冷静な観察者"であるニックが言うように、軽薄なトムとデイジー夫妻は、それぞれ身勝手な事をやって、その始末は誠実な他人の死によってあがなわれ、彼らの豪奢な生活は守られたのです。 うわべだけの薄っぺらな上流階級の人々より、どれだけギャツビーの方が人間的に優れているか----、虚像と実像の違いを原作者のF・スコット・フィツジェラルドと脚色のフランシス・フォード・コッポラと監督のジャック・クレイトンは、ニックの目を通して、憤怒の思いで描いていると思います。 フランス戦線での勲功章だけは、ギャツビーに残された唯一の確かな履歴であり、また、古い日記に書かれた少年の日の決意といったものが、彼の本質を切なく語っていると思います。 一、発声練習、二、勉強、三、毎週の貯金三ドル、四、禁煙、五、親孝行--------。 この映画はギャツビーという一人の人間を通して、アメリカの純情に熱い懐旧の涙を注いでいる、切なくも哀しい人間ドラマであり、単なるラブロマンスの映画ではないのです。
↓↓みんなが読んでいる人気記事↓↓
→【2024年】動画配信サービスおすすめランキングに注意!人気を無料や利用者数、売上で比較!徹底版
→【すぐわかる】動画配信サービスおすすめランキング【忙しいあなたへ】人気を無料や利用者数、売上で比較!簡易版
→映画のレビューを書くと、あなたの好みの映画が見つかります!
追憶
裸足で散歩
出逢い
候補者ビル・マッケイ
コンドル
夜霧のマンハッタン
ハバナ
ブルベイカー
夜が明けるまで
モンタナの風に抱かれて
すべての美しい馬
モンスター
✅映画解説 ✅口コミ ✅映画の豆知識・トリビア ✅ネタバレありなし考察 ✅どの配信サービスで見られるか 映画に関するあれこれが、この1サイトでぜーんぶ出来ます。