実は意外に原作に忠実
このレビューにはネタバレが含まれています
2021年1月19日 22時51分
役立ち度:0人
総合評価:
5.0
これだけ有名でありながら、これだけ実験的な映画も珍しい。
ストーリー面で言えば、何と言っても途中での「主役交代」が驚愕だ。
原作ではノーマンとマリオンの描写は交互に語られているが
映画ではその後の効果を考えてのことか、ノーマンの登場は途中からである。
ヒッチコック自身、原作を読んでシャワー・シーンを撮りたいと思った、
というだけあって、ここのシーンの気合の入れようはすごく、
ミッドポイントとしてインパクトを高めるため、
オープニングから入念に計算してシーンを積み重ねていっているのが分かる。
まずマリオンの最初の登場がブラジャー姿である。
当時としてはかなり大胆な描写であり、ヒッチコック自身も、
時代に合わせてここまでやる必要性について言及している。
とにかく、物語の掴みの段階で、観客をセクシュアルな印象へと
誘導することに成功している。
そして金を盗み、ベイツ・モーテルへやってきたマリオンは
ノーマン・ベイツと出会う。原作では薄毛のデブだったノーマンは、
若くてそこそこハンサムな青年に置き換えられている。
彼は彼女を管理人室のすぐ隣の部屋へ案内するのだが、
その部屋は管理人室からのぞけるようになっているからだった。
しかし観客もあることに気付く。そう、このモーテルには他に人はいなく、
道路にもほとんど車通りがない。果たしてのぞきだけで済むのだろうか?
と、シャワー室にいるマリオンの背後に黒い影が見える。
やはり、ノーマンがマリオンを犯しに……と思っていると、
何とそこには年配の女性の影がナイフを振り上げているのだ。
いまとなってはこのシャワー室での殺人が有名になり過ぎて、
映画を観る前からここの流れが分かってしまうのだが、冒頭からの積み重ねで、
性被害を想起させるシチュエーションを殺人へと展開させる、
このミスリードこそがこのシーンのショックを増幅させる
ポイントとなっていることは言うまでもない。
また、マリオンは会社の金を盗んでいるので、この先どうなるのか、
というサスペンスでのミスリードもある。
通りがかりの警察が彼女に怪しい目を向けるシーンが出てくるが、
これは原作には存在しない。これも窃盗でのサスペンスに
観客の意識を誘導するためにあえて付け加えられているのだ。
他にも恋人であるサムとの今後がどうなっていくのか等、
二重三重に観客の意識を散らしたうえでシャワー・シーンへと到達し、
昇華させているのである。
そして、そんなプロット上の積み重ねだけでは物足りず、
例の有名なコマ切れのカットつなぎで視覚的な効果まで加える入念さ。
一体どれだけここのシーンに思い入れがあるのか、というほどの
手の掛けようであるが、やはりそのぐらい気合を入れて
ワンシーンを構築する事の大事さが、この映画を観ていて身に染みてくる。
事実、「サイコ」と言えばこのシャワー・シーンであり、
このシーンだけで後世まで語り継がれることになるのだから。
ちなみにここのシーンでマリオンが書いたメモを破ってトイレに流す場面がある。
これは脚本家のジョゼフ・ステファーノがどうしても
トイレを画面に映したくて入れたそうだ。それは映画史上トイレというものが
スクリーンに映し出されたことがなく、観客を不安な気持ちにさせるために
必要だ、ということでヒッチコックを説得したそうである。
ここのシチュエーションは後の伏線となっており、後日妹のライラとサムが
来た時に、マリオンがここにいた痕跡を見つけるシーンとして
必要なものなのだが、原作ではその役割を、落ちているピアスが務めている。
ちなみに、ここまでの流れの中で、原作と映画との相違について触れてきたが、
原作を読んでみた感想としては、意外に原作通りに映画化されているな、
と感じさせられるものであった。トリュフォーはヒッチコックとの対談の中で、
このロバート・ブロックの原作を結構けなしており、
ヒッチコックはそれに対して、シャワー・シーンが撮りたかったから、
などとやや弁解気味に語っていたが、何だ、ヒッチコックの奴、
この原作そのものを気に入ってるんじゃないか!
だったらハッキリそう言えばいいのに、と思えるほどに大筋は忠実だった。
まあ、映画化するくらいだから、当たり前の話なのかもしれないけれど。
ラストの手にハエが止まるくだりなども原作にあったのには驚いた。
要するに、最終的に映画として再構築した時に、より効果的と思える部分だけをイジっていたのである。当たり前のことだけれどそれがなかなかうまくいかない。
そういう意味ではこの映画、小説の映画化の良い見本なのであろう。