南極物語
1958年、南極。日本の第1次越冬隊員たちは、第2次隊員と交代すべく昭和基地を後にした。だが悪天候が続き、ついに第2次隊員たちは上陸を断念、越冬の中止が決定される。樺太犬の世話係を務めていた潮田と越智は、その知らせを聞いて驚愕する。基地には15頭の犬が残されているのだ。だがもはや連れ戻す余裕はなく、2人は断腸の思いで南極を後にする。帰国した潮田は、犬の飼い主たちへの謝罪の旅を始める。
映画「南極物語」は興行収入が110億円という成績で大ヒットしましたが、この映画の興行的な成功は、"白い地獄"とか"神の領域"とも言われる"南極そのもの"を、宇宙の神秘といえるまでに極限の映像美を撮影した椎塚彰の卓越したカメラワークと、犬たちの自然な動きを制約しなかった宮忠臣ドッグ・トレーナーの壮絶なまでの頑張りに負うところが多かったのではないかと思います。 撮影当時の日本には、もうカラフト犬はいなくて、映画の中の犬たちは、カナダ北辺で苦労して捜し出されたエスキモー犬とインディアン犬の混血種という事ですが、タロとジロの兄弟犬らしい親愛感とか、それぞれの犬の性格まで、実によく表現出来たものだと感心しました。 誰も知る事の出来なかった"空白の一年間"を生き残るためのタロとジロを含む、その他の犬たちの生きるために必死に苦闘する場面は、それが"血のり"を使った傷であったり、"麻酔薬"を使っての死であったりする事はわかっていても、"苛酷な大自然と闘う犬たちの苦しみ"をやらせではなく、真に迫って描けば描くほど、なぜ当時、犬たちをこのような残酷な苦しみに追いやってしまったのかという、どうしようもなく、やりきれない、暗澹たる思いを強く感じますし、敢えて言えば、このような過酷な条件下での苦しい役でも、出演俳優にはそれなりの報酬をもって報いる事が出来ますが、犬たちには何をもって報いる事が出来たであろうかと考えると、何か切ない気がしてきます。 昭和33年2月24日、悪天候のため遂に第二次越冬を断念し、そのためカラフト犬15頭が南極の地に取り残される事になりますが、なぜ、犬たちを収容出来なかったのかという理由について、説得力がなく、また切迫感にも欠けていると感じました。 犬たちを薬殺しようと考えるのも残酷すぎますし、また、日本に帰った越冬隊員の潮田(高倉健)が、犬の銅像除幕式のシーンで、外人の女性記者に「この手で殺してやればよかったんだ!」と痛切に語るのも、やはり人間本位で勝手すぎますし、それを見ていた同じ越冬隊員の越智(渡瀬恒彦)が何か自然に納得するというのも解せません。 "空白の一年間"を本能のままに、ひたすら食べ物を求めて彷徨する犬たちの健気さ、いじらしさに比べて、ただ反省して苦悩するだけの潮田、越智二人の人間の姿はいかにも弱々しく、彼らに絡む女性二人(夏目雅子、荻野目慶子)にも全く現実感というものがありません。 このような日本での薄っぺらな人間模様を極力、切り捨てて、"極限状態における自然と人と動物"という骨太で深みのあるテーマを、雄渾なロマンとして描き切って欲しかったと思います。 しかしながら、生命の原点にカメラをじっくりと据えて、自然と生物と共感したいと願ったであろう、蔵原惟繕監督のこの映画に賭ける情熱は、日本映画にとって貴重なものだったと思うし、現実にこの映画の南極ロケで九死に一生を得たという高倉健が、その命をこの監督に全面的に託したと言われるだけに、蔵原惟繕監督という人間のもつ信頼感の凄さには何か胸に迫るものがあります。 1981年の「炎のランナー」で第54回アカデミー賞の最優秀作曲賞を受賞したヴァンゲリスの音楽は、実に素晴らしく、オーロラの下で犬たちが恐れおののく、美しくも不気味なシーンでは、我々観る者を映像と一体化させるほどの凄い迫力を心の奥底に感じさせてくれました。 映画を観終えて、この「南極物語」という映画は、数多くの欠点を有しながらも、蔵原惟繕監督の情熱と、高倉健、渡瀬恒彦などの俳優陣とその他の献身的な映画スタッフと、この世界的なヴァンゲリスとの連帯を広く克ち得た事が、1983年当時の日本映画史上最大のヒット作となった要因だろうと思います。
このレビューにはネタバレが含まれています
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