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引用:IMDb.com

花束みたいな恋をしたのライムスター宇多丸さんの解説レビュー

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2021年02月25日更新
大好きな人との時間や記憶、これから更に大切に生きていこうという風に思える、大事に、こう花束のように抱えながら生きていこうと思える、そんな映画でございました。(中略)一応、カップルで見るよりは、それぞれ別個で見て、大事にしようという気持ちを持って帰るのがよろしいんじゃないでしょうか。(中略)結構な射程を持った、名作じゃないかなと思った・・!(TBSラジオ「アフター6ジャンクション」より)

RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/)
で、『花束みたいな恋をした』のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。

映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。

宇多丸さん『花束みたいな恋をした』解説レビューの概要

①恋愛の一番いい時期と、もうダメになっちゃった時期を1つの作品の中で対比させる
②純愛映画ではなくて、純・恋愛映画
③ドラマを起こすための外部要因というものを持ち込まない
④絹ちゃんと麦くんと○○、この3つがこの映画の主人公
⑤倦怠カップル物の見所は口論シーン。現代日本の口論シーン、カップルの口論シーンとして、本当に最高にリアルでツライ

※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。

映画『花束みたいな恋をした』宇多丸さんの評価とは

さぁここからは、私宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、1月29日から公開されているこの作品!『花束みたいな恋をした』。

〜音楽〜

引用:IMDb.com

『花束みたいな恋をした』あらすじ

はい。これ私、先ほどオープニングで言った大友良英さんのね、劇伴。聞くだけでちょっと、涙腺が激しく刺激されて危険という音楽でございます。『東京ラブストーリー』『最高の離婚』など、数々のヒットドラマを手がけてきた、坂元裕二のオリジナル脚本を、菅田将暉と有村架純の主演で映画化。終電を逃したことから偶然に出会った、大学生の山音麦と八谷絹。2人の5年間の恋を描く。監督は、坂元裕二脚本のドラマ『カルテット』の演出も手がけた土井裕泰さん、という事でございます。

映画『花束みたいな恋をした』を鑑賞した一般の方の感想

ということで、この『花束みたいな恋をした』見たよ〜というウォッチメンのみなさんからの感想、メールでいただいております。監視報告、ありがとうございます。メールの量は「とても多い」。これあの、評判がね、もう去年の試写の段階からすごく伝わってきたので、評判が広がっているんだと思います。実際ヒットしている。賛否の比率は「褒め」の意見が8割。残りが「良くなかった」という声でございました。

主な褒めの意見としては、「ラストで号泣。今年の暫定ベスト。」「これはアトロクリスナーに刺さる。とても他人事とは思えない。」「坂元裕二脚本らしい特徴的なセリフ回しも堪能できた。」「主演2人の演技はもちろん。美術、撮影全てがよい。」などございました。また多くの人が自分の話をするのも今作の感想の特徴。やっぱり自分のね、自分史を投影するタイプのね作品ですよね。猛然と自分の話も、自分の事も思い出すという、記憶のちょっと扉を開かれたりもしますよね。

また、「出てくるサブカル的な固有名詞に愛情を感じず冷めてしまった。」とか、「恋愛経験に乏しいのでピンと来ない。」といった声もありました。まあね、それもね。

引用:IMDb.com

映画『花束みたいな恋をした』の好印象な意見

はい。といったあたりで、代表点なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「dxdxd」さん。

「『花束みたいな恋をした』、奇跡のような5年間の恋愛に悶絶しました。早くも今年度ベストです。『(500)日のサマー』『ビフォア〜』シリーズ系統かと思いますが、日本映画でこのテイストはあまりない気がします。アトロク的に言えば、『何かが始まる音がする、Y・O・K・A・N~予感~』で”何か”が始まった人たちの話ですね。」

「予感がする音がする」って言ってましたからね!

え〜、「本作の一番のポイントは、ポップカルチャーによって恋愛関係を築き、労働によって恋愛関係が崩れる点だと思います。これは菅田さんが本作のPR番組で言ってきた事ですが、カルチャーという部分で、現代的なあるあるで言うと、メディアも発達して”俺らはこれが好き”という小さいコミュニティーが増えて、その中の盛り上がりを描くのが今っぽいっすね、との事でした。

本当にその通りで、今ポップカルチャーが細分化かつ供給過多の中、たくさんの最小単位のコミュニティーができていて、たまたま出会った人が全く同じコミュニティーって奇跡に近いです。」

ほぼうちの本棚じゃん・・っていうくらいに同じ。

「だからこそ、後半の展開が残酷なのです。合わせ鏡のような関係性だったのにも関わらず、次第にずれていき、奇跡のような関係が崩れていく。この2人の関係を引き裂くものこそが『労働』だったと思います。
麦のイラストのギャラがもっと上がれば好きなことを仕事にできたし、心の余裕がなくなったのも[就業時間は5時まで]と求人を出して全然守らないブラック気味の会社のせいです。

個人的なことにはなりますが自分も当時付き合っていた彼女と別れたのは同じような原因です。自分は長時間労働しているのに、彼女の方は実家暮らしで、自分は好きな事をして生きるというスタンスで過ごしてるのがどうしても受けることができなかったのです。
今では間違いだったと猛省しております。2人の関係性に亀裂を入れるのは、恋敵、病気、身分の違いでもなく、労働という社会のシステムそのもの、という点がこの映画を身近な物語だと感じる1番のポイントだと思います。
このあたりは今までテレビドラマで、長時間労働、児童虐待、パワハラなどの社会問題を描いてきた脚本家・坂元裕二のエッセンスが滲み出ていたかなと思います。

そして終盤でのファミレスでの一連のシーンに感情のダムが決壊しました。あの結論を出せなければ、『ブルーバレンタイン』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』みたいな事になっていたでしょうね。」

そうか、だから無理して持続してもねぇ・・っていう事はあるかなぁ。

「コロナ禍の今、明大前で終電を逃して出会うなんて事はなかなかできませんが、それでも『花束みたいな恋をした』みたいな恋をしたくなりました。」というご意見でございます。

えぇとね、本当に皆さん色んな形のメールね、頂いてて、全部ご紹介したいんだけどね。

映画『花束みたいな恋をした』の批判的な意見

良くなかったという方もご紹介しましょう。「かずま」さん。

「今回、テレビドラマの名手、坂元裕二さんのオリジナル脚本という事で、彼のドラマ独特のセリフ回しがどう映画になるのか、非常に大きな期待を胸に劇場に向かいました。」と。でまぁ、色々書いて頂いて。

「本作における2人の恋は本当に花束のような恋だったのでしょうか?趣味が共通言語となったのをキッカケに距離を縮めていくものの、結局本質的な部分では繋がりを持てていなかった2人の関係性は映画が終わってみると非常に浅いものに見えてしまいます。だからこそ2人の関係性は、現代的で逆にリアリティーのある残酷性に満ちているのかもしれませんが、こんなに残酷ならシニカルに突き放してほしかったです。」というね。で、こう色々書いて頂いて。

「一見、リアリティーのあるような雰囲気があるものの、2人の生活描写は少なく、お金の話もあんまりしないので現実感がない。」

そ、そうかな・・?

「リアリティラインの線引きが中途半端な所で止まっている気がします。2人の掛け合いが素晴らしい分、細かい部分がノイズになってしまい、坂元さんの脚本特有の独特のセリフ回しや説明的な部分が気になってしまいました。」

お金の話はでもあの、麦くんのイラストのギャラのアレとか結構、「うわっ!」っていうリアルさだったように感じますけどね。そして彼がやっぱ、ある方向に舵を切っちゃうのもそこなんで、意外とお金の話、労働条件問題は敷いてある気がしますけどね。はい。まぁ乗れなかったという方がいても当然だと思いますが。はい。

『花束みたいな恋をした』宇多丸さんが鑑賞した解説

皆さんメールありがとうございます。
という事で私も『花束みたいな恋をした』、テアトル東京でですね、いつも毎週ね、2回3回見たりするのは当たり前なんですけど、結構このコーナーで、『スター・ウォーズ』初日とかの例外を除いて初めて、連続で2回見てしまいました!という事です。非常にあの、入ってましたね、お客さんも。さすが、『鬼滅の刃』を抑え興行収入1位なだけのことはあるかなと思います。

恋愛映画というより、恋愛についての映画

という事でですね、これまでにも恋愛映画というより、恋愛についての映画、つまりその、暴力映画ではなく暴力についての映画があるように、恋愛についての映画。まぁ要は僕が、お気に入りジャンルとしてよく言うまぁ倦怠夫婦物、倦怠カップル物っていうのはまさにその一部、恋愛について考察する映画というか、恋愛について思考させられる映画というか、その系譜での傑作名作がいっぱいある要はですね、「恋愛の成就がゴールになってる訳じゃない話」まぁいわゆるラブコメ、ロマンティックコメディとかだと恋愛の成就がゴールだったりしますけど、そうじゃなくて、むしろその先の困難や絶望を描く。

ひいては、我々自身のその人生の、その生の限界というかな、限定性というか。でも、それが限定的だからこそ非常に、だからこそ尊く愛おしい、っていうのを浮き彫りにして描くような、そういう系譜での傑作、名作。映画史には色々ある訳なんですが。

恋愛の一番いい時期と、もうダメになっちゃった時期を1つの作品の中で対比

その中でも特にですね、恋愛の一番いい時期と、もうダメになっちゃった時期を1つの作品の中で対比させるという、まさに鬼畜の所業とも言うべきストーリーテリング技術により我々観客の心のカサブタをですね、メリメリと剥がしにかかってくるタイプの傑作群というのがまぁ、ちょいちょいありまして。

たとえば、僕の映画評で扱った中で言っても、やはり2010年の『ブルーバレンタイン』。あるいは2009年の『(500)日のサマー』であるとかですね。あるいはそうした構成。あの、要するに『ブルーバレンタイン』とか『(500)日のサマー』みたいに、いい時と悪い時をこう交互に、カットバック的な感じで見せるみたいな、そうした構成のひょっとしたら元祖と言えるかもしれない、1967年。スタンリー・ドーネン監督、オードリー・ヘップバーン主演の『いつも2人で』というね。ちなみにこれパンフレットの大友良英さんのインタビューで、「オードリー・ヘップバーンを輝かせるためにヘンリー・マンシーニが曲を作るような方法じゃないな。」なんて事を発言していて、これはもう明らかにこの『いつも2人で』のことを書いてる。

つまり、『いつも2人で』みたいなアプローチは取れないなと思ったぐらい、やっぱり話の構造としては近いなと思われたという事だと思うんですけどね。

純愛映画ではなくて、純・恋愛映画

あるいはですね、フランス映画であの、『ふたりの5つの分かれ路』というね、これも胸をえぐるような作品であるとか、さっき言ったようなその恋愛関係の否応ない変化をクライマックスで一気に凝縮して見せていくという、本当に凶悪極まりない作りの『テイク・ディス・ワルツ』とかですね。色んなまぁ、そういう系統の作品が心に突き刺さって一生取れないような作品が一杯あるんですけど、今回のその『花束みたいな恋をした』はですね、明らかにそうした、今言ったような作品群の系譜上にありながら、恋愛というものを見つめる、考察する目線の、言ってみれば純度の高さって言うか混じりっけのなさにおいて、ちょっと突出してる。
意外とありそうでなかった、いわば純・恋愛映画っていうか。純愛映画ではなくて、純・恋愛映画というか、になっているあたりがすごいなと思いましたね。

ドラマを起こすための外部要因というものを持ち込まない

つまりその、ある男女が出会い恋に落ちて、落ちるんだけども、それがやがて否応なく変質していくというその話の中で、この『花束みたいな恋をした』が、これあの、メールに書かれていた方も多かったですが、あるいはね、坂元さんご自身がいろんな記事でも仰ってますけど、よくあるような、そのドラマを起こすための外部要因というものを持ち込まない。例えば第3のキャラクターを交えた三角関係になるとかですね、病気になっちゃったとか、事故にあっちゃったとか、事件にあっちゃったとか・・とにかく、そういう何か大きめの、あるいはちょっと異常性のある荒波を起こして2人の関係性を揺さぶるというような事を、この『花束』は基本的に一切せず、せいぜいオダギリジョーが、オダギリジョー力(りょく)のみによって、不穏なある種の磁力を感じさせるといった事だけ。ね。

絹ちゃんと麦くんと時間、この3つが主役

といったぐらいで、あくまで有村架純さん演じる絹ちゃんというね、子と、菅田将暉くん演じる麦くんという、この2人の関係性だけに焦点を絞って。あえて言えば、絹ちゃんと麦くんと、もう1つ。社会とか時間とかっていう、もう1つの、僕はやっぱりその時間がもう1人の主役だと思うんですよね。時間が過ぎることによって社会と直面せざるを得なくなるという事で、絹ちゃんと、麦くんと、時間がこの映画の3人の主人公だと思うんだけど。

とにかくこの、誰もが自分とね、同世代だった頃。まぁ20代始めから後半にかけて。要は学生から社会に出て行くタイミング、一大変化の季節を投影しうる。特にそのパートナーとの同居、からの解消、みたいなのの経験があれば、なおさら強く共鳴してしまうような、この最高にかわいらしい愛おしいカップルがですね、その時間の経過に伴う、諸々の変化に、どう否応なく変質していくか、という。これをですね、有村架純、菅田将暉両氏のですね、見事に実在感溢れる、繊細で自然な演技というか、もう在り方と表現したいような、その画面の中での佇まい。

本当に5年間を彼らと共に、もしくは彼らとして生きたかのような

そして、あるいは彼らを取り巻く、2015年から2020年の日本、東京を実感させる様々なディテールの丁寧な描き込みによって、あたかも本当に5年間を彼らと共に、もしくは彼らとして生きたかのような、しっかりとした重みを伴う記憶のような感慨を、見る者に植えつけてしまう。だから今、俺の頭の中にはやつらが住まってしまっているという、そんな作品になってる訳ですね。

今回この物語ですね、まぁその主演の2人に当て書きで。オリジナルで作り上げた、先ほどから何度か名前が出ています、坂元裕二さん。

坂元裕二さん

まぁ数々のね、本当に20代・・それこそ20代前半から大ヒットドラマシリーズを数々手がけてこられた訳ですけれど。特に近年はその、先ほどのメールにもあったように社会問題を見据えた作品でさらに評価を上げてきたという感じですけども。

例えば僕が見ている中で、僕ちょっとね、そこまで全作品を追いかけているような熱心的なファンじゃなくて申し訳ないですけど、僕が見ている中でも、今回も監督として組みました、その土井裕泰さんと組んだ『カルテット』2017年。これ言うまでもなく、私のラップパートナーであるMummy-Dさん出演でも知られる、これまた傑作ドラマですよね。

ある意味だからもう。私はもう。事実上もう。『カルテット』関係者っていう。はははははは。(笑)
恥ずかしくねぇのかお前っていうね。はいはい、まぁそれはいいんだ。『カルテット』の中の、松たか子さんとクドカンさんの夫婦のエピソードがあるんですけど。あれとか、あるいはこれずっとね、前から人に勧められてて今回遅まきながら一気見をしたんですよ今週。『最高の離婚』とかね、あと考えてみたらその出世作である『東京ラブストーリー』だってそうなんですけど、さっき言ったようなその倦怠カップル物、実は非常に坂元さん得意とされてるというか、繰り返し描いてきたとも言えると思うんですよね。

倦怠カップル物が得意なのでは

まぁ今回の『花束』にもその『カルテット』の松たか子・クドカン夫婦の、なんていうかな、お互い共有したいところが共有できない悲しみであるとか、あるいはその『最高の離婚』における特にやっぱり恋愛初期と今の対比であるとか。そしてその『東京ラブストーリー』の特にやっぱりあのちょっと、意外なまでにドライな着地っていうかな、あの感じなどなどですね、これまでも坂元裕二作品で描かれてきたような他の作品もきっとエッセンスね、ファミレスでの会話とかね、あの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』クライマックスのファミレスの会話とかも含めて、ある種そのエッセンスが研ぎすまされ、集約されている一作という風にも言えるんじゃないかと、ちょっと集大成的な感じもあるかな、という風に思いました。

ラスト近くから始まるんです!

まぁお話の作り自体はですね、実は先週の『KCIA南山の部長たち』と同じですよ!ラスト近くから始まるんです!ね!で、お話全体の行き着く先っていうのを先に示す作りなんですねだからね。これちなみに坂元さんが自分は映画にはあまり向かない作り手だと思ってた、と。テレビドラマシリーズは、結末というか、行きつく先をあまり考えずに作ることができて、それが好きだからっていう風に仰ってるんだけども、この作品のように行き着く先が先に設定されて、そこにっていう事であれば、これは上手く行った例という風に言えるかもしれませんけど。

自分の似姿としての理想のパートナー

特にですね、この話の肝となるのはやはり、これ僕の表現で言うと、自分の似姿としての理想のパートナー。という、美しくも儚い幻想というあたりがやっぱり1番の肝かと思います。劇中大量に登場するその2015年から2020年にかけての彼らの興味、趣味を反映したサブカルチャー要素というのがある訳です。

ちなみにこれあのね、先ほど言ったように、坂元さん、具体的な個人に対するリサーチに基づく物、という事で。なるほど、全く嘘が感じられないというか、確かにこういう人いるよねっていう感じがする、実在感がある並びになってるんですけど。で当然その、そうした個々の固有名詞に対して、やいのやいの言って楽しむ事もできる、そういう余地がふんだんにある作品なのは間違いないんですが。

ただ一番肝心なのは、そうしたそのサブカルチャーへの傾倒というのはですね、絹さん、あるいは麦くん。両者にとってですね、それ以外の世界、他者たちと自分を隔てると言うか、自分を守ると言ってもいいかもしれないけど、自分というものの固有性を構成する、まぁ言ってしまえばアイデンティティの一部でもあるという事ですよね、はい。

周りの人に埋もれている人に見える、役者のすごさ

だからこそ、その麦くんと絹ちゃん。この2人ね、有村さんと菅田くんが演じていながら、ちゃんと序盤では、周りの人に埋もれている人に見えるというあたりがやっぱりスゴイですよね、役者さんってね。だからこそ序盤、彼らが互いに共通する物を1個1個見つけては、距離を縮めていく。要するに、自分の似姿をついに見つけた、ソウルメイトについに出会った的な喜び。という。それをだから、その自分にとって大切な何かと置き換えつつ見る事が出来る訳です、観客我々は。

だから、あのあふれかえる固有名詞達は全部分からなくてもいい!むしろ分からない方が、この2人は分かっているっていう、その2人の固有性が際立つから、むしろその方がいいくらいなんですね。はい。という物だと思って下さい。

恋愛最初期のくだり、非常によく出来ているポイント

で、彼らのその恋愛最初期のくだり、非常によく出来ているのは、例えば着ている物もですね、わかりやすい所では2人ともジャックパーセル履いてるとか、あとはその霜降りのパーカー同じようなのを着て、あとはJAXAのエコバックを両方持ってきているとかあるんだけど。アイテム的にもまぁ意図せずしてペアルック化しちゃってるっていうのもあるし、あとは場面場面で、例えば青と白であるとか、黄色と緑であるとか、アイテムとしては違うんだけど、トータルで見ると色としてちゃんと対になっているみたいな、スタイリングになってたりする訳ですね。このへんも本当に上手いですし。

あとですね、その坂元裕二さんの元のシナリオと実際の映画を比べると、有村架純さんと菅田将暉さんが、あれアドリブなのかね?だから、ごくごく自然な、本当の会話に思えるような会話感を、実は細かく足してて、それがそのそれぞれのシーンに厚みというか、温かみを増しているところ。これが随所にあって、これがさらに感心、感動してしまうあたり。

作品の魅力をさらに増しているアドリブ

例えば、麦くんのアパートに初めてその絹ちゃんを連れてくる所。大雨に降られてびしょびしょの服を脱ぎながら、「いやー、しかしすごかったね、雨がすごかったね。」「うん。でもちょっと楽しかった。」「あははは!」あれシナリオにないやり取りですし、あるいはさっきのね、居酒屋の「すいません」っていうあの謝り方。あれもシナリオにはないですし。あるいはその後、家に来てから、麦くんが作った、焼きおにぎりを絹ちゃんが2つ食べるという所で、最初有村さんがおにぎりを頬張りながら、「もうひとついいですか?」って言って。
それに対して菅田さんが、笑いながら「えっ、なんて言ったの?」つって、「これ、もらっていいですか?」「あぁどうぞどうぞ。」っていう、このちょっとしたやり取り。本当、こういう所にこそ、そういう素敵なやり取りをシナリオからさらに膨らませて足している、というあたり。これが本当にこの作品の魅力をさらに増している。

『花束』前半部の素晴らしさ

確かにこうした何気ない瞬間こそが我々の実人生においてもですよ、本当は、本当は1番の宝ですよね、こういう何気ないやり取り。で、それを丁寧に丁寧にごくごく自然にリアルに、しかしこれ以上ないほどの多幸感をもって積み上げていく。奇跡のような普通の時間。ね。奇跡のような普通の時間というのを現出させていく。それがまずはこの『花束』前半部の素晴らしさですよね。

でそうやって、これ以上幸せなカップルっているの?と我々自身も心底思い始めるところまで行ってるからこそ、だって駅から30分の物件、不動産屋の人も「えっ!駅から30分ですよ?」っていうね。
なんかあのへんはちょっと森田芳光映画的なこう、裏ツッコミっていう感じがしますけども、その道のりさえも幸せってもう、最強じゃないですかそんなの。

既に終わりへ向かう予感

なんだけど、その幸せな瞬間の絶頂の中にも、既に終わりへ向かう予感は含まれているのだという事を、少なくとも絹ちゃん側は何となく意識してもいるというのが、この海に行く日のくだり。映像タッチがちょっと変わりますね。あるいは音の緩急、ふっと音がなくなったり、そういう緩急も効いていて非常に胸を締め付けてくる。

その恋愛初期段階においてはさっき言ったように、自分の似姿としての理想のパートナー、ついに見つけたという喜び。それはまるで自分の人生を全肯定されたような気持ちですからそれは嬉しい。それは天にも登るような気持ちですけど。問題はやはり、どんな人であれ自分の似姿・・などではなく、他者である事には変わりがないって事ですね。

だから僕はあの、イヤホンで、同じものを聴いているつもりだけど違うものを聴いているんだ、君らはっていうのは、つまりそのメタファーだと思うんですけど。

”時間経過”という第3のファクター

まぁカップル2人の関係にですね、先ほどから言っている”時間経過”という第3のファクターがどうしたって関わってくる事で、その似姿というの物がみるみる・・その幻想がみるみる朽ちて、”他者性”がむしろ浮き上がってくる。要は、端的に言えば人は誰しも変わっていく、そして取り巻く環境も変わっていくという。特にやはり、対社会、現実の中で生きていくという事を、理想とどう折り合いつけていくか、その足並みがパートナー同士必ずしも合わないタイミング、これ当然やってくる訳ですね。

日本社会のあり方

で、その背景にはやっぱり日本社会のあり方。先ほど言ったように、まぁちょっとブラック企業的な、しかもそこに一旦、要するに昔ながらのマッチョな”俺が養ってやるイズム”みたいな所に一旦乗っかっちゃうと、それに染まっていってしまう。その麦くんの悲しさもあるし。逆に、絹ちゃんは絹ちゃんで、そういう意味でそういうキャリアを積むような職をあんまり重ねらんないうか。自分で資格取ったりとか、ちょっとベンチャー的な企業に行ったりとかするけど、女性側のその就職の難しさみたいなのもちょっと浮かんでくる気がするんですよね。

で、ここでまず菅田将暉さんが本当にですね、見事なのは、学生時代は非常におっとりしたしゃべり方をする子だったんですよね、麦くんというのは。それがネクタイを締めて以降、しゃべりのスピード自体が変わるんですよね。

それだけでもう、別人みたいなんですよ。同じ人なのに。これ、見事ですね。

有村架純さんならではのバランス

そして有村架純さん演じるこの絹さん。逆に絹さんは、何でも一旦、飲み込む人なんです。その麦くんと口論してても、麦くんの言う事を必ず一旦は「そうだね」って必ず受けてあげる。まぁちょっと大人だし、優しい、イイ人なんですよね。でも、だからこそ、その中に溜め込んでいく物っていうのをこれは有村さんが、あのかわいらしい顔の中に、見事になんというかな、基本優等生的なイイ人だからこそ、内に抱え込んだ思いっていうのの表情が、やっぱりちょっと歪んでる、ちょっとくすんでいく表現。本当に有村架純さんならではのバランスじゃないでしょうか。

見所はやっぱり口論シーン

という事でこの倦怠カップル物というジャンルはですね、見所はやっぱり口論シーンな訳で、本作これは現代日本の口論シーン、カップルの口論シーンとして、本当に最高にリアルでツライ。あれとかね、「”またか”とは思うよ、”またか”だからね!」とかね。「”じゃあ”が最近多いんだよ!」とかっていう、もう見事な・・俺もこういう事言われた事あるわみたいな感じで。

で、これを見事にやっぱり同年代の俳優であれば激しく嫉妬するに違いない。もう最高の役柄、最高の演技でこの2人が見せてくれる。以降この2人のズレがですね、それを補正しようとする努力を一応すればするほど大きくなっていくという後半。

その夜のベッドでのつらすぎる会話

例えばそのアキ・カウリスマキの映画を見ても、だし、その夜のベッドでの、そのね、つらすぎる会話。「また映画とかやってほしいことあったら言って。」なんだそれ?今日お前、サービスのつもりだったの!みたいな。こういう1個1個の、一言一言のトゲ、ささくれが重なっていくプロセス。まさに名匠・坂元裕二の技といったあたりじゃないでしょうかね。

クライマックスは坂元裕二さん十八番のファミレスでの会話

クライマックス、これは坂元裕二さん十八番の、ファミレスでの会話です。
これ私、『佐々木、イン、マイマイン』評で、こういう普通のカップルの、ちゃんとした別れを描く作品って日本で意外とないよねと言いましたけど、まさにここ。本作はまさにその究極形と言ってもいいかもしれない、このクライマックス。

というのはですね、ここは、恋愛初期のマジックが解けた後。さっき言った似姿のファンタジーがなくなった後、それでも共に生きていく2人のあり方、その可能性さえ、しっかり提示してみせる。それはそれで間違ってないかも。悪くないのかも。という、いわば苦めのハッピーエンドの可能性も、しっかりと提示していつつ。説得力を持って提示しつつ、絹ちゃんだって、そっちに行こうかなと思いかけつつ、やはり、あまりにもあの頃の私達は輝いていすぎた、眩しすぎた、って事なのかなって。

特にエンディングの切れ味。本当に思わず拍手したくなる

でもね、その輝きを背に生きていくその先の人生。あの思い出があるからこれからの人生も素敵なんじゃないというこの着地。後味はこの種の作品の系譜としては、異例なほど爽やかです。

特に、エンディングの切れ味。伏線回収としても見事そのものだし、本当に思わず拍手したくなる。日本映画の近年でこんな見事に終わる映画、ちょっとないんじゃないかな。最っ高の終わり方ですね。

とにかく先程から言ってるように僕の今、頭の中、心にはですね、この映画が、そしてこの中で生きていた彼らが、住み着いてしまった。そして、きっと見た人の多くがそう感じるタイプの映画という事じゃないでしょうか。

彼らに幸あれ。そして我々自身の人生にもですね、例えばその、大好きな人との時間や記憶、これから更に大切に生きていこうという風に思える、大事に、こう花束のように抱えながら生きていこうと思える、そんな映画でございました。

注意!カップルで見るより別個で見よう

一応、カップルで見るよりは、それぞれ別個で見て、大事にしようという気持ちを持って帰るのがよろしいんじゃないでしょうか。若干、カップルで見終わった人は出終わった後、気まずそうでした。(笑)

ということで、これはなんつーか、結構な射程を持った、名作じゃないかなと思った・・!『花束みたいな恋をした』、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

*書き起こし終わり。


○○に入る言葉のこたえ

④絹ちゃんと麦くんと時間、この3つがこの映画の主人公

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