バケモノの子のライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(https://www.tbsradio.jp/utamaru/)
で、細田守監督作「バケモノの子」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さん「バケモノの子」解説レビューの概要
①ポスト「ジブリ」!並々ならぬ覚悟で挑んだ一作
②「細田印」!監督オハコの絶妙なカメラアングルの数々
③「フィクション的・ファンタジー的世界」と「『リアルな』現実世界」2つの世界を通して描かれる主人公の生き方とは
④本作は「○○」細田版でもある!
⑤宇多丸さん的にはあと一声だったDパート
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
映画「バケモノの子」宇多丸さんの評価とは
(宇多丸)
今夜扱う映画は先週「ムービーガチャマシン」を回して決まったこの映画「バケモノの子」!
「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」で今やお茶の間にも知られる存在となった細田守監督の最新劇場アニメーション長編。バケモノに拾われた孤独な少年が、バケモノと子弟関係を結びながらバケモノの世界と人間界2つの世界で成長していく様子を描く、ということでございます。声を演じるのは、役所広司、宮崎あおい、染谷将太、広瀬すずらということでございます。
ということで、注目作でございます。やっぱ細田監督最新作となれば。感想多数頂いております。メールの量は多いです!今年も三本の指に入る多さ!あと毀誉褒貶激しいというか、細田作品は。両方言いたくなる人が多いっていうこともあるかもしんないですけど。リスナーの感想は賛否両論でございます。もうやっぱし驚きません。「細田監督の最高傑作!」と絶賛する人もいれば、「今まで細田作品のファンだったけど、これは正直ダメだった。」という声も少なくない。褒める人とけなす人の比率はほぼ半々ぐらいということでございます。褒めてる人も、「脚本的にちょっと詰め込みすぎじゃないか」とか、「後半ちょっと消化不良じゃないか」とか一言添えてる人が多かった。役所広司を筆頭に役者陣の演技を褒める声や、画の綺麗さを褒める声は多かった。基礎力はそれは言うまでもないってことでしょうから。
代表的なところをご紹介しましょう。まずは褒めてる方。
映画「バケモノの子」を鑑賞した一般の方の感想
*メザシノユウジさん
宇多丸さん、こんばんは。東京に住んでいる「メザシノユウジ」といいます。「バケモノの子」観てきました。一言で言えば、細田守監督の今監督自身ができることの集大成のような作品だったかと思います。テーマも「家族愛」だったり、横長のシーンでカメラが左右に移動するとか・・・
(宇多丸)
パーンショット。これ私もそう思います。
*メザシノユウジさん 続き
主人公の成長を、読んでる本のタイトルで伝えたり・・・
(宇多丸)
そうですね、それもありますね。
*メザシノユウジさん 続き
これらは、「おおかみこどもの雨と雪」でも見られた演出だと思いました。物語としては、「おおかみこどもの雨と雪」にとても似ている感じがします。「おおかみこども」では「母性」、それに対して今回は「父性」・・・
(宇多丸)
父親の映画と。
*メザシノユウジさん 続き
そして親が子供の個性を認めてあげることの大切さも、前作と通じる気がする。「熊徹」・・・
(宇多丸)
これ、役所広司さんが声をあててる「熊徹」というキャラクター。
*メザシノユウジさん 続き
「熊徹」から、最初から自分とは違う人間なのに気が合いそうってことで育てられる「九太」と、ある意味親に個性を否定されて育った・・・
(宇多丸)
ちょっとねライバル役の。
*メザシノユウジさん 続き
「一郎彦」との対比は、とてもわかりやすい構図で、心の中に闇を持ってるのはリアルな世界で生きてる観客も同じなんだ。その闇を爆発させないためには人との出会いが大切なのだということが、観てる側の心にすっと伝わってきました。似たようなテーマの物語を演出を変えることで何度も繰り返す監督はたくさんいると思います。これは別に悪いことじゃなくて、それが監督の作家性になっていくのだと思います。九太の修行シーンでは、ジャッキー・チェンの「蛇拳」をパロディにしていたり、熊徹のボクシングのステップがモハメド・アリのようであったりと、監督の遊び心に笑えて、そして泣けるとても良い作品だったと思います。あとこの映画、音響を体感するだけでも価値があると思いました。
(宇多丸)
音も良かったという。確かに、本の演出。白鯨を勉強してく中で、白鯨っていう作品はいろんなそっからアメリカの文化であるとか、いろんなとこに行ける作品だというのが、どんどんどんどん読んでる本が難しくなっていく感じで表現されてるのがありました。本演出というか、ブック理論。
ダメだったという方もご紹介しましょう。
映画「バケモノの子」批判的な意見
*フランシスダラハイドさん(25歳・男性)
僕は細田監督の「時をかける少女」に衝撃を受け、そのままアニメ業界(背景描く人)に進んだほど細田さんに影響を受け、なおかつ尊敬しています。細田さんが現在進行形でアニメ業界を背負う人間であるということは間違いないと思っています。それを踏まえた上で感想を聞いていただきたいのですが。この「バケモノの子」正直言って非常にがっかりでした。いやとにかくもったいないと言ったらよいのでしょうか。とにかくクオリティは最高レベルに高いし、監督の気合は十分伝わってくるのに、それらがなんとも空回りしている印象です。自分が**(3:38)要素はたくさんあるのに、それらはひとつひとつをじっくり見せてくれない。キャラクターもストーリーも展開がとにかく早すぎて、観客がちゃんと把握したり感情移入する前に次にいってしまいます。特に、広瀬すずさん演じる・・・
(宇多丸)
というか、声あてている、女子高生「楓」。ヒロインがいる。
*フランシスダラハイドさん 続き
女子高生「楓」、本当にこの映画に必要でしょうか。何だか強引に役割を与えて無理に登場させただけに感じてしまいました。「サマーウォーズ」の批評で映画批評家・町山智浩さんが指摘していた、ヒロインのキャラクターが弱すぎるということはこの映画にもモロ当てはまると思います。それも含め、とにかく今現在観客が劇場アニメーションに来て求めていること、そして監督自身がやりたいこと、その全てを立場的に一度の機会に達成しようとしすぎて、逆に迷走してしまったのではないでしょうか。2時間の映画に様々な要素を詰め込みすぎてて、僕はその要素のどこにも乗れなかったです。
(宇多丸)
とまあ、いろいろ細かいこと書いてる。
*フランシスダラハイドさん 続き
それは、細田監督の才能に匹敵するライバル的アニメ監督が今現在の日本に存在しなくなった。細田さんの価値観とは別の、いやむしろ細田さんの価値観を批判するような作品を作れるアニメ監督がいなくなった。それこそが細田さんを迷走させている最大の原因であると思います。
(宇多丸)
という分析であるとか。
*フランシスダラハイドさん 続き
今後細田さんには腰を据えて、慌てずに、そして一人で全てを背負い込もうとせずに、じっくり次回作に取り組んでいってほしい。
(宇多丸)
とか、業界内部の方ならではのいろいろな分析をしていただいております。ありがとうございます。皆さん、ありがとうございました。
映画「バケモノの子」宇多丸さんが鑑賞した解説
さあいってみましょう「バケモノの子」。私も結果3回観てまいりました。昨日無茶にも2回連続で観てきてしまいましたけど。これ前も言ったかもしんないけど、とにかく十数年前からずっと、この人はいずれそういうところまで行くだけのタマだと、行くところ行く作り手だっていう風に思い続けてはいたけれど、ここにきていよいよ本当に細田守監督、名実ともにいわゆる国民的アニメーション作家的な立ち位置に本当になりつつあると。本人がそれを望んでいたかどうかは別にして。特に、今回の「バケモノ子」は、ジブリが「長編映画はもう作りません」って宣言した後の作品ってことで。そのジブリの人材である、結構超豪華なメンツが、原画とか見るだけでも、あの高坂希太郎さんとか「おお!こんな人が普通に!」みたいな。豪華な人がずらり並んでて、とか。あとジブリ関係でいうと、ジブリの作業机をスタジオ地図が格安で譲り受けたとか。そういうとこも含めても、何ていうんですか、スタジオ地図がやっぱそれこそ背負い込まざるを得ない状況になってるというか。ということで、その背追い込んでいるもののデカさ、そしてそれを引き受けてやろうじゃないのという覚悟が伺える一作なのは、これ絶対間違いないと思います。
前作「おおかみこどもの雨と雪」
ちなみに、今回の「バケモノの子」観てから振り返ると、前作「おおかみこどもの雨と雪」。この番組では2012年8月8日、ちょうど3年前やりましたけども。様々にやっぱ破格のっていうか、細田さんのフィルモグラフィーの中でもやっぱ突出した実験的超大作っていうか、ほんっとに変わった作品でした、やっぱあれは。ぶっ飛んでるあれは、だったっということは改めてよく分かるなあというふうに思いました。
その分やっぱ毀誉褒貶もより突出して激しい作品になったということだと思いますけど。僕はやっぱ改めて観直したけど、やっぱこれとんでもねえなと思って。「おおかみこども」は。超ド級の名作だというふうに私は今でも思っておりますが。それだけに今回の「バケモノ子」は、振り返ってそういうふうに前作「おおかみこども」を思うくらい、対称的なアプローチをしていると。もうパッと見わかりますけども。もちろん細田監督のオハコっていうのは、どの作品にも押されてる「細田印」ってのがあるわけです。例えば分かりやすいとこでいうと、引き画です。こんなに引き画を効果的に使う監督はいない。特に、「おおかみこども」は本当に改めて観たら呆れるほど引きの画が多い作品でしたけど。
非常にクールなパンショット
とか、同ポジ、同じポジションのカメラでそれの変化で逆にしたりとか、何か物事の変化を見せるという演出だったり。かと思えば、所々で放り込まれる、先ほどメールにもありましたように、「うまい!」と唸らざるを得ないような、非常にクールなパンショット。たとえば横だったら、横のカメラがふーっと動いて、それがまた戻って、また戻ってみたいなところで、非常にクールに何事かを見せるという、「うまい!」としか言いようがないパンショット使いとか。
もちろんそういう「ザ・細田監督オハコ」の印が、トレードマークが、今回も要所で効いてるんだけど、「おおかみこどもの雨と雪」ほどそういう、なんて言うかな、言ってみれば映画的な「引きイズム」って言うんですか、映画的な演出術というか。それがエキセントリックに展開されているのが「おおかみこども」だと思うんだけど。それが、「引きイズム」が徹底されるんじゃなくて、どっちかっていうと、例えばアクションの場面だったら割とオーソドックスに普通にミドルショット、バストショット重ねて、何ならキャラクターのエモーションが爆発させる瞬間ではもう普通にアップでガーっといって。なおかつそこにちゃんとエモーション爆発のセリフ使いが重なる。
より普通に日本のアニメっぽいアニメ表現
今回「SWITCH」のインタビューによると、プロデューサーの川村元気さんプロデュース、今回は大事なことをちゃんとセリフで言うっていうのも今回のテーマの一つだ。だから、ちゃんとアップでワーっつって、それで大声でエモーションのセリフを言うという。言ってみれば、より普通に日本のアニメっぽいアニメ表現というか、そいうところに回帰してるとこは結構あるというふうに僕は思いました。
特に、例えばオープニング。仏教映画っていうか、カンフー映画調の仏教風映画風オープニングとか。前半、初期ジャッキー・チェン映画、特に監督自身も言ってますけど「蛇拳」。特に足形を訓練に使うところとか。主人公の境遇とかも含めて、「蛇拳」とか。
「カンフーパンダ」などを直接的に連想させる前半部
ひいては、師匠もまた成長するっていうカンフーコメディっていう意味では、大傑作「カンフーパンダ」。2008年8月2日にやりました「カンフーパンダ」などを直接的に連想させる前半部であるとか。「千と千尋」の同じ異界ものでも、「千と千尋の神隠し」のあの街を思わせるようなとこもあるんだけど、ほどはおどろおどろしくない。言っちゃえば、動物人間の街じゃないですか。「どうぶつの森」みたいな。動物人間の街、渋い天の街と書いて「渋天街」の描写含めて、ちょっとこういう言い方でいいのかな、アニメっていうのが日本の大人達の慰みものになる前の、いわゆる漫画映画っていうのを今改めてやってやろうっていう。それこそ国民的アニメ作家になったのだから、という気概を感じさせる、特に前半部ってことじゃないですか。
役所広司さん演じる「熊徹」
例えば、「熊徹」という役所広司さん演じている、何て言えばいいのかな、毛むくじゃらの、キャラクター的には監督とかいろんなインタビューでも出てますけど、言っちゃえば「七人の侍」の「菊千代」です。ものすごい「三船敏郎」ぽいっす。「熊徹」と「九太」という、「九太」は名づけられた名前ですけど、その主人公の少年のじゃれ合いつつの鍛錬シーンとか、その辺りとかすごく細田さんの、細田さんやっぱコメディーセンス僕あると思ってるんです。毎回笑かしてくれる、きっちり。最高に発揮されてて、ストレートに楽しいし。あと僕細田さんのこういう、「サマーウォーズ」のときも感じたんだけど、モブシーン、人がこうわーっているシーン。例えばこの動物の街で後ろにいる連中のあまりといえばあんまりな何かヌケ具合。あれがすごい笑っちゃうんすよね。ユルさとか。あと主人公の後に入った弟子たちがもうあからさまにダメ感の、そのヌキのあまりといえばあんまりなヌキ具合の動物人間達。あいつらが「すいません!すいません!」みたいなこと言うとことか、最高笑うっていう。ギャグも効いてるし。
熊徹とライバルの「猪王山」が対決するシーン
もちろん熊徹とライバルの「猪王山」が対決するシーンとか、バトルシーン。アクション、アニメとしての醍醐味っていうのももちろん堪能できて。その前半部っていうのは割と多くの人が、まあまあ質も高いですし、楽しいし、安心して観れると思うんです。主人公・九太の成長を描いていく。それを例えば木の成長とか、季節の移り変わりと重ねてからの、ずいぶん大きくなったなーっていうところからの、パッっとこうせりふで。最初に「九太」って名前をつけるのは9歳なんだけど、「今お前いくつになった?」、こうやってこう無言で手で「17」ってやって、「じゃあお前は今日から十七太だ」。これは要するに、用心棒的な三船敏郎オマージュですよ。そういう雑なネーミング。「じゃあ今日からお前は十七太だ」「九太で結構だ」って言った瞬間に、「あ、声変わりしてる!」。あそこまでの成長のあれを一気に見せる手際なんか、もう細田さん真骨頂っていうか、うまいなー惚れ惚れする。僕ああいうとこ見てるだけでポロポロ泣いちゃいますけど。「うまっ!」っていう。
ファンタジー的な世界観の中だけで終わらせないのが細田守さん
で、実際この渋天街、動物人間達の街、ファンタジー空間、その中で全部物語を終わらせれば別に無難に面白い映画になると思うんですよ。普通は俺多分絶対そうすると思うんです。カンフーパンダとかそういうことなわけだから。なんだけど、ファンタジー空間、ファンタジー的な世界観の中だけで終わらせないのが、やっぱり細田守さんだという感じがします。
ということで、前半部はそういう感じで割とジャッキー・チェン映画オマージュみたいな感じで安心して観れるんだけど、中盤から一気にトーンが変わるわけです。大人になった主人公が青年になって。
こういうことだと思います、細田さんの作品。ファンタジー的・フィクション的世界観、今回でいえば「渋天街」、と「リアルな」、ここちょっと括弧付きにさしてください、「リアルな」現実世界を、ほぼ必ずと言っていいほど平行させて描くんです、細田守さんは。で、しかも今「リアルな」って括弧付きで言いましたけど、確かに「リアル」なんですよ。今回であれば、渋谷の街並み、異常に「リアル」に細密に写し取ってるんだけど。つまり我々にとっては日常空間であるはずなんだけど、アニメで描かれる作品内、もしくは主人公の主観的・物語的には、むしろその「リアルな」現実社会ってのは何かよそよそしい、とりつく島もない、冷酷な、むしろ何か不穏な印象を与える世界として現実世界側が対比されるということが多いわけです。
細田守監督作品というのは
で、細田守監督作品というのは、その二つの世界「フィクション的・ファンタジー的世界」と「『リアルな』現実世界」、その二つの世界の狭間に例外的に事故的に生きる事になってしまったある人物が、それゆえの絶対的孤独、二つの世界両方知ってるのはその人、もしくはその集団、もしくはカップルなりなんだりでもいいですけど、そいつらしかいないわけで、どちらの世界にも居場所がない、もしくはどちらの世界でも理解されないという立場的な、絶対的な孤独に苦しみつつ、最終的にその二つの世界を生きる人間なりのアイデンティティを見つけ出してく、生き方を切り開いてく。極論すれば、細田さんの長編映画は常に毎回この話をやってます、ということだと思うんです。
アニメならではの面白み
で、それは同時に、少なくとも細田守というアニメ作家が考えるアニメならではのアドバンテージが最大限に活かせる設定っていうことだと思うんです。つまり、割とリアルに見える現実界とファンタジー的世界感を並行して描く、それを行き来するような設定であることで、アニメっていうのは本来異なるリアリティの基準っていうのを同時に、もしくはシームレスに描くことができるっていう、これがアニメのアドバンテージだっていう。そのアドバンテージがみえやすい、アニメならではの面白みっていうのが出しやすいという、そういうことだと思うんです。
「バケモノの子」は、特にその構造が非常にわかりやすい作品
で、今回の「バケモノの子」は、特にその構造が非常にわかりやすい作品だというふうに私思いました。何しろ現実のように描かれた渋谷の街と、いかにも漫画映画的な渋い天の街と書く渋天街は、明らかに鏡像関係なわけです。地形から何から、完璧に鏡像関係として描かれてると。で、その間をブリッジする象徴的マスコットとして「チコ」っていうキャラクターがいたりする。最初に渋谷の街のところでちょろちょろって出てくるじゃないですか。あれ実写映画だったらおかしいわけです。あんなのが出てきたら。でもアニメだとシームレスにそこが描ける。あるいは「おおかみこども」でいえば、いきなりぴょーんて耳が出るとか、そういう、実写だと「そんなアホな」ってことがアニメだとしれっとシームレスにいけるっていうとこをアドバンテージだと考えてらっしゃると、細田さんは、ていうことだと思います。
作品のトーンを一気にダークに急展開
で、先ほど現実の渋谷と渋天街が鏡像関係って言いましたけど、そういうふうに劇中「白鯨」っていうメルヴィルの小説が引用されますけども、様々なメタファーを読み取りたくなるような、実は重層構造が用意されてると。最初、漫画映画的って言いましたけど、後半以降はそれどころじゃなくなってくるわけです。むしろちょっと難解な空気すら出てくると。さっき言ったように、前半部のトーンだけで通せばもっと穏当な漫画映画、いわゆる東映動画伝統の漫画映画2015年版ってことで、別に無事済むところを、細田さんは映画中盤でどうしても不穏な空気を持ち込みたくなっちゃうわけです。ふたたび、さっき言ったようによそよそしい不穏な現実社会に主人公を引き戻して、作品のトーンを一気にダークに急展開さしてみせるわけです。
僕はむしろ、今回宣伝コピーとかで「少年向けの大冒険活劇」みたいなありますけど、俺観終わって残った印象は、むしろやっぱダーク側の方が多かったです。やっぱ細田さんの描く闇っていうのが、実は結構本気で怖いからなんすよ。「サマーウォーズ」以来、あの悪意っていうか、純粋な悪意みたいなものを描いてるからだと思うんですけど。結構ドスンとくる。むしろワンピースの「オマツリ男爵」とかのあの禍々しさ思い出すぐらいの感じだったりしました。
主人公とヒロイン・楓の出会い
で、先ほど言いましたように、その二つの世界の狭間にいる主人公とヒロイン・楓っていうのが出会うわけです。ちなみに序盤主人公が少年時代渋谷を彷徨ってるとこで、何気に楓の幼い時ともすれ違ってたりするという。そういう周到さもございます。なんですけど、とにかく二つの世界の狭間でこの二人が出会うというところ。これやっぱり「おおかみこども」の序盤にも通じる、さっきも言ったように、その二つの世界の狭間にいるという孤独ですよ。この二人しかそれを共有してない、もっと言えば、九太しか共有してないんだけど。その寄る辺なさ、世界にこの二人きり感というか、分かりあってんのはここしかないみたいな感。個人的には、これぞ細田映画な感触を感じるとこなんですよ。
で、観ながら、「おおかみこども」もそうですけど、「もう話はいいから幸せになってくれ!」っていう。「話はいいから大学とかちゃんと行って!」みたいな感じがする。でもここで描かれていることは非常に重要で、社会の隙間で育った・育てられた子供が、再び社会化していけるのかと、きちんと社会に帰っていけるのか。そしてそこで彼を助ける人がいるような社会なのか、世界なのかどうかっていうのは、我々現実の大人達にとっても非常に実は普遍的な話でもあるなというふうに思います。
ホームレスの現実
渋谷を、ホームレスっていうか、少年が彷徨って生きてるなんてそんなことあんのかっていうふうに僕最初一瞬思ったんですけど。実際例えば僕教えられて知ったのは、「歌舞伎町のこころちゃん」って写真集になってますけど、お父さんはいらっしゃるんだけど、ホームレスのコミュニティとかホームレスの生活空間でしばらく暮らしてた女の子の話。これは結局、カメラマンの方がいろいろ介入したこともあって児童相談所に預けられている、みたいなことですけど。これとかさ、現実にこういうことあるし、日本の、今、ストリートチルドレンっていうか、そういう親の庇護を受けられずにやってる子はどの程度いるかとか把握もできないし。これからの時代、ますますありえない話じゃないと思うし。そんな極端な子供じゃなくても、例えば渋谷区の区役所の人、怒んないかなと思いましたけど、不親切な奴もいれば親切な奴もいる。動物界だってそうなわけで。そこでちゃんと社会の一員として、ダメ人間なりにコミットできるかどうかみたいのは、普遍的な話でもあって、「いいこと言うな」と思うと。
敵役・悪役に当たるキャラクター
あと、先程チラッと名前出ちゃいましたけど、主人公の九太と鏡像関係にあたる、敵キャラというか、悪役に当たるキャラクター、悪役っていうにはちょっとあれですけども、闇に飲み込まれてしまうキャラクターというのがいるんですけど。これとかも非常に普遍的な読み込みいろいろできるなと。例えばあるコミュニティの中で、被差別的な出自を持つ者同士が、闇側に転んでしまうのか、その出自ってのを認めたうえでこうなんとかしてくのか。周りの人間の扱いも含めてですけど。っていう話ともとれるし。あるいは、仮面優等生ゆえの闇っていう意味では、クライマックスでヒロインの楓、非常に評判一部では悪いようですけど、楓が彼に反論するわけです。それは俺ちゃんと理があると。彼女の鏡像でもあるわけです。仮面優等生ならではの闇を私だって抱えてる、とか。
あとは、「おおかみこども」がもっと大胆にやっちゃってるから、最早普通に見えちゃうかもしんないけど、これだけのストーリーのタイムスパンでアニメキャラクターの肉体的・精神的変化を表現するっていうこと自体が、やっぱ結構そんなことやってるアニメないしっていうか、凄いことだなというふうに思ったりします
お父さんの未成熟感
あるいは、あとは細かい描写だと、「九太」こと実名は「蓮」っていう名前なんですけど、実のお父さんの、あのお父さんなんだけど未成熟感というか。細田さんは以前から個人的にお話したときも、今時のお父さんっていうのはアニメでよく出てくるようなお父さんじゃないはずだと。もっと若い感じ、未熟な感じがするんじゃないかなんてことをおっしゃって。まさにそれだと思う。で同時に、背後の工事予定地の変化とか。もちろんフード演出もあります。二人で料理食べるのかどうかみたいなとこまで含めて、きめ細やかな演出は言うまでもなくということでございます。
「そして父になる」細田版
今回の話はつまり、「そして父になる」細田版でもあるということだと思います。無論、熊徹と九太のツンデレ師弟関係、それの最後の、ツンデレなやり取りしてからのバシーって、もう最高!って感じで。親指立つあたりでございます。
あと「おおかみこども」に続いてのあの目の色の演出であるとか、細田さん演出のちゃんと怖い時の本気で怖い演出とかも本当見事なものだと思います。
ただ、今、熊徹と九太のバシーっが最高って言ったけど、その直前、猪王山との試合、どっちが勝つかみたいな試合のところで、九太がワーってこう出てきて、そっからクライマックス感動的になってくるんだけど、8カウントまでいったところで九太が登場して、審判がカウントをそこで止めるんですよ。で、しばらくしてから立つじゃん。「それはインチキじゃねえ!?」みたいな。なんてことはどうでもよくて、比較的どうでもよくて。こっから先、今回細田作品ですから、さすがに他と比べてもものすごく高いレベルをもう十分クリアしてるっていう前提でもちろん聞いてほしいんですが。先ほどの苦言を呈されてるメールの方とテンションがちょっと僕に似てると思います。
終盤
問題はそっから先の終盤。画コンテでいうとDパートだと思うんですけど。そもそもなんで一郎彦が闇を抱えたまま、なんで現実世界にあいつがいってるって分かんの、とかそういう分かりやすい突っ込みは置いといて。現実の渋谷ってのを舞台にした立ち回り。こっちは現実の渋谷ってのを舞台にした大立ち回り。それこそ、プラス「劇場用デジタルモンスター」。僕大好きですよ、99年の1作目を思わせる、怪獣映画的な展開が待ってたりして。渋谷を舞台に怪獣映画っつったら、「ガメラ3」かみたいな感じですけど。アクションアニメ映画として非常にワクワクするはずのクライマックスでありながら、同時にこのクライマックスが、その心様の闇というのを巡る、それも非常にメタファー的な表現が多用される、どっちかっていえば、哲学的っていうか、観念的な戦いなんですよ、すごく。で、言ってることはもちろん分かるんです、観念としては。なんだけど、今回の「バケモノ」は観念的な戦いを割とまんま観念的な台詞で説明する局面が非常に増えてくるんです。ていうのは、やっぱり難しいからだと思うんですけど、これを純画的に説明するのが。
例えば、あいつの俺の胸の穴に飛び込んでナントカカントカ・・・って言うんだけど、観念としては分かるけど、「それは何で君が、その、しかもこんな説明台詞で言わないと、しかも納得もできないし・・・」みたいな感じになっちゃって。正直そういうセリフがだんだん増えてくるのが「あー、あー、あー・・・」っていう。細田さんの少なくともフリーになって以降の長編を観てて、初めてちょっと「あ、あ、そうきちゃったか・・・」ていうの、ちょっと味わったあたりです、残念なあたりでした。
渋谷の怪獣映画的な展開
渋谷の怪獣映画的な展開、もうちょっとじっくり観たかったけど、あれ以上破壊行動があると死者が確実に出るでしょうからっていうとこで難しかったのかもしんないですけど。現実の渋谷から明治神宮前の辺りにかけての地理が分かる分、僕らとか東京在住だと、移動しつつのいろんなバトルとかワクワクはそれなりに続くんだけど、結局やっぱり起こってることの派手さの割に、ものすごく観念的な描写とか台詞に終始してしまった感はちょっとあるかなというふうに思いました。正直なんで、例えばあいつを倒せたのかが、僕3回も観たけど「え?これはどこを何を切って、何でこうなってんの?」みたいのが、ちょっとイマイチ得心しづらかったというところはあると思います。
メッセージそのものはとても素晴らしい
メッセージそのものはとても素晴らしいと思います。「胸の中の剣として生きる」っていうのは、こういうことですよ。「ひとりがさびしくないのはひとりじゃないからさ/いつだってまた会えると疑っちゃいないからさ」という。非常に良い歌詞を書いた人が最近いますけど。そういうことだなーと思ったりとか。あるいは、手に巻いた赤い紐を継承していくとか、非常に演出としても上手いとこはむっちゃ上手いんですよ、やっぱ。上手いんだけど、と。もうちょっとなんか・・・っていうふうにはつい思ってしまいました。
あと、細かいとこだけど大事なとこ。先ほど、「チコ」って、フィクショナルな世界と現実をつなぐブリッジ的な象徴・マスコットって言いましたけど。僕はこれ、九太の内面が生み出した、ある種、母の慈愛の残響みたいな存在と受け取ればまあ、っていうふうに思って観てたんですけど。他の人と絡む場面がチコはないので、そういうことなんだろうなと思って観てたんですけど。なんとクライマックスで、ヒロイン・楓がこのチコをキャッチするんですよ。その瞬間「え!?」っていう。キャッチするってことになんか意味を込めてんのかもしんないですけど。
ヒロインの楓
あとヒロインの楓といえば、最後の最後で、渋天街側で動物人間達が打ち上げしてるわけですよ、わっしょい。そもそもこの打ち上げ感もどうかと思って。そんな祝うような事態?これ?って思うんだけど、そこにそのヒロインがノコノコ参加すると。お前この打ち上げ来るか!?こういうとこの能天気さがすごい細田さん映画の楽天性だし僕は嫌いじゃないけど、人によってはイラッとくるんだろうなと思いました。「お前打ち上げに来んなよ、お前!」っていう。「お前は渋谷で打ち上げやるから渋谷で待ってろ!」みたいな感じはちょっとあんのかなと思いましたけど。
細田守監督の作家性
ということで、細田守監督の作家性というか、作家的野心も存分に実は入りつつも、現在彼が作家的に置かれた立場、ふさわしい間口の広さ・大きさに挑戦してるわけです。挑戦してる一作として、現状僕は十分以上に成功してるし面白い作品になってると思います。だからこそ大ヒットしてるんだと思います。十分満足できる作品ですが、今回特に着地、いわゆるDパート以降に関して、正直僕はもう一声、あれもうちょっとなんかほかのやり方なかったかと思うところは、ちょっと正直ありました。そういう高すぎるハードルを求められるにふさわしいところにもう来てしまったと、否応なく。全方位的にジャッジされるんだから。子供向けであり大人向けであり、テーマ的にも全部クリアしなきゃいけない。細田さんがんばってください。それに値する人だ、しようがない!しようがない!我々としては、好き嫌いは別にしても、間違いなく同時代、そしてこれからを代表する、日本を代表するアニメーションであり、エンターテインメント映画の作り手の今、現在リアルタイムというのをウォッチしていくというのは、俺はこれ自体が好きだろうと嫌いだろうと無上の喜びだと思いますので、もちろん映画館で、今、ウォッチしてください!
書き起こし終わり。
○○に入る言葉の答え
「④本作は『そして父になる』細田版でもある!」でした!