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引用:IMDb.com

葛城事件のライムスター宇多丸さんの解説レビュー

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2020年06月26日更新
この映画、むちゃくちゃ「面白い」んです。やっぱり。全編、さっき言ったように、胃がちぎれるような思いをしつつ、思わず笑うしかないようなのがあって。で、見終わった後ドスーンといっぱいお持ち帰りするものがあるということ。怖いもの見たさ的なスタンスでもいいんです、今年僕、ベスト級っていう言い方したけど、同時にワースト級でもあるというか。「もう観たくない!」って気持ちも分かります。またまた来ちゃった、ヘビー級という意味では間違いなくダントツ。セリフとかもシーンとかもいろいろ語り合って真似とかしたくなるような、本当にすさまじい作品を観てしまいました。(TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」より)

RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(https://www.tbsradio.jp/utamaru/)
で、赤堀雅秋監督作「葛城事件」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。

宇多丸さん「葛城事件」解説レビューの概要

①「地獄はそこにある」本当に観てほしい作品
②キツい・怖い・地獄、と同時に笑えるトラジコメディ的映画でもある
③客観的に見れば笑うしかないような現実の、悲惨かもしれないが、でも同時にクソ間抜けさ
④皆過去ベストアクト級のポテンシャルが出ている役者陣
⑤異常に見える存在も、実は○○であるということ

※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。

映画「葛城事件」宇多丸さんの評価とは

(宇多丸)
映画館では今も新作映画が公開されている。一体誰が映画を見張るのか。一体誰が映画をウォッチするのか。映画ウォッチ超人「シネマンディアス宇多丸」が今立ち上がる。その名も、「週刊映画時評 ムービーウォッチメン」。

毎週土曜夜10時から、TBSラジオキーステーションに生放送でお送りしている「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと「シネマンディアス宇多丸」が毎週自腹でウキウキウォッチング。その監視結果を報告するという映画評論コーナーでございます。

今夜扱う映画は、先週「TOO YOUNG TO DIE!」1回当たったんですが、どうしてもやりたいということで、今週のがしたらできないだろうということで、自腹で1万円払って「ムービーガチャマシン」を2回まわして当たったこの映画「葛城事件」!

劇作家でもある赤堀雅秋監督が、「その夜の侍」に続き自身の舞台を実写映画化。無差別殺人事件を起こした青年とその家族、そして青年と獄中結婚した女性らが繰り広げる壮絶な人間模様を描く。主演は三浦友和、南果歩、新井浩文、若葉竜也、田中麗奈らということでございます。ということで、「葛城事件」ちなみに本当結構無理くり、「もう終わっちゃう間際だから」つって1万円払ってやらせていただいてる状態なんですけど、実は8月6日土曜から渋谷アップリンクで上映決定ということで。これは朗報です。都内でも見ることができるようになってきたということでございます、改めて、ということです。

この映画をもう観たよというリスナーのみなさま、「ウォッチメン」からの監視報告、感想、メールでいただいております。「葛城事件」、メールの量は普通よりちょっと多めかなという。でも、公開から結構時間も経ってはいますが、現状では公開館数が非常に少ない、回数も非常に少ない中でいただいてるということで、これはかなり多めというか、思ったより多めにいただいてるということでよろしいんじゃないでしょうか。そして、9割以上の方が高評価。圧倒的支持率と。が、「見終わった後もずっと引きずっている」「もう二度と観たくない」「この映画、嫌い(いい意味で)」という声が多数。それくらい強烈な印象を残してると言えそう。また、「食べ物の視点からフィクションを読み解く、福田里香先生のフード理論の観点から見てもよくできてる」との声も多かったということでございます。代表的なところをご紹介いたしましょう。

映画「葛城事件」を鑑賞した一般の方の感想

*ハヤジマさん(52歳・男性)
宇多丸さんが執念で引き当てた「葛城事件」。確かにすごい映画でした。自分も妻子ある身として、戦慄を禁じえませんでした。この映画のすごい点は2つあって、1つは葛城家の人々が特別に異常というわけではなく、我々と地続きの存在であるように見えること。もう1つは、父親である清が「俺がなにをした!」と繰り返し言い放ち、確かに犯罪を犯したわけではないのに、彼こそが全ての災悪の元凶であることを観客に納得させてしまう巧みさでした。食事のシーンがどれも貧しげなうえ、ちゃんとしたレストランで食事するシーンも清のクレームで台無しになるあたり、フード理論的にも観る者を心底げんなりさせてくれる作品でした。

(宇多丸)
「げんなり」ってのは、褒めた言葉ということですかね?ダメだったという方。

映画「葛城事件」批判的な意見

*ニシヤマコタキさん
バイオレンス邦画の良作が続く中、スプリー・キラーものとしてタイムリーな作品となってしまった本作ですが、僕はイマイチ乗れませんでした。笑っていた人物が、次のカットで急に真顔になっていたり、音声がぶつ切りで繋がっていなかったり、稔はひきこもりの割には外出の頻度すごいなとか、そういうどうでもいいディテールが気になってしまうほど映画に説得力を感じられず、時世がいったりきたりする構成も相まって、いびつな映画だなあという印象でした。

(宇多丸)
ということでございます。あとこんな報告もございます。

*ロッポンギさん
以前、「クリーピー」評の際の、あのコの字型のロケ地が家の近所だった・・・

(宇多丸)
「クリーピー」のあの恐ろしい家が、家から30秒だったという、勘弁してくれっていう投稿者いましたけど。そういう方の投稿を。

*ロッポンギさん 続き
他人ごと感覚で鼻をほじりながら聞いていたのですが、なんと今回、あの主人公の「葛城邸」が、実家の目と鼻の先でした。最初出てきたとき、「なんか見覚えがある気がするけど、まあどこにでもあるような家だから、気のせいだろう」と少し不安を覚えつつ観ていたのですが、三浦友和が自転車で上がっていくあのシーンで不安的中。「クリーピー」の方もこんな気持ちだったんでしょう。この嫌な気持ち誰かに伝えたいけど、隣で観てる人に言うわけにもいかないし、というモヤモヤを抱えてたので、投稿でこの気持ちを晴らさせてください。

(宇多丸)
という。あの近所の人たちも無縁じゃないですから。あのバイブスと。それはご愁傷様でございました。

「葛城事件」宇多丸さんが鑑賞した解説

ということで「葛城事件」、私も当然こんだけ執着してるぐらいですから、ガチャが当たる前にも、後にも、バルト9で計3回も観てしまいました。3回も観たくはなかったというのが正直なところでございます。最初に観た時は、先々週だったんですけど、入りまあまあっていうところだったけど、途中で思わずっていう感じで笑いが漏れる瞬間がいくつかあって。そこは、やっぱこの作品の見方に相応しい雰囲気だったと思いますけど。実際にこういう事件が起こる前っていうのもありましたけど。あの「お前はどこの新興宗教だ!?」っていう突っ込みに、「そりゃそうだ」っていう感じでみんな笑ってたのがいい感じでしたけど。

結構バイオレント系映画の当たり年!

ということでさっきも言ったように、わざわざ1万円出したというのは、このコーナーでつくづく、本当に今年の日本映画は当たり年だなと。それも結構バイオレント系というかそういうので当たり年だなというこの一連の流れを語るのに、これ抜きってことはないだろう、あり得ないだろうというふうに私自身思いまして、ちょっと強引にやってみたということです。もう1ガチャしたら当たってくれたということですけど。で、したら、よりによってというか今週、みなさんがご存知の通り、相模原で本当とんでもない、もう最低最悪の事件が起こってしまって。

通り魔殺人事件、加害者家族

本作、通り魔殺人事件、加害者家族、それを描いた家族なので。しかも、具体的に無差別殺人を起こす非常にショッキングなシーンもありますので、このタイミングでこのコーナーそのままやるのは大丈夫か?みたいな懸念をされた方はいらっしゃったかもしれません。実際にネットでもそんな意見を拝見したんですけども。もちろん、もちろんですが、作品を差し替えることなどはせず、予定通り本作時評させていただきます。むしろやはり、現実にこういう最悪の事態というのが起こりうるということがあるからこそ、このような作品が作られ、また観られる意義もあるのだというふうにむしろ僕は思いますので。まさに、「そしてまた歌い出す」ではないですけど。だからこそ、本当に今観てほしいという作品です。

非常に居心地が悪い映画

ただし、これは僕がこの「葛城事件」という作品をここまで取り上げたがる理由そのものでもあるんですけど、確かにこの作品、非常に居心地が悪いというか、上映時間120分中、もう本当に不快です。本当ひたすら不快です。そういう意図で作られてる映画です。不快な思いをさせる。それ自体は本当に日常的な、少なくともよくある光景ではあるはずのシーンがほとんどなんです。はっきり言って。異常な事態が起こるのは、無差別殺人シーンだけなんです。本当に見るからに異常なことが起こるのは。なんだけど、その全てが胃がちぎれそうないたたまれなさ、緊張感に満ちていっているという話です。

「地獄はそこにある」

僕は観てる間ずっと頭に浮かんでたフレーズがあって。「地獄はそこにある」っていうことです。「地獄はこの世にあるんだ」っていうことです。実際に予告編でも、「家族という地獄」っていうコピーがドーン!って出てきたりするんですけど。はっきり言って、まさに「生き地獄」っていう言葉ありますけど、そういうことです。これに比べれば、「TOO YOUNG TO DIE!」で描かれる地獄はたぶん超楽しい天国だと思うんです。作品の質が違うんだけど、向かってる方向が。実際僕、観終わった後、本当に具合悪くなっちゃったというか、ちょっと精神状態が不安定になっちゃったぐらいでした。なんでそんなにキツいかといえば、それがまさによくいる人、よくある光景の積み重ねに他ならないからです。よくある光景なんだけど。だからこそなんです。メールにもさっきあったとおりです。地続きに見えるからこそ。途中、南果歩さん演じる葛城家のお母さんが、もうすさまじい表情で漏らす。「なんで、こうまで来ちゃったんだろう」ってことを言う。まさにこれ、この絶望こそ本作のテーマ。ちょっとした1個1個は見過ごすかな?というような歪みが、長年に積み重なって。でも、その歪みがどんどん大きくなってるのも見なかったことにした結果、なにかとんでもないことが起こってしまうという話なんです。

それぞれのキャラクターが抱えたその絶望的なダメさ

しかもそれ、それぞれのキャラクターが抱えたその絶望的なダメさっていうのは、どっかで我々も共有してるものだと。僕は観ててやっぱり、「ああ、この人物、ダメ、嫌だな、こういうの、嫌だな。でも、俺もこういうとこちょっとあるかも」っていうのは、やっぱりあるわけです。なので、どうしても人ごととは思えないということです。さっきの南果歩さんの「なんで、こうまで来ちゃったんだろう」。気づけば、自分の人生なんでこんなとこまで来ちゃったんだろうっていう、ネガティブなことポジティブなこと両方あるかもしれないけど。気づけばこんなところまで来ちゃってるって、結構大なり小なり誰でも自分の人生に関して、ある時フッと思うことじゃないですか、なんか。特に、家族とか、例えば夫婦であるとか、なんでもいいですけど。

無差別殺人と日常を交互に見せていく構成

そういうのって日々の重ねがあることだから。普段は意識しないんだけど、「あれっ?気が付くとなんでここの関係こんなことになってっちゃったんだろう?いつからだっけ?こんなの。」あると思うんです、誰にでも。なので、この映画、無差別殺人という最悪の事態が起きてからと、起こるまでっていうのを交互に見せていく構成なわけですけど、観てる間中、ずっと我々観客は、「いったいどこで間違えたんだ?どこでならじゃあ引き返せた?どこでなら何とかできたんだ?」っていうことをずーっと考え続けざるを得ない。そして、これこそ本作の誠実さと言ってもいいと思いますけど、もちろんそこに、明白な答えは出さない。わかりやすい因果応報に落としこんだりはしない、というのがこの作品です。

三浦友和さん演じる葛城家のお父さん

もちろん、これ本作観た誰もが圧倒されること間違いなしの、三浦友和さん演じる葛城家のお父さん。まさにもう「ザ・団塊の世代」っていう感じの、ウザーいオヤジイズムが、この家族のネジを少しずーつ、少しずーつ狂わせていった元凶だっていうのは明らかで、そういう描き方はしてるわけです。ということで。

同時に2人の言動の方向性が似てる

で、実際、このお父さんと通り魔を起こしてしまう次男っていうのはお互いに憎み合ってるというか、一番嫌い合ってるんだけど、同時に2人の言動の方向性ってすげー似てるんです。「お前ら、似てるよ」。あと、言動だけじゃなくて例えば、家族も飲むものだろうに、パックから直接飲むあの無神経さとか。「おいおい、うつってんぞ、それ次男に。」って。「お前からか。」っていうことです。

「最後の晩餐」

で、彼が元凶だっていうのは明らかで。その意味で、実際この家族、葛城家の描写で彼抜きの家族っていうのが一瞬立ち上る、そこだけ一瞬和やかになる「最後の晩餐」っていうシーンがあって。これ本作でほぼ唯一、あえて言えばここで引き返せたかもしれない、「あ、こういう瞬間もあったんだ」っていうポイントなわけだけど。でも、そこでやっぱり、それでもやっぱりどうしてもお父さんに逆らえない長男っていうのがいてっていうようなことになっていくわけだけど。

ザ・団塊世代のウザーいオヤジイズム全開なお父さん

でもとにかく、じゃあお父さんが一応、その原因ではある。なんだけど、そのザ・団塊世代のウザーいオヤジイズム全開なお父さんも、実はというか、それはでも当たり前なんだけど、全て良かれと思ってやってるわけです。むしろ、彼なりの理想の家族像みたいなものが強くあるからこそ。つまり、例えば父親としてとか、「男として一国一城の主が」なんてことを言う。もうとっくの昔にそういう強い父親像、父権的な家族像なんていうのはもう成り立たない時代だし、自分自身実はそんな器じゃないくせしやがって。あの次男に指摘される通り、本当に親からただ継いだだけの家なんでしょ?あれだって。なのに、でもそういう「家族こうあるべし!」という理想像だけは強く抱いていた。むしろ、抱きすぎていたからこそ、その20数年後の破滅っていうことでもあるわけで。もちろんあの人が元凶なんだけど、でも彼も、彼なりに理想を抱いてがんばった結果なんだよねっていうのがある。

どこにも逃げ場がない

ということで、その意味でこの「葛城事件」、結果どこにも逃げ場がない。抑圧する側もダメ。抑圧される側もダメ。じゃあ、どうすればいいの?わからないっていう。誰もがそれぞれに闇や歪みを抱えているんだけど、それ自体、そりゃ闇や歪みは、だって誰も抱えてますよ、そりゃ、全員。それ自体はどうにもならない普通のことです。ただ、そのちょっとした歪みの累積が、時に本当に取り返しのつかない領域に行ってしまうことっていうのは世の中に残念ながらある、ということです。だから観ててやっぱ辛いし、怖い。特にやっぱりお子さんいらっしゃって、これから成長してくようなお子さんをお持ちの方は、はっきり言って恐怖そのものだと思います。誰もこれ、他人事とは言えないと思います。

「キツい、怖い、地獄」

ただ、これ今までさんざん煽ってきた「キツい、怖い、地獄」みたいなことと矛盾するように聞こえるかもしれませんけど、それこそ、結果として起こる事態が事態なんで。この表現不謹慎に取られる方もいらっしゃるかもしれませんけど、この「葛城事件」という作品は、同時に実は「笑える」映画でもあると思う。恐ろしく黒い笑い。ブラックジョークっていうか、ダークコメディなんだけど。トラジコメディっていうジャンルもありますけど。悲劇とコメディが合わさった、まさにトラジコメディ的な、笑える映画でもあるんです。つまり、劇中の人物たちはさっきから言ってるように、至って真面目に一生懸命に生きてるだけ。自分が思う「正しさ」どおりにふるまってる。「こうやって生きるしかない」って思って生きてるだけなんだけど、我々観客の客観的視点、つまり作品自体のある意味客観的視点から見ると、「いや、どう考えてもこの状況、おかしいから!どう考えてもあんたら、狂ってるから!」っていうふうに見えるという。その異常さっていうことです。それに、異常な状況に当人だけが気づいていないっていう感じが、キツくもあって悲惨でもあるんだけど、笑うしかないコメディ的状況でもあるという。そういう映画なわけです。

中華料理屋のシーン

例えば、先ほどのメールにもあったとおり、中華料理屋のシーンがある。三浦友和演じるお父さんが中華料理屋で店員に罵声を浴びせかけてるわけ、怒鳴りつけてるわけです。本作屈指の名シーンだと思いますけど。「今日はね、娘の結婚記念日なんですよ!うちは20年来、ずーっとここに通い続けてるんですよ!」って。で、パッとカメラのカットが変わると、お嫁さん側のお父さんお母さんが気まずそうに、かつ見て見ぬふりでご飯を食べている。「ええっ?お前、この状況でこれやってんの!?」っていうことです。そのおかしさっていうことです。でも、散々怒鳴っといて、「でもお母さん、水餃子、美味しいでしょう?」。要するに、彼なりのサービス精神というか。もてなしてやろうという。「俺のシマで、もてなしてあげたいんだ。その俺の晴れの日に、俺の顔に泥を塗るのか!」イズムっていうことなんだけど。でも、ああいう人は実際めちゃめちゃいます。そういう人って。あとプラス、自分の中にこういう面が無いとは、僕言えないと思うな、やっぱり。

煙たがれながらスナックでカラオケ

あとは例えば、やっぱり三浦友和さん、お父さんが、事件が実際に起きてしまった後で、はっきり言って煙たがれながらスナックでカラオケをやってると。そこで「3年目の浮気」が、「テレッテッテレッ♪」って。誰でも、みんなイントロかかれば、「あ、『3年目の浮気』だ」って分かるじゃないですか。で、誰もが「でもこの曲、デュエットだよね?」って。田中麗奈にセクハラまがいに一緒に歌わせるかと思ったら、田中麗奈座ってるから、「え、これ、どうすんの?」って思うわけです。これ、「3年目の浮気」っていう曲をみんな知ってるからこそ成り立つ構造。「どうすんのかな?どうすんのかな?」って思って見てると、なんちゅう歌い方するんだお前は!っていうこのシーンとか。やっぱ笑っちゃうし。

家族で言い合い

あとは、例えば本当にこれぞ修羅場そのもの。さっきの中華料理屋シーンの直後にくる、家族で言い合いというか。本当に修羅場のシーンがくるわけなんですけど。ここで、次男は直接お父さんと口をききたくないのか、口をきかずにメモをし始めるわけです。で、「おい!ちゃんと口で説明しろ!」みたいなことを言う。そうすると、それでお母さんがフォローで、「今、なんか声優目指してるらしくって。喉を大事にしたいらしくって。」って。なんじゃそりゃ!?っていう。ここでやっぱ笑っちゃうとこはある。本当に修羅場なんだけど、思わず笑っちゃう。

おかしすぎて笑うしかないっていうシーンが満載

事ほど左様に、この映画はその気まずさとかキツさとか本質的な怖さゆえに、はっきり笑うしかないっていう。あまりにも悲惨すぎて笑うしかない。おかしすぎて笑うしかないっていうシーンが満載。それこそ見終わった後で、「あそこ、ひどかったねー!」とか誰かと真似しながら話し合いたいぐらいという、超ブラックコメディ、ダークコメディでもあると思う。実際三浦友和さんもそういうふうに見てほしいというふうにインタビューなどでおっしゃってますけど。

笑うしかないような現実の、悲惨

そして、そういうふうに、客観的に見れば笑っちゃう、笑うしかないような現実の、悲惨かもしんないけど、でも同時にクソ間抜けさ。間抜けだよっていうこと。それこそひょっとしたら、唯一この世にもし救いがあるとしたらそこなんじゃないのかな?っていうこの視点は、監督・脚本赤堀雅秋さん、少なくとも前作、映画監督デビュー作の2012年の「この夜の侍」とはっきり一貫したテーマというかメッセージなんだなというふうに思いました。僕、「この夜の侍」は見れてなくて。この機会に後から「この夜の侍」を観たら、こっちはよりはっきりそのテーマを言葉で言っている。「この夜の侍」は共通するのは、救いようのない人間というのは実際いると。そういう救いようのない人間っていうのがやっぱ実際にいるというこの世界、この現実のキツさ、恐ろしさというのに対して「でも、他愛もない話でもしようよ」っていう。こういうことをはっきりセリフで「この夜の侍」は言うんです。「葛城事件」まさに、他愛もない話をする瞬間がこの映画の数少ない救いの瞬間じゃないですか。だからこれ、はっきり赤堀さんのメッセージなんです。「もっと肩の力、抜けねえのか、俺たち。」っていう。「笑っちゃうじゃん、俺たちの人生なんてさ。笑っちゃえよ」っていうことだと思うんだけど。というそのメッセージが、「その夜の侍」でははっきりセリフとして語られてたのが、今回、それがもっとより作りとしてスマートになってる。作品の作りの中に入ってて、僕は数段、映画として出来が上になってると思います。

劇団THE SHAMPOO HAT

赤堀さん、劇団THE SHAMPOO HATというのを主催されてて。もともとはこの「葛城事件」も舞台という。これ、ちょっとごめんなさい。僕、観れてなくて申し訳ないですけど。俳優としてその赤堀さんが出演されてた「岸辺の旅」、黒沢清監督の。こん中で赤堀さんが演じられてた役がまさにそういう、今回の葛城家父ばりに、やさぐれが行くとこまで行きすぎちゃってもう誰ともコミュニケーションできないレベルに行っちゃってるオヤジっていうのを見事に演じられてて。だから、「なるほどな」というふうに思った。あの感じを出すのが上手いということだと思いますけど。ご自身俳優ということもあって、とにかくこの赤堀さん、俳優陣から演技のポテンシャルを引き出す力、ひいてはシーン全体のテンションを数段上げる力が本当に秀でてるなと思いました。演出家として本当にすごいんだろうなこの人、というふうに思いました。

「家族」という幻を実は誰より追い求めていたがゆえの暴走する怪物

もちろん三浦友和のお父さん、すごいです。僕はあの、「家族」という幻を実は誰より追い求めていたがゆえの暴走する怪物が、結果ひとりぼっちになっちゃう。そういう意味で僕、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・プレインヴューさんのことを久々に思い出したぐらいの、三浦友和さんの怪演、名演は言うに及ばずです。

舞台版では次男の方を演じていたという新井浩文さん

舞台版では次男の方を演じていたという新井浩文さん。割と怖い役もやったりしますけど、こういう気弱な役でも本当に絶品なんだなという。とにかく父にとってのいい子を演じることだけに特化してしまったがゆえの、そして自分の気持ちを抑えることだけしかできないというか。彼が、結局最後に、ちょっと一線を踏み越えちゃう。一番まともそうに見えた彼が一線を踏み越えちゃう手前にとる行動の切なさです。「バカヤロー!」って人のせいにすることもできない人っていうか。

オーディションで選ばれたという若葉竜也さん

対する次男。オーディションで選ばれたという若葉竜也さんですか。幼い顔立ちと、でもその小賢しい感じの丁寧語みたいな。本当見事な感じ。で、お父さんも時々嫌なことをいう時に丁寧語になるじゃないですか。で、俺これすごい嫌なのは、俺も嫌なことを言う時に丁寧語になるタイプなんすわ!なので、例えばやっぱ見てて、僕は一人っ子であれですけど、全然ラッパーとして食える目処も立ってない時に「いやあ、もうちょっと今はあれですけど、温かく見守ってくださいよー」みたいな。そんなこと言ってないけど、ああいう感じにやさぐれなかった保障は何もないなと思いますし。一方ではでも、あいつが接見のところで言う屁理屈には、全部!泣くまで反論してやりたいけど!「お前は『狂ったイノシシ』ではないからっ!」っていう。やってやりたい。まあいいや。それはいいんだけどさ。本気の怒りも出てくるという。

南果歩さんの、もう狂気

あと、長年抑圧され続けすぎちゃって、飲み込んでなかったことにするっていうのがデフォルトになってしまった結果、もうそれが狂気の領域までいってしまって。で、最終的にはさっきの「どうして、こうまで来ちゃったんだろう?」になってしまうお母さん。南果歩さんの、もう狂気です。あの狂気を表現するのにコンビニ弁当、手作り料理とかをちゃんとやってないっていうのを描くのは、監督自身が「コンビニ弁当で荒れた家庭を表現するのはちょっとステレオタイプかもしれないけど」っていうふうにご自身認められてるんだけど。ただ、やっぱりちゃんと料理をするタイプの家には見えないでしょうっていう。たしかにそうで。

嫁VS姑のある意味究極の修羅場シーン

そういうやっぱ、「ここは弁当で済ませておこう」とか「ここはカップラーメンで済まそう」みたいなそういう1個1個の思考停止の積み重ねが一因ではあるっていうことで。そこはたしかに納得の描写だと思いますし。で、その南果歩の狂気。それに負けじと、嫁VS姑のある意味究極の修羅場シーンです。あそこで文字通り「鬼の形相」を見せる内田慈さん。今回の長男の嫁を演じてる内田慈さんのあの形相。内田さんってすげえ美人なんすよ。でもあの「うわー、こんな顔するか!」っていう。本当に女優ってすごいと思いましたし。田中麗奈さんも、あの善意という名の思い込みにとらわれた、ともすると本当に嫌な感じしか出かねない役柄を、それでも確かな真っ直ぐさではあるんだよな。悪い子じゃないんだろうけどっていう感じも含めて、見事に体現されていたと思いますし。役者陣、みんな過去ベストアクト級のポテンシャル本当出てると思います。

次男の稔が無差別通り魔殺人を起こしてしまう具体的描写が結構がっつり

最初も言った通り、本作、次男の稔が無差別通り魔殺人を起こしてしまう具体的描写が結構がっつり、省略じゃなくがっつり描かれてる作品なので、時節柄かなり刺激が強いシーンなのは間違いないと思うんですが。ただ、ここの一連の見せ方も僕は本当によく考えられてるなと思って。特に、ここのシーンの前後だけフッと第三者の視点・目線を入れてくるあたりが本当に上手いなと。例えば稔に声をかける「いい子、いますよー」ってあの風俗の客引きのおじさん。あのおじさんの絶妙な「なんでもいいや」感とか。あと特に、階段を下りながら刃物を取り出す稔の後ろ姿を図らずも目撃してしまうエスカレーターのあのサラリーマンの視点。あれ、ここまで見ちゃってたとして、じゃあ自分ならどう動ける?っていうのを誰もが自問せざるを得ない見せ方です。

カメラといい役者陣の動きが見事に生々しい

でも、その後の実際の通り魔が起こってしまうシーンが、「やっぱりここで誰かが勇気を出して飛び掛かって止めていれば」なんてことはとても言えないほど、カメラといい役者陣の動きが見事に生々しいので、「いや、怖いよ。俺、やっぱダメだ。足すくむ」っていう。そういうことを考えざるを得ないという見せ方になってて、非常に上手いあたり。やはり、先ほどからメールにもあったとおり、僕らの日常と地続きなものなんだということを実感せざるを得ない作りというのが見事にできてるというふうに思います。

次男と田中麗奈、最後の接見室のシーン

あと、視点の転換という意味では、次男と田中麗奈、最後の接見室のシーンで田中麗奈がまさに他愛もない話を始めて次男が虚を突かれる。その瞬間、はじめてガラス窓から稔側の方にカメラがフッと移るわけです。で、そこで次男はヤケクソのように、身も蓋もない結論を言うわけです。「おお、その通りだよ」っていう結論を言う。あれはヤケクソになってるように見えるけど、僕、あれはわずかなヤツの進歩だと思って見てるんで。そのパッとした視点の転換、本当に上手い作品だなというふうに、映画的な見せ方も本当に上手いなと思いました。

この映画は本当に最低最悪なシーンがずっと続く

ということで、この映画は本当に最低最悪なシーンがずっと続くんだけど。その通り魔事件という最低最悪な出来事が起こった後も、まだ許してくれないというこのあたりもすさまじい。あれほど狂おしく求めていた家族を、その熱情ゆえに全て、完膚なきまでに失ってしまった三浦父が見せる、最後の悪あがきの醜さ。と、同時に哀れさ、おかしさ、つまるところ「人間臭さ」っていうか。田中麗奈は、あそこで「あなたそれでも人間ですか!?」って言うけど、俺はそれを見ながら、「いや、違う、これが人間なんだよ!」って思いながら観てました。ラストのラストで、この映画全体を貫くあるアクションを三浦友和さんがして終わるんだけど。そのアクションに入る間の早さ。当たり前のところに当たり前の感じで戻る、この間の感じとかも本当に僕はグッとくるあたりでございました。

映画の感想として使っちゃいけない言葉でしょうけど「考えさせられる」

とにかくこれ一番、映画の感想として使っちゃいけない言葉でしょうけど「考えさせられる」。で、とにかく人と話し合いたくなる作品なのは間違いないと思います。最初にも言ったけど、今、こういう事件があるからこそ、例えば、ある事件が起こった時に、「そりゃ家族が悪い」って言やあそりゃそうだよ、その結論は出せるけど。でも、なんでそういうことを言う人って「自分は大丈夫」って思えるのかな?っていうか。そんなわけないでしょう?っていう。そういうとこに想像力を働かせられる映画だと思います。

この映画、むちゃくちゃ「面白い」

それよりなにより、これまでいろいろゴチャゴチャ言ってきましたけど。この言い方、本当に語弊があるかもだけど、この映画、むちゃくちゃ「面白い」んです。やっぱり。全編、さっき言ったように、胃がちぎれるような思いをしつつ、思わず笑うしかないようなのがあって。で、見終わった後ドスーンといっぱいお持ち帰りするものがあるということ。怖いもの見たさ的なスタンスでもいいんです、映画なんだから!ということです!なので、ぜひ観て、今年僕、ベスト級っていう言い方したけど、同時にワースト級でもあるというか。「もう観たくない!」って気持ちも分かります。またまた来ちゃった、ヘビー級という意味では間違いなくダントツ。セリフとかもシーンとかもいろいろ語り合って真似とかしたくなるような、本当にすさまじい作品を観てしまいました。ぜひ、劇場でウォッチしてください!

書き起こし終わり。

○○に入る言葉の答え

「⑤異常に見える存在も、実は我々と地続きの存在であるということ」でした!

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