アウトローのライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/) で、クリストファー・マッカリー監督のアカデミー脚本賞受賞作品「アウトロー」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さん『アウトロー』解説レビューの概要
①本作は、イマドキ風のアメリカ映画へのカウンター的な試みで作られている。
②源流には西部劇。作り手の狙いは"○○すぎない"こと。
③原作の主人公とトム・クルーズ、人物像が合わない?
④「笑わそうとしてるのか・・?」オフビートなギャグがたまらん!
⑤70年代風の色気を感じさせる撮影がたまらん!
⑥映画第1弾としては大成功!原作からの改変"いきなり○○を見せる"
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。 TBSラジオ「アフター6ジャンクション」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
映画『アウトロー』宇多丸さんの評価とは
宇多丸:
風の吹くまま気の向くまま、何を観るかは賽の目次第。映画博徒の看板背負って、歩いてみせますキネマの天地。そう、奴の名は"ザ・シネマハスラー"。
時刻は22:02を回りました。ライムスター宇多丸の「ウィークエンドシャッフル」。改めましてこんばんは。パーソナリティの宇多丸です。
ここからは、毎週サイコロを振って、観に行く映画を決める無差別映画評論コーナー"ザ・シネマハスラー"。
先週賽の目が当たった映画はこちら『アウトロー』。
リー・チャイルドによるハードボイルド小説『ジャック・リーチャー』シリーズを映画化したアクション大作。
かつて、軍の秘密捜査官だった一匹狼のジャック・リーチャーが、一般市民を巻き込んだ無差別狙撃事件の真相に迫っていく。
主演は「トム・クルーズ」。監督・脚本は、ユージュアルサスペクツで、アカデミー脚本賞を受賞したクリストファー・マッカリーさんとなっております。
はい、ということでこの『アウトロー』もう観たよというリスナーの皆さんからの感想・メールをいただいております。
メールの量は・・ちょい多め。
まあ、順位なんかも、トムクルーズ主演作品ということで宣伝もいっぱいされてるんでね、そこそこ入ってるみたいですし。
賛否は半々。といっても、褒めてる人の意見の大半は「予想よりは楽しめた」とか、「粗はあるけど個人的には好き」などといった、やや低めな称賛が目立つといったところでしょうか。
代表的なあたりご紹介いたしましょう。
映画「アウトロー」を鑑賞した一般の方の感想
(メール紹介)サンタロウ:
『アウトロー』観ました。事前情報なしで観てきましたが、予想以上に楽しめました。
今回、新たなるヒーロー像を作り上げるには、宇多丸さんが目撃した外国人ではないですが・・(宇多丸:僕がね、映画館で予告編を観た時に、横の席に座っていた--どこの国の人かわかりませんが--白人の女の人が、英語で「He's too old」とちょっと馬鹿にしたっていうね、その目撃談。)トム・クルーズがちょっと老けてる感はどうしても否めませんでした。
しかし確かに、ちょっと老けていて、"世界で最も危険な『アウトロー』"という映画コピーの印象よりも頼りなさそうな主人公ジャック・リーチャーに不思議な愛着が生まれてきます。
特に、中盤のカーチェイスシーンでは、なぜか泣きそうな顔で逃げるジャック・リーチャーに、「実際こんな目にあったらそうなるだろうな」と、笑いを禁じ得ません。
(宇多丸:褒めているのか?っていうね(笑))
そのカーチェイスの見事な終わらせ方も最高すぎて、それだけでこの映画を肯定したくなります。
終盤の西部劇的展開や、銃を捨てての肉弾戦など、大好きだと言えるシーンが各所に散りばめられていて、細かい疑問点もどうでもよくなるくらいには、「結構楽しめたかも」と劇場を後にできる佳作だと思います。
宇多丸:もう1本、こんな感じの意見もありますよ。
映画「アウトロー」批判的な意見
(メール紹介)タンク:
『アウトロー』観てきました。観終わった後の感想としては「心底どうでもいい中途半端なものを長い時間かけて見せつけられた」という感じ。中途半端なアクション・中途半端なカースタントシーンに加え、鼻で笑うのが精一杯のジョーク。挙げはじめればまだまだあるのでしょうがそれに費やす時間が無駄だと思うので割愛します。
ざっくり言うなれば、おっさんトムがなんの面白味もなく淡々と阿呆な敵のミスを指摘し追い込んでいくことに終始する映画。
カースタントシーンもBGMなしで見せるほどの迫力なし。
宇多丸:というね。こういう意見もございます。
あとですね、『ジャック・リーチャー』シリーズ、原作がすごく人気だということで、原作派のご意見というか、ほんとに読み込んでらっしゃる方、エムショースタコフさん。原作の中との比較を詳しくしていただいて勉強になりました。ありがとうございます。
映画化にあたっての大きな改変部分に関して、当然のことながら、原作派として苦言を呈しているというのが大まかなスタンスではないでしょうか。
「アウトロー」宇多丸さんが鑑賞した解説
さあ、ということで『アウトロー』行ってまいりました。今週ちょっとね、週の半ばまでどうしてもキャンペーンで出かけられなかったけど、水曜に行って金曜に行ってという感じで、行ってきましたけど。
でね、先週私サイコロで『アウトロー』当たったときに、ついつい・・「He's too old」のエピソードなんかも含めてついついちょっと"半笑い感"を出してしまいましたよね、私ね。
なんですけど、ぶっちゃけちょっとね、舐めてた!
舐めてた!
メールの皆さんのテンションと同じくあまり芳しくない評価をちょいちょい耳にしていたというのがやっぱり、半笑いの態度に繋がってしまってたんですけど、やっぱダメですねこれは。自分の目で確かめて自分の評価を出すまで、そんなもんに引っ張られて半笑いにしてるようじゃ、まだまだ私修行が足りないなと。反省した次第でございます。
確かにね、これをつまんないとか、退屈だとか、あと変だとか感じる人が少なくないのは勿論理解できます。
というのもですね、これって、イマドキ風のアメリカ製・ビックバジェットのアクションエンターテインメント映画の作り、それこそ、トム・クルーズの看板シリーズでもある『ミッション・インポッシブル』ね。
特に最新の、ブラッド・バード監督の『ゴーストプロトコル』--僕前にオープニング("ぼんやりハスラースタイル")で話しましたけど--あれはすごく、今までの中では1番良かったと思いますけど。
これらを頂点とする、あるいは、例えば今やってる中ではジェイ・コートニーさんが出てる『ダイハード』最新作・・ブルース・ウィリスの息子役で出てる人が『アウトロー』では悪役で出てるんですけど、『ダイハード』最新作なんかはまさにその典型だけど、要は、とにかくド派手なシーンを矢継ぎ早に繰り出していく、良くも悪くも"足し算思考"というかね、これでサービス精神を発揮していく。
スペクタクルのインフレ傾向
あるいは、スペクタクルのインフレ傾向っていうんですか、どんどん"あり得ない"絵面の凄さで面白がらせていくという。
本作は、こういったイマドキ風のアメリカ製・ビックバジェットエンターテインメント映画の傾向に対する明らかなカンターというか、もっと言えばアンチですよね。アンチの試みとして作られてるんですね、『アウトロー』。今回は。
なので、非常にざっくりした言い方しますけど、"70年代のアメリカ製クライムアクション映画のアップデート版"みたいなものが目指されているということだと思うんですね。
源流には、西部劇
もちろんその源流には、西部劇っていうのがあるわけですよ。要するに、現代版西部劇っていうのが70年代クライムアクションになったとも、言い換えられるわけですけど。
恐らく、イマドキの"足し算足し算"の、過剰なまでのサービスに溢れたアクションエンターテインメントの作りに慣れた観客の皆さんからすると、70年代のそういうアクション的なノリに対して、テンポが緩い・・これ別に『アウトロー』に限った話じゃなくて、「70年代アクションのこれが名作ですよ!」って例えば僕らとかが勧めても、イマドキの若い観客が観たら、
「なんか緩くないっすか?」とか「なんか地味じゃないっすか?」「見せ場これっぽっちしかないんですか?」とかそういうような言葉が返ってきそうな、テンポが緩いとか、見せ場が地味だとか感じられかねない感じ。
で、これかなり語弊がある言い方かもしれませんが敢えて言いますけど、要は、映画全編が"面白すぎない"感じというか、全編に面白いところを詰め込みすぎていない感じっていうんですかね。
この感じこそが、今回の、邦題『アウトロー』ジャック・リーチャーの作り手たちの狙いの部分だということなんですよね。
そこが退屈でつまんないっていうのは当然なのかもしれないけど、僕はまさにそこが嫌いじゃないっていうか、嫌いになれるわけがない。てか・・結構いいじゃねえか!!っていう感じのテンションに僕は今なってるんですよね。
対照的なアクション映画シリーズ
ともあれ、トム・クルーズが『ミッション・インポッシブル』ともう1個、続き物シリーズとして立ち上げたシリーズじゃないですか。要は対照的なアクション映画シリーズとして立ち上げたわけですね。『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハントシリーズと対照的、カウンター的、"アンチミッション・インポッシブル"として、アナログ的なヒーローモノのジャック・リーチャーシリーズを自ら立ち上げたと考えると・・トム・クルーズが『ミッション・インポッシブル』に対してこれ!という風に考えると、すごいわかりやすい動機ですよね。
トム・クルーズという絶対のスターに対する半笑い感
トム・クルーズっていう人が、さっき言った「He's too old」とか、俺が『アウトロー』当たった時の半笑い感も、根っこを辿れば、トム・クルーズという絶対のスターに対する半笑い感なわけですよ。
言うまでもなく、ここ30年ほど近くの、アメリカ映画の最大のスターであり、未だに第一線キープ、なんなら右肩上がりみたいな人ですよ。ぶっちゃけ、それだけで普通にすごい、考えられないくらいすごいと思いますけど。
と同時に第一線を未だにキープしていることの秘訣にも通じると思うんですけど、割とこの人、意外と自分が人から今どう見られてるのかを客観的に見れてる、そういう能力がある人だという風に僕は思うんですね。
つまり、「He's too old」と漏らしてしまう若い観客、私のような半笑い感で見られてしまう・・要は、あまりにも長い間スターとして歴史が重なりすぎて、アイコン化しすぎてしまったことによって半笑いとして扱われてしまうスター故の宿命、その今の自分の位置っていうのを割と実は分かってる人なんじゃないかっていうね。だからこそ第一線がキープできていると言えると思うんだけど。
『トロピック・サンダー』
例えば分かりやすいところで言えば、『トロピック・サンダー』とか、客演で出た時の、もうほとんど自虐的っていっていいぐらいの振り切りぶりなんか、あれはもうまさに「信用できる」の一言に尽きると思うし。
そうじゃなくても、例えば、「観てない」と半笑いで言われがちな映画かもしてないけど、2010年の『ナイト&デイ』。あれなんかさ、いかにもトム・クルーズ的なヒーロー像っていうものの"胡散臭さ・嘘臭さ"みたいなものを折り込み済みのキャラっていうかさ、折り込み済みの映画ってことじゃないですか。もうその時点で「あ、トム・クルーズは自分の今のキャラの見られ感が分かってるな。」というのが分かると思う。
じゃあ、「その上で今回はどうなんだ」って。「その意味でこそどうなんだ」っていう言い方もできると思います。
既にあちこちで指摘されていることですけど、リー・チャイルド(原作小説)シリーズの"ジャック・リーチャー"というヒーロー像をね、まずとにかく、"巨漢"っていう設定なわけですよ。195cmあるっていう設定なわけですよね。一方、トム・クルーズは170cmくらいとか言われてますよね。
全然アリじゃん。
だから、「全然違うじゃん。トム・クルーズは無謀にもジャック・リーチャーシリーズをスターの特権を利用してやっちゃったね。」っていう言い方で切り捨ててしまうのは勿論簡単なんですが、僕は、先ほどご紹介した原作ファンの方みたいに、原作シリーズへの思い入れがほぼ無いに等しいから--原作小説は勿論読みましたけど--言えることなのでしょうが、僕は、このトム・クルーズ版のジャック・リーチャー、キャラクターとしてアリじゃないか。全然アリじゃん。って思ったんですね。
それは、トム・クルーズというスターが、今人々にどう見られているか、それを本人がどう認識しているかという話にも通じることなんですけど、要は、ジャック・リーチャーというキャラクターは、俗世間の仕組みから浮いてる人なわけですよね。
で、そこから周囲との、一種ユーモラスなギクシャクが生ずるような、そういうキャラクターなわけですよ。
そのギクシャク(浮いてる感じ)が、"トム・クルーズがスターとして浮いてる感じ"とちょうどハマると思うんですよね。
「He's too old」
「He's too old」と言われてしまうような、「"もうあの人はスタートしては古いでしょ"って俺は思われてるよね」感も込みでのジャック・リーチャー感というか。
なので、本作では、浮いてる人故のギクシャクが、小説にはない、あくまで映画的な間であったり、あるいはキャラクターとキャラクターの距離感(面白さとして)とか。要は「これ、笑わそうとしてるんだか」みたいなオフビート(外し)なユーモアとして、実は全編にわたってそこが強調されてる。「ジャック・リーチャーは浮いている、故に周りとギクシャクする」っていうのが、ギャグとして強調されてるわけですよ。
だけど、そのギャグが微妙なギャグなんですよ、「これ笑わそうとしてんのかなぁ?」みたいな感じの。
そのオフビートなギャグを単に"微妙"ととったり"スベってる"っていう風にとる人だって勿論少なくない。これも理解できますけど、僕はこの微妙な「これ笑わそうとしてんのかなんなのか」・・たまらん!っていう感じでしたけどね。
公衆電話から何度も電話
例えば、人質をとられてしまったジャック・リーチャーさんが犯人に、携帯電話とか持ってませんから、ジャック・リーチャーは常に公衆電話で犯人とやりとりをするわけですけど、公衆電話から何度も電話するわけですよ。
一旦、ブチギレて「ガチャーン!」と電話を切ってから、ハッと思い直してもう1回プッシュするんですよ。ガチャガチャって。「ちょっと気が変わったぞこのヤロー」みたいな(笑)。そんなやり取りが何度もっていうね。
でも、当人たちはいたって真面目なシーンなんですよ。大真面目に交渉してる。で、何度か子供の喧嘩みたいな電話のカチャカチャのやり取りがあって、主人公が言うことが「おい、てめえふざけんなよ、だからな、そっちの住所教えろよ」っていう(笑)。
この感じとかね、これは当人たちが大真面目なだけにたまらん。
鈍器を持った男たち2人に襲撃されるっていうシーン
当人大真面目といえば、中盤あたりに、狭いバスルームで、鈍器を持った男たち2人に襲撃されるっていうシーンがあるんですけど、もちろんシーンそれ自体としてはシリアスで真面目に危ないシーンなんですけど、このシーンがもう近年稀に見るスラップスティックギャグシーン。
こんなドタバタシーンあったっけ?っていうぐらいドッタンバッタンやってる。でもシーン全体の在り方としては「これ笑わせる気なのやら・・何なのやら・・?」この、なんか妙な空気が流れるわけです。これがまた「たまらん!」っていう。
ジャック・リーチャーが世間の仕組みとか空気から浮いてる
あるいは、ジャック・リーチャーが世間の仕組みとか空気から浮いてる、それが周囲とのギクシャクとなる典型的な例として、例えば人と話してる時の距離がおかしいとかね。ちょっと近すぎる。いや近い近い近い近い!が故に、「ああ、違うんだ」「そういうニュアンスじゃないんだ」みたいな。
そういう外しの感じとか、あるいは、「お前なんでさっきから裸で立ってんの?」みたいな(笑)、あの空気読まない感じ。
でも、それを受けての「あら。」と思ったロザムンド・パイクさんが演じるヒロインのキャラクターの、「お前はお前で胸出してくるね・・」みたいな、衣装ギャグ。しかも、突っ込まないと誰も拾わないような衣装ギャグみたいなのとかね、そういう微妙なギャグが続く。
明らかに作り手がオフビートなギャグ、ユーモアとして入れてる
あと、限りなく笑いの微妙なとこでいうと・・でもね、今まで微妙って言ってんの、俺が拾ってるわけじゃなくて、明らかに作り手がオフビートなギャグ、ユーモアとして入れてるのは間違いない感じではあるんですよ。
でね、そういう細かい中で俺が1番好きなのは、自動車部品屋さんに主人公が調べに行くとこ。
で、店員が出てくるわけです。ゲイリーさんという店員。その店員とジャック・リーチャーが話すシーンの始まりが・・ジャック・リーチャーが、お店で人呼ぶ時「チンチンチーン」って呼び鈴を鳴らすじゃないですか。
で、赤いポロシャツ着た店員がスーッと出てきて、ゲイリーさんが、「チーン」って鳴ってる呼び鈴の余韻を手でフッと止めるんですよ。
これね、口で言っても分かんないと思うんですけど、この映画的な間の面白さっていうか、フッて止める、その何とも知れん感じがね、妙な間がね・・たまらん!っていう感じなわけですよね。
トム・クルーズが主演になったことで・・
でね、これはやっぱり、トム・クルーズが主演になったことで・・ジャック・リーチャー、他の人が演じる面もあったと思うんですね。例えば、巨漢でタフガイといえば、今だったら、原作者のリー・チャイルドさんが色々言ってることを総合すると、今だったらリーアム・ニーソンで普通にいいんじゃね?って思わなくもないバランスなんだけど、トム・クルーズが主演になったことでこの絶妙な"半笑い感"がやっぱり強調されて面白いわけですよ。
なおかつ・・半笑いってさっきからバカにしたようなこと言ってるように聞こえるかもしれないけど、でも、その半笑いの中心にいる浮いてるトム・クルーズは、誰がどう見ても、ちゃんとヒーローであり、主役感・カリスマを帯びてるわけですよ。全然これでいいんじゃね?って感じがするわけですね。
最大の問題である体格問題
あるいは、最大の問題である体格問題ですね。ジャック・リーチャーっていうのは巨漢のタフガイだっていうんだけどね、これ画的に見ると、むしろ・・これ『アジョシ』という韓国映画を扱ったときに引用させていただきました、ギンティ小林さんの作ったジャンル定義といいますか、"ナメてた相手が殺人マシンでした"モノというね。これギンティ小林さんが作った定義ですよ。
元から言えば『ランボー』とかね、"ナメてた相手が殺人マシンでした"モノとしては、画的に・・要するに、"体格が元々いい人に、チンピラが喧嘩を売ってきます"だとさ、「そんな奴に喧嘩売ったら負けるでしょ」って感じしちゃうけど、トム・クルーズ、体格的には全然負けてそうな相手だからこそ、要するに「ざまぁ!」ってね、見てる側のカタルシスが増すじゃないですか。
「ナメてるとまずいよお前、怪我するよ。」ってこっちもなるわけですよ。
ジェブっていう、"田舎チンピラボス感"
例えば最初にある格闘シーンのね、ジェブっていう、"田舎チンピラボス感"も良かったですよね。田舎のチンピラのボスの、腕っぷしはさることながら、ああいう奴らって、自分の方が頭がいいと思ってるんですよ。あのダメさ感みたいなのも込みで、中々いいバランスを演出できてる。とにかく、画的にも体格問題、全然プラスになってるんじゃないかと。
なおかつ、いざ実際格闘が始まると、この『アウトロー』、非常に生々しい、痛そうな感じがあって、これも非常に特質もので、『アウトロー』の価値を高めてる部分だと思います。
キーシファイティングメソッドっていう、攻撃と守りが一体になった、肘とかを使って相手の急所に当ててくみたいな、これ有名な格闘技らしくて、クリストファー・ノーラン版の『バットマン』は、キーシファイティングメソッドを使ってるんだって言われると、確かに言われてみればそうなのかなって思うけど・・僕はいつも言ってるように、ノーランはアクションの魅せ方はちょっとアレなので。多分それでピンときてないんだと思うけど、今回(アウトロー)は、「ちゃんと痛そう・・」っていうかね、「えげつない殺し方すんなぁ」みたいな。そういうとこがよく出てたと思います。
この映画全体の1番の見せ場のひとつ、カーチェイス
生々しいといえば、この映画全体の1番の見せ場のひとつ、カーチェイス。先程、迫力がないと仰ってた方が言ってた、"BGMがない"、僕これが、すごく70年代のカーチェイス風でいいと思った。"台詞なし、音楽なし"、エンジン音(だけ)ですよね。要するに、「カマロのエンジン音があれば、それに勝る音楽はないだろう」と言わんばかりに、音楽なしでエンジン音のみをBGMに延々続くカーチェイス
シーン、これがまさに70年代風。
『ブリッド』であったり、『ザ・ドライバー』であったり、『フレンチ・コネクション』であったりという感じを彷彿とさせるような。
"チャカチャカ演出"の"チャカチャカ編集"の真逆
勿論演出も、イマドキの"チャカチャカ演出"の"チャカチャカ編集"の真逆ですよね。じっくりねっとり・・後ほど言いますけど、思うように前に進まない鈍臭さも込みっていうかね。
例えば、対向車線に入っちゃうシーンって、カーチェイスモノだと結構ある場面だけど、やっぱ対向車線に入っちゃうと、「あんまりうまく進めなかったりするよね」みたいなとこも込みのカーチェイスシーン。
なおかつそれをトム・クルーズが実際に運転してるが故の、ほんとに必死の形相の感じとか。
あとこれもあちこちで出てるエピソードですけど、対向車線にバーンと出たところでスリップしちゃって、ほんとはそこで間一髪曲がるはずが、ポリタンクにぶつかっちゃうんですね。で、動かなくなっちゃう。
あれは要するにミスったわけだけど、そのミスで「あー!」っていう感じもいいということで生かしになってるみたいな。
そんな感じもあって、このカーチェイスシーンとかもすごく70年代調でいいなと。
この『アウトロー』という映画、なにしろ撮影が素晴らしい
このシーンにすごく顕著なんですけど、この『アウトロー』という映画、なにしろ撮影が素晴らしいと思います。
特に夜のシーン。夜のピッツバーグのシーンの"艶かしさ"ですね。艶かしい。夜が。
こんなにセクシーな夜は、ドライブのそれ--80年代風の色気--とはまた違う70年代のネトーッとした感じ。たまらん!っていう。またたまらん!出てしまいましたけど。
撮影監督のキャレブ・デシャネルさん
撮影監督のキャレブ・デシャネルさんという方。もう随分長く活躍されてる方ですけど・・『ライトスタッフ』とか『ナチュラル』とかも、アカデミー賞とかも何個もノミネートされてる方ですけど、『ワイルド・ブラック/少年の黒い馬』とか、"コッポラ組"みたいな感じで。
で、監督もしてて、僕の大好きな『マジック・ボーイ』っていう82年の映画があって、これの監督もしてる。「あ、『マジック・ボーイ』の監督なんだ。じゃあもう、握手!」みたいな。それぐらい、僕『マジック・ボーイ』大好きなんですけど。
ちなみに、娘さんにズーイー・デシャネルとかね。デシャネルさん、やってくれるじゃない。
今回は、アナモルフィックレンズとワイドスクリーンっていう、要するに、昔風のルック・・被写体深度が浅くて、みたいな、完全に昔の映画風の色気があるルックになっててですね、これがやっぱこの映画の魅力をものすごく押し上げてるという風に思います。
70年代くらいの前の映画が好きなんだな、という感じ
今まで言ってきた色んなテイスト--変わった部分、70年代風であるとか--を含めて、監督クリストファー・マッカリーさんの意図でありテイストでもあろうというね。
この人の映画の自分であげてる好みなんかを見ると、やっぱ70年代くらいの前の映画が好きなんだな、という感じがするんですけど。
ユージュアルサスペクツの脚本
ユージュアルサスペクツの脚本っていうと、「お、切れ者!」っていう感じがするんだけど、この人、以降割とキャリア的には不遇な感じが続いて・・シネマハスラーの絡みで言うと、例えば『ワルキューレ』。トム・クルーズ主演。これ、面白くなりかけた瞬間に史実に足をとらわれちゃって、ちょっと尻すぼみになっていく。後半電話ばっかり、みたいな。
で、主人公が1番間違っているのにヒロイックに描くというバランスがおかしいのではないかみたいな・・間違っている人として何か狂気めいたものとして描くならいいんだけど・・といったことをシネマハスラーでは言ったと思うんですけど。
ユージュアルサスペクツ、『ワルキューレ』はまだいいんだけど、『ツーリスト』の脚本というのは汚名と言ってもいいと思うんですけど・・シネマハスラー2011年度51作品中48位。これだけのスタッフが揃ってっていう中では多分これを破るのは難しいんじゃないかというね。
存在すら確かではない不在の中心を巡る話
『ツーリスト』も、やり様によってはってとこはあるんだけど、色んなアプローチが間違っちゃってるんじゃないか、みたいなことをハスリングの中で言わせていただきましたが。
ユージュアルサスペクツ、『ツーリスト』とか色々ありますけど、敢えて言うなら、存在すら確かではない不在の中心を巡る話が多いとありますよね。
今回のジャック・リーチャーも、主人公なんだけど、ある意味正体不明というか、正体が掴めない男というのが主人公側になっているだけで、あって、不在の中心が多いとは言える。ただ、この人・・さっき言った『ワルキューレ』とか『ツーリスト』だったりはリメイクですから、事前の条件ありきみたいなところが多かったり、監督の相性も大きいんでしょうね。
正直、キャリアを振り返ると微妙なタイトルが並んでる人ではあるんだけど、トム・クルーズの信頼は非常に厚い。『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』をクレジットなしで脚本参加してると言いますし、次回作の監督だということも、トム・クルーズがポロっと漏らしてたりすると。
前の初監督作っていうのが、13年前
なおかつ、この方の、前の初監督作っていうのが、13年前になっちゃうんだよね。2000年に1回監督してて、それ以来監督してないんですよね。『誘拐犯』というのがあって、これがやっぱ70年代アクション。特にこれはサム・ペキンパーを強く感じましたけど、70年代アクションと西部劇をかなり奇妙なバランスでアップデートしたような、『アウトロー』にも通じる、非常に奇妙な"怪作"ではあるわけよ。ただ僕は嫌いになれない作品であって。
その意味では、今回の『アウトロー』で、それこそ12年ぶりに、クリストファー・マッカリーさんという人が持ってる、言っちゃえば"反時代的"な資質というものをようやく全開にできた作品だと言えるんじゃないかと。
原作からの脚色部分というのもね・・この人も脚本いっぱい書いてる人ですから、まずここが腕の見せ所なんでしょうけど。
原作ファンの方が色々仰るのも分かるんですけど、僕はこれ、中々上手く、"映画向け"という意味では脚色してるなという風に思いました。
キャラクターを何人か整理してる
キャラクターを何人か整理してる。これはまあしょうがないでしょうね。
あるいは、見せ方とか説明をできるだけ映像的にやろうと置き換えてたりする。
特に、ジャック・リーチャーが推理するプロセスっていうのを、できるだけ台詞に頼らずに、映像的に示そうとしている、そういう手際なんかも・・こんだけ脚本でやってる人だから、ついつい台詞でやっちゃいそうだけど、ちゃんと映像的に処理するようにしていることもさることながら、1番の改変ポイントは、元の原作小説の構成そのものを結構大胆に組み替えてるんですよね。
どういうことかというと、原作小説は、よりミステリー要素・謎解き要素が強いわけです。つまり、最初の方にあった狙撃事件の真犯人も、結構後の方になるまで分からない作りなわけですよね。それに対して、今回の映画は、大胆にも最初にまず真犯人を見せるっていう作りですよね。
『ダーティハリー』を思い出してしまうオープニングの流れ
最初のオープニング、タイトルクレジットシーン。狙撃から、現場で証拠品を見つけるまでを一気に見せるっていうこの感じ・・これはどうしたって『ダーティハリー』を思い出してしまうオープニングの流れでしたけど、これはかなり大きな違いに感じられると思いますけど、元になった『ジャック・リーチャー』シリーズ原作小説のワンショットは、小説では9作目に当たるのに対して、映画版はこれが1作目っていう、ここが1番大きなポイントだと思うんですよね。
つまり、ジャック・リーチャーというキャラクターが、いかにスーパーマンかっていうのを見せていくのが、今回の1作目の、絶対に果たさなきゃいけないメインの要素なわけですよ。
その果たさなきゃいけないタスクがある中で、何が真実かも、彼が何者かも分からない状態、つまり、大きな不確定要素が2つも重なってると、観進める観客の興味が持続しないわけですよ。どっちも分からない"藪の中"状態だと。
それこそ『刑事コロンボ』同様、真相は最初に明かしておいて、主人公がいかにして鮮やかに真相に到達するかというところに、観客のカタルシスを置く。
ジャック・リーチャーというキャラクター自身は
原作者のリー・チャイルドさんが仰ってるんですけど「ジャック・リーチャーというキャラクター自身は、物語の最初から最後まで変化しないキャラクターである」と。学習しない・変化しない、要は成長しないキャラクター。
ということは、誰かが変化・成長しないと話が成り立たないわけですけど、誰がするかっていうと、実は周りの人間なわけですよね。
周囲の人間・・例えばヒロインとか、もっと言えば悪役たちが、「ジャック・リーチャーはやっぱりナメちゃいけない奴だった」ということを思い知る。そういう意味で変化・成長するという構造になってるわけですよ。
クリストファー・マッカリーの構成
なので、このクリストファー・マッカリーの構成で、少なくとも映画第1弾は正解ということなんですね。ジャック・リーチャーの能力を見せ、周りの人間がそれを見て驚き気づく、というのが映画全体の起伏を作るということなので、ジャック・リーチャーが真相を知るというくだりは割と軽くていい。
このバランスは映画第1弾としては正解かと思います。
勿論、それによって筋としての粗というのが出てきてしまってる部分があるとしても、映画として、画として語るのであれば、そっちの制約をむしろ採るという、この選択は正しいと思います。映画家としては。
敢えて言えば、ジャック・リーチャーの推理プロセスを、映像的に見せるというのが・・推理するときに、「こうだったんじゃないか」という仮定の映像を見せるわけですけど、そこで、最初に観客が見てる真犯人とは違う人の顔が(ジャック・リーチャーの想像なので)一緒に出てきちゃうので、ちょっと正直混乱はしますね。
原作にない敵のボス
あと原作にないといえば、敵のボスを、映画監督のベルナー・ヘルツォーク--未だに大現役ですよね--が演じてる。これ、僕思い出したのは、イエジー・スコリモフスキが『アベンジャーズ』でちょっとした悪役をやってたりとか・・なんですかね、ヨーロッパの老監督っていうのは悪役が似合うみたいなのがあるんでしょうかね。
ベルナー・ヘルツォーク演じる敵のボス、中々いい味出してたし。
これ原作にない場面ですけど、ミスをした部下に、ある落とし前をつけさせるシーン。ここの"ヤダ味"っていうかね、「よくそういう嫌なこと思いつきますね」っていう。
これネタバレになるのかな・・『アウトレイジビヨンド』の中野英雄さんだったら生き残れたのになっていう。
クライマックスの地味目な殴り込み
あるいは、カーチェイスとか銃撃戦なんかも付け加えられてるんですけど、クライマックスの地味目な殴り込み(銃撃戦)。
ロバート・デュヴァルが出るだけでもう70年代アクション感はグッと強くなるんですけど、ロバート・デュヴァルがそこにいるせいか、僕は、73年の『組織』みたいな感じするな、と。「地味な殴り込みいいですね〜!」っていう感じも大好きですし。
"人数とか火力の差がある敵と戦う"、"ご老体とのコンビ"そして、"車を囮にする"という展開は、奇しくも攻守は逆ですけど『007 スカイフォール』のクライマックスともちょっと重なる・・要は、昔風のちょっと地味目なクライマックスっていうあたりで重なりますよね。
銃撃戦のクライマックス
で、銃撃戦のクライマックス、いくとこまでいくと、今度は殴り合いで決着。「殴り合いかよっ!」って突っ込む人いるかもしれませんけど、勿論理由はあるわけですよね。自らの手で殺すっていう。
あそこで、主人公が過度な危機に陥ってたりすると、なんでわざわざ素手になったのかと思うけど、結構圧倒的に勝つじゃないですか。あれがむしろ納得の部分で、しかも、最後のキーシファイティングメソッドのアレ(やり方)なのかもしれませんけど、「殺し方、なんかえげつないなぁ」みたいな感じとかもいいと思います。
ちなみにこの殴り合いはもう1つ、ある西部劇のオマージュなんですね。
途中で、ジャック・リーチャーが捜査に行くある部屋で、非常にわざとらしくテレビ画面で流れてる映画があって、あれがウィリアム・ワイラーの『大いなる西部』という映画。この映画が、クライマックスの手前くらいで、結構大きな見せ場で・・グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々殴り合うんですよ。
これ要は真にアメリカ的な男らしさの証明ってことですよね。殴り合いで決着っていう。グレゴリー・ペックの役が、外側からやってきた人間が自分を貫いてくという話なので、そういうところも通じると。
それも含めて、現代版西部劇という側面もありますよね。
主人公像が"流れ者が悪を倒して去っていく"
勿論、主人公像が"流れ者が悪を倒して去っていく"というのが、『シェーン』を始め西部劇的であるということは言うまでもなく・・さっき言った、カーチェイスシーンの"思うように前に進めない感じ"込みって言いましたけど、車って、"思うように動いてくれるわけじゃない感じ"。その生き物を御している人たちが、腕を競いながら追いつ抜かれつする感じっていうのが、カウボーイ的。馬みたいだと思ったんですよ。車を御する感じが。そこも、西部劇的なカーチェイスの見せ方を意図的にやってるなという風に思いました。
ということで、現代版西部劇としてもたのしめた・・ちなみに、現代版西部劇っていうのは、イコール70年代アクションっていう言い方もできるわけですから。
狙いの部分
いずれにせよ、狙いの部分・・70年代アクション的な映画全体バランスであるとか、「これ笑わそうとしてんのか」みたいな微妙なオフビートな外したユーモアセンス。
そもそもの作り手の狙いの部分にハマれるかどうか。これ、蛮勇だと思うんですよ。今どきこのバランスをやろうとするのは。
だから、トム・クルーズ自身も、これがいきなり現代の若い観客に大々的にウケるとは、ひょっとしたら思ってないのかもしれない。
「でも今俺はこれがやりたいし必要なんだ!」って思ってるぐらいの感じなんじゃないかなって気がするぐらいです。
ハマれるかどうかで評価は分かれると思いますが、ここまででお別れにしましょう。
僕はもう、断固『アウトロー』支持派でございます。面白かったしね。場面によっては何度も見返したいぐらい好きですね。
クリストファー・マッカリーさん、興行成績とかにもよるんでしょうけど、是非この調子で、70年代いなたいアクション路線、突っ走り続けて欲しいものと思いますね。
「次は『突破口!』みたいなやつ」とかリクエストを出していきたいぐらい。
勿論、このジャック・リーチャーシリーズ、個人的にはトム・クルーズとクリストファー・マッカリーのセットであと9作ぐらい観たいです(笑)。
なので、半笑いで申し訳ございませんでした。オススメでございます!
<書き起こし終わり>
○○に入る言葉のこたえ
②源流には西部劇。作り手の狙いは"面白すぎない"こと。
⑥映画第1弾としては大成功!原作からの改変"いきなり真犯人を見せる"