アスのライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ『アフター6ジャンクション』(https://www.tbsradio.jp/a6j/)
で、ジョーダン・ピール監督によるサスペンススリラー『アス』のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さんアス解説レビューの概要
①メールの量は「多い」
②その全体の○割が「褒め」
③白人の母親に育てられた、白人コミュニティー寄りの所で成長をしてきたアフリカ系アメリカ人であるジョーダン・ピール監督ならではの作品
④ハサミや鏡に込められた演出に注目
⑤細部の細部まで張り巡らされた寓意とか伏線とかっていうのを隅々まで堪能して下さい!
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
『アス』宇多丸さんの評価とは
さぁここからは、私宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週間映画時評ムービーウォッチメン。
今夜扱うのはこの作品!『アス』
2017年の監督デビュー作『ゲット・アウト』で第90回アカデミー脚本賞に輝いたジョーダン・ピール監督によるサスペンススリラー。
自分たちとそっくりの姿をした謎の存在に襲撃される家族の恐怖を描く。
主人公のアデレードを演じたのは、2013年の『それでも夜は明ける』で第86回アカデミー助演女優賞を受賞したルピタ・ニョンゴということでございます。
ということで、リスナーのみなさまにね、この『アス』をもう見たよというウォッチメンからの監視報告、感想メールをいただいております。ありがとうございます。
メールの量は「多め」!
そうですか。はい、注目度が高いってことですかね。
公開規模はそこまでめちゃめちゃ大きいっていうわけじゃないんだけど、ということはやっぱ注目度が高いんですね。
『アス』を鑑賞した方の感想
賛否の比率は8割が「褒め」。
高評価の声が多しということでございます。
褒めている人の主な意見は
・最後の落ちでうなった。アメリカ批判としてもよくできている
・スリラー映画、ホラー映画としても本当に怖く気味が悪い
・緊迫感のあるシーンの中に挟まれるユーモアも上手い。客席からも笑いが起こっていた
等々がございました。
否定的な意見としては
・さすがに話に無理がありすぎるのでは?
・落ちがきれいにまとまりすぎで、かえって底の浅い印象になっている
などがございました。
その中から、代表代表的なところをご紹介いたしましょう。
『アス』好意的な評価、感想
*くさむすび さん。
15歳。最近、若い方が多いね。嬉しいね。
「『アス』、見ました。個人的には『ゲット・アウト』の5倍好きです。
ホラーというジャンルである必要性を最大限に活かして観客に伝えたいメッセージを送りやすくするという上手さ。
単純に娯楽映画としても面白いのですが、そこにアメリカのいまの貧困問題などを絡めることによって考察すればするほど作品の怖さの本質が見えてくるというのは『ゲット・アウト』の時と同じだとは思いますが、僕が『アス』が『ゲット・アウト』よりも優れている点はラストだと思います。
最後、映画のタネ明かしをわかりやすくする事によって強調される鳥肌の立つ恐怖を観客に植え付ける演出になっているラスト、完全に打ちのめされました。
家族結託スラッシャームービーとしても面白いし、探れば探るだけ楽しい、よく作りこまれた映画でとても楽しめました。」
というくさむすびさんでございます。
一方、ちょっとダメだったという方。
『アス』批判的な評価、感想
*どんぐりころころ さん。
「『アス』、かなり期待して見に行きましたが私はダメでした。
前半まではとてもワクワクしながら見ていました。
ですが、後半明らかになる”私たち”の正体とその後の展開にはかなり疑問を抱きました。」
それでちょっとネタバレ込みで書いていただいて、
「後半からは話が繋がっていないと感じました。
貧困格差、人種の問題、イギリスから独立し先住民の土地を奪って誕生したアメリカ合衆国という国の成り立ちから、現代アメリカに至るまでの人類の存在、あり方そのものに対する批判という事を描きたかったのではないかと思いますが、それにしてもあまりにも矛盾が気になる作品だったと思いました。
あと私は滅ぼされるべきは人間そのものではなく、愚かな思考や歪んだ社会の制度、仕組みであると考えているので、好きじゃない作品だと思います。」
ということでございました。
『アス』宇多丸さんが見た結果、感想
はい。えーということで皆さん、メールありがとうございます。
私もこちら『アス』、TOHOシネマズ六本木で2回見てまいりました。
あとそうだ、輸入ブルーレイがすでに出てるんでね、そちらで見直したりもしました。
えーということで、2017年の初監督作『ゲット・アウト』っていう作品が、低予算のホラー映画ながら、その鋭い社会批評性がですね高く評価されて、まあここでは水面下でより陰湿化そしてちょっと倒錯化した人種差別構造、搾取構造みたいなものを鋭くエグった、というかね。
ジョーダン・ピール監督、監督2作品目
監督は、オバマ時代、オバマが大統領になって、人種差別問題はオールOKみたいな、「んなわけねえだろ!」っていう、なんかそういう事を突きたかった、みたいな事をインタビューなどで仰ってますけどね。
その『ゲット・アウト』で高く評価されて、アカデミー賞でも作品賞を含む、主要部門に複数ノミネートされ、見事、アフリカ系アメリカ人にとしては初の脚本賞を獲得して、一躍一流映画作家の仲間入りを果たしたジョーダン・ピールさんというね。今回で監督二作目です。
これ、町山智浩さんと今週会う機会が多くて、監督ご本人にインタビューされたということで、「『アス』、見ましたよ」って言ったら、町山さんがいろいろと教えてくれて。
白人コミュニティー寄りの所で成長をしてきたジョーダン・ピール監督
町山さんから聞いた所によると、そのジョーダン・ピールさん。
そこそこやっぱり育ちのいいニューヨーカーでですね、どっちかといえばやっぱりお母さん、育てのお母さんが白人だったりして、どっちかと言えば白人コミュニティー寄りの所で成長をしてきた。
ちょうどこのね、今回の本作『アス』の主人公家族のお父さん。
これを演じているウィンストン・デュークさん、『ブラックパンサー』のエムバク役ですね。
ウィンストン・デュークさん、もうずばり、ジョーダン・ピール監督本人をモデルにした、と言ってますけども、まさにああいう、中産階級のインテリアフリカ系アメリカ人という方らしいジョーダン・ピールね。
劇中でお父さん・ゲイブが着ているトレーナー
ちなみに劇中でお父さん・ゲイブが着ているトレーナーも、ハワード大学っていうワシントンDCの名門私立黒人大学ですね、非常にエリートを輩出している。
とかね、彼が序盤ね、ルーニーズというグループの1995年のヒットラップチューンで、『I Got 5 on It』っていうね、あのまあハッパを買う歌なんですけども(笑)、
それを「これはドラッグの歌じゃないぞ!」って無理やり言い張る所とか、おかしかったりするわけですけども、
まあ要するにいいところの人、っていう感じなんですけども。
とにかくジョーダン・ピールさん、そんな感じで、育ちがいいので、いわゆるそのステレオタイプな黒人っぽさ、ストリートの「Yo! メーン!」な感じのそのステレオタイプな感じには全くハマらないタイプなアフリカ系アメリカ人、でもある訳ですよ。
コメディアンをしている
で、それゆえの作風っていうのもあるんですね。
もともとコメディアンとして、特にそのキーガン=マイケル・キーとのコンビで、『キー&ピール』っていうコント番組、これコメディ・セントラルというアメリカのケーブル番組でずっとやってた人。
これあのYouTubeで本当今でも大量に見れて面白いんですけども、
そこでのネタも、そういう人種ネタギャグっていうのはアメリカのコメディアンいっぱいやりますけども、
特にアフリカ系アメリカ人のコメディアンはやりますけど、あのー人種差別に直接的にこう「わっ」と言う、というよりは、その人種的なステレオタイプから生じる微妙な居心地悪さとかおかしさ、だからその黒人ってこう見られがちだけども、とかそういうようなことも含めた居心地悪さ、おかしさっていうのを、ちょっと俯瞰的メタ的に眺めて見せるような、ちょっとクールな知的な視点というのがあって。はい。
「キー&ピール」コンビの主演『キアヌ』
で、そのあの「キー&ピール」コンビの主演、脚本を務めたコメディ映画『キアヌ』というこれ2016年の映画。
これ日本ではDVDスルーになっちゃいましたけど、これもまさにですね、主人公2人、育ちが良すぎてストリート的タフさゼロのアフリカ系アメリカ人の青年2人が、ひょんな事からメソッド・マン演じるボスが仕切るそのギャングチームに入り込む、という話な訳ですね。
で、興味深いのはですね、この『キアヌ』。まぁもちろんコメディだし全然作品のトーンは違うんだけども、すでに色んな点で今回の『アス』と重なる点が結構多く見られるなっていうのが面白いなと思いましたね。今回このタイミングで見て。
『キアヌ』と『アス』
まず話自体が、その社会階層が異なる同胞、同じアフリカ系アメリカ人だけど社会階層が異なる者同士が邂逅(かいこう:思いがけなく会う事)することによるカルチャーギャップ。という話もそうだし、主人公達が名を語る殺し屋、アレンタウン兄弟っていうのがまぁいるわけですけど、これ非常にモンスター的な存在感があるんだけど、これの風体がですね、色味こそ違うんだけど、全体的に黒っぽい、今回の『アス』が赤っぽいのに対して黒っぽいんだけど、今回のテザード、縛られた者達とかなり近いムードの怪物的な雰囲気だし、あまつさえそのモンスターめいた2人っていうのを、キーガン=マイケル・キーとジョーダン・ピールが二役で演じているんです。
完全に『アス』構造でやっている訳ですよ。
「Fuck tha Police」
そして今回の『アス』でも印象的だった、まぁこれは枝葉の部分ですけど、今回の『アス』でも印象的だったN.W.A.「Fuck tha Police」ネタのギャグ、この『キアヌ』でも形は違うんだけども先んじてすでにやっているという、どんだけ好きなんだ「Fuck tha Police」ネタっていう(笑)。
はい。そう考えるとですね、さっき言った一大出世作『ゲット・アウト』も、やはり比較的恵まれた環境にいる、
つまり”分かりやすく黒人的”ではないアフリカ系アメリカ人の主人公が、自分たちが置かれているその社会の真実に向き合うことになる。
そしてその自分が、その恵まれている環境にいるんだけども、ずっと密かに抱えてきた罪悪感と共に、その本当は自分が置かれている立場とか社会のあり方っていうのと向き合うことになるという点で、やっぱりジョーダン・ピールさん、今回の『アス』ともつながっているし一貫した作風、テーマあるなと。
アフリカ系アメリカ人としての諸々の社会問題
要するに、自分自身は非常に育ちがいい環境で来たけども、同時にアフリカ系アメリカ人としての諸々の社会問題とも無縁ではなくて、というような所。
と、やっぱ無縁じゃないというか、そこで一貫した作家性があるな、と。
ということで今回の『アス』、『ゲット・アウト』から引き続き、現代のアメリカ社会を痛烈に風刺する、ホラー映画っていうよりは僕はやっぱりSF的寓話っていう感じのバランスだと思いますけど。寓話っぽい。
やはりですね、今回も製作、脚本、監督を務めたジョーダン・ピールさん独特の、知的な面白さにあふれた一作だな、という風に思いました。
「ハンズ・アクロス・アメリカ」
順を追っていきますけどね。
まず、ファーストショット。古いテレビが映っているわけです。それが映し出しているのは、「ハンズ・アクロス・アメリカ」という、1986年のチャリティーイベントのCMを流している。
ちなみにこのCMで後ろにチープで演奏し直されて流れてる音楽が、実はエンディングで壮大に鳴り響く、ミニー・リパートンの「Les Fleurs」というね有名な曲ですけども。ラララ〜(歌う)、え〜だったりするという、
ここもオープニングとエンディングが対になっていたりする訳ですけども。
これ、あの「ハンズ・アクロス・アメリカ」というチャリティーイベントがどういうものだったのかっていうのは、詳しくはパンフレットの町山智浩さんの解説とか、ネットなどで調べていただければ分かると思うんですが。
とにかくここで、そのね、まず「ハンズ・アクロス・アメリカ」というCMが流れている。
で、テレビの横にいろんなVHSビデオが並べられている訳ですね。
まぁホラー映画の『チャド』であるとか、皆さんご存知の『グーニーズ』でだとか、『ライトスタッフ』だとか、『2つの頭脳を持つ男』、これなんかはもう『ゲット・アウト』を完全に連想しちゃいますけども。
そして、『エルム街の悪夢』とかがこう並んでいる。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」
あるいはですね、その後。
幼き日の少女だった主人公がサンタクルーズのですね、遊園地でもらうそのマイケル・ジャクソンの「スリラー」のTシャツだとかですね。
あるいはですね、その辺で立っているちょっと謎の男が掲げている紙に書いてある、旧約聖書のエレミヤ書第11章11節というね、まぁ要するに神様が、自分の言うことを聞かなかった人間にこう災いを下す、「お前ら、何を言ってももう聞かないよ」って言うような、そういうエレミヤ書第11章11節。
つまり11:11となるこの数字であるとかですね。
ウサギバックのオープニングクレジット
そこから、その時点ではまだ観客には全く意味が分かんないんですけど、オープニングクレジット。
檻の中に並べられたウサギたちをバックにしたなんとも奇妙な印象を与えるオープニングクレジット。
これを挟んで、時制が現在になってからも、例えば長女が着ているTシャツ、パーカー。
いずれもウサギのプリントだったり、あと”THO”って書かれているのはこれベトナム語でやはりウサギを指す言葉、そう書かれたプリントであったりとかですね。
あるいはまぁ、これはもう終盤ね、「ああ、あれがコダマしてるな」ってわかる救急車のミニカーであるとか。
しかもその救急車、エンディング、屋根についている数字なんですか?とかね、そういうのもあったりするんですけどね。
長女が語る、陰謀論、政府の陰謀論とこの世の終わり
あるいは何気なく交わされる会話、そのディテール。
たとえばあの長女が語る、陰謀論、政府の陰謀論とこの世の終わり、を直視しようとしない普通の人々ていう構図であるとか、あるいは単に「私、会話がちょっと苦手なのよね」こんなディテールとかですね。
もちろん後々ね、もろに『シャイニング』オマージュっていうのがはっきりする、『ゲット・アウト』でも『シャイニング』オマージュっていうのをやってたんですけど、明らかになる双子であるとかですね。
全編で多様される左右対称
そもそも、全編で多様される左右対称、シンメトリカルな非常にこれもやはりキューブリック的と言っていいと思うけども、左右対称な構図がまぁ、ほとんど全編と言っていいぐらい左右対称な画が頻出するんですけども。
とにかく、この実際にことが起こり出すまで、第1幕目で散りばめられる僕が今言ったような様々な描写、ディテール、細部っていうのが、実はそれぞれ後に起こることを暗示とか予告するように全体と響き合っている。
細部と細部が響き合って、不気味な共鳴音を映画全体が発しているみたいな、映画を見終わると。
全体が響きあってたことに気付く後から、みたいな。
そういう、実はやはりものすごく周到で緻密な作りになっているという事ですね。
だから二度目に見ると、やっぱりそれがよりはっきりとわかってくるんですけども。
作りそのものはアート映画的
ということで、その意味では、ホラー映画とかね、まぁそういうジャンル映画的なパッケージングなんだけども、やっぱり作りそのものはアート映画的という風に言えるかなと思います。
でまぁ、ルピタ・ニョンゴ演じる主人公がですね、例えばそのガラスに写った顔越しに色んな事が、この、鏡面ね、ミラーを使った演出はこれ『ゲット・アウト』でも多用していました、ジョーダン・ピールさん。
もちろん今回も当然のようにテーマ的な必然性込みで、つまり合わせ鏡の鏡像的な存在が出てくる訳ですから。
必然性込みで全編でこの鏡、写し鏡の演出がいっぱい出てきますけど、鏡の中のもう1人の自分と向かい合うかのように、もしくは向こう側の世界から語りかけてくるかのように、主人公がですね、幼い頃ドッペルゲンガー、つまりもう1人の自分と出会ってしまったトラウマ、それ以来ずっと不安を抱えてきてきたってことを吐露した所で、まさにその恐怖が現実化したかのようにですね、主人公たち4人家族とまさに鏡像関係的なテザード、縛られた者ファミリーが登場する訳ですね。
最近のホラー映画で言うと『イット・フォローズ』的
ここちょっとやっぱりね、最近のホラー映画で言うと『イット・フォローズ』的、これ『イット・フォローズ』的に見えるのにはまたあと理由があるんですけど後ほど言いますね、『イット・フォローズ』的だったりとか。
あと、1番下の男の子がちょこまかちょこまかと動物的に動くっていうあれはちょっと『呪怨』の「俊雄くん」的だったりもしますよね。
はい。ちなみにこのテザードの皆さんが着ている赤いつなぎ。
もちろん囚人服風、囚人のメタファーでもあると同時に、ハロウィンのね、スラッシャームービーの代表格『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズ風でもあり、並んだ時にこうやって並ぶと、やっぱり「ハンズ・アクロス・アメリカ」のあの手をつないだアイコンそのものにも見えるし、そして同時に、やっぱりさっき言った『スリラー』のマイケル・ジャクソン風でもある。
マイケル・ジャクソン風でもあり、フレディ・クルーガー風でもある
同様に、片手に指なし革手袋をしてるんですけども、これやっぱりマイケル・ジャクソン風でもあり、フレディ・クルーガー風でもある、とかですね。
ハサミってのを持っているんだけど、ハサミっていうものは2つで1つ、「2パーツでひとつ」っていう道具であり、同時に「2つを2つに切り離す」道具でもあるという。
いちいちやっぱり全てがシンボリックに機能してるという感じなんですね。
で、要は彼らはですね、我々、アスの似姿であり、ね、こんな問答をしますよ。
「あんたら、何者だ?」「We are American」ね。アメリカ人だっていう。
つまり、このアス(Us)っていうのはUS(United States)、アメリカ合衆国の象徴でもある訳ですよね。
これ、なるほどね。一種抽象的な、幽霊的なというか、メタファー的な存在なんだな、メタファー的な怖いアレなんだな。だから、実在はするかどうかわからない感じの人たちなのかな、と思いきや、後半からクライマックスにかけて、意外と具体的なシステムとしてそれが提示される、というあたり。
日の当たらない、恵まれない存在
これあの、となると、ちょっと無理がないか?やっぱりこの設定っていう気もちょっとしてくる、というこのあたりを含めて、『ゲット・アウト』と非常に重なる感じもあったりするんですけどね。
まあとにかくですね、まぁこういうことですよ、このテザードっていうのは。
安穏と、何不自由なく暮らしている私たちと、完全に不可分な、なんなら対になる存在としての、日の当たらない、恵まれない存在、というか存在さえ認められない人々、っていう事ですね。
これは単なる「他者」じゃない訳です。単なる異物じゃなくて、我々のこの暮らしと完全に、この人達がいるからこっちもある、我々がいるという事は向こうも生じる、という存在な訳です。
「お前らの豊かさの分け前をよこせ!」
で、彼らが自らの存在を主張し、「お前らの豊かさの分け前をよこせ!」と要求し出した時、さあ我々はどう振る舞うのか?どうなってしまうのか?という話と考えると、これはもちろん、まさにいま壁で人々を、壁を作ってね、人々を分断し排除するそのトランプ時代のアメリカというものを、特にエンディングはその皮肉な裏返しですね。まあ、これも見てください。はい。
トランプが作ろうとしている壁の皮肉な裏返しとして描いているのと同時にですね、ここ日本も当然のことながら無論、全く無縁ではない、地球規模で通じる格差、不公平の話、というですね。
やっぱり我が国の豊かさっていうのも、どこかの国の人々を、例えば安い賃金で使うとか、資源をどこかで取ってきて、っていうことじゃないですか。
で一方では貧しい国がいてっていう不均衡が確実にある訳ですよね。
という構造ともちろん無縁ではない、その意味で、アメリカの白人・黒人問題というものを描いた『ゲット・アウト』よりも、さらにやっぱり視野が広く、射程が長くなった作品とは言えると思うんですね。『アス』ね。
ネチネチと心理的にも弄ぶようにいたぶる
まあ今回、人種も超えた話ですよっていうのは、中盤、主人公家族の友人の白人一家がどうなるか、という所ですでに示されているっていう感じですね。
で、ともあれ湖畔の別荘にですね、ズカズカと上がり込んできたそのね、テザード・ファミリー、縛られた人々のファミリー。
それがね、ネチネチと心理的にも弄ぶようにいたぶる、というそのいたぶり方。
これ、湖とボートというセッティングを含めてですね、僕はやっぱりミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』、ちょっとこれを思い出しましたね。
実際にジョーダン・ピールさん、キャストに見せた参考作の中の一つが『ファニーゲーム』が入っていたみたいですけどね。
緩急のつけ方がやっぱりさすがコメディ畑出身
で、ジョーダン・ピールさんね、ホラー演出、バイオレント演出は比較的おとなしめな人なんですけども、
要所要所でつい笑っちゃう要素、ネタを放り込んでくるあたり、この緩急のつけ方がやっぱりさすがコメディ畑出身、さっき言ったね、N.W.A.「Fuck tha Police」ネタ然り、あと、僕が笑っちゃったのはやっぱり「子供がショックを受けるだろ」「もう遅いよ!」っていうあのやり取りとかも笑っちゃったりしますけども。
で、ただまぁ何がすごいって僕はやっぱりですね、本作は、そのテザードたち、その縛られた謎の者たち、テザードたちとの戦いの全てが一人二役で演じられているっていうところ。ここがやっぱりすごいなと思います。
主人公を演じたルピタ・ニョンゴ
特にやっぱり、主人公を演じたルピタ・ニョンゴさん。
単に善と悪、陰と陽、この演じ分けをやるだけでも結構大変なのに、単に善と悪、陰と陽では分けられない、ちょっと詳しい説明は伏せますが、非常に入りくんだ、それこそ一挙手一投足、それこそ息づかいまで気を使わなきゃいけない、息づかいひとつ取ってもキャラクターの何かがにじみ出てきちゃうような、非常に複雑な大変な演じ分けを、少なくとも観客側にとってはごくごく自然にやってのけていてですね。
やっぱりこれすごい俳優さんだな、ルピタ・ニョンゴって思いましたね。
そんなこんなでですね、実質密室内での会話劇だった『ゲット・アウト』から打って変わって今回の『アス』はですね、まぁさっき1回言った『ファニーゲーム』的なその別荘監禁物になっていくのかと思いきや、どんどんどんどん舞台が広がって、それにつれてですね、事態もゾンビ映画級に広がっていく。
ただし、ゾンビと違ってこのテザードたちの「革命」はですね、あくまでその冒頭に示されたアレがモデルになってるあたりがですね、切ないやら不気味やらで、ちょっとある意味、健気でもあってですね。
これまで数多くの映画で描かれてきたその黙示録的光景っていう中でもかなり異色の、やっぱりはっきり政治的プロテスト色を感じさせる、非常にこう忘れがたいシーンというか、世界観になってるんじゃないかと思いました。
後半からクライマックス
ちなみにですね、さっき言ったように、後半からクライマックスにかけて、本当にちょっとね、意外なほど具体的なシステムとして、事態が説明されるわけです。
このあたり、やっぱり『ゲット・アウト』譲りでして、よく考えると”そう考えるとちょっと荒唐無稽すぎませんか”とか”ちょっとそれ理屈が・・じゃあ、これはどういうこと?”みたいな、ちょと気になるところが増えていく、というあたり。
これは僕『ゲット・アウト』でもちょっと感じた部分でもあって。
だからジョーダン・ピールさん、後半にそうやって具体的なシステムとして提示するというのは、まぁひとつの作風なんでしょうが、好みが分かれるあたりだな、とは思います。
撮影監督マイケル・ジオラキス
ただ、この今回の『アス』に関しては、ちょっとぼかして言いますけど、語り口上にちょっと仕掛けが1個あるんですね。
なので、あのキャラクターの視点を通した、あのキャラクターが抱いてきた罪悪感込みの、あのキャラクターの視点を通した世界のあり方、なのだと考えれば、これはこれでありではないか?
むしろ僕はですね、さっき言った、やたらとシンメトリカルなグラフィカルな要するに左右対称な画面、これ、撮影監督はですねね、マイケル・ジオラキスさん。
『イット・フォローズ』『スプリット』など、この手の画作りの名手ですね、グラフィカルな。
プロダクションデザイン、ルース・デ・ヨンク
そして、プロダクションデザイン、ルース・デ・ヨンクさん。
このお二方の手腕が特に光っていると思いますが、非常に整然としすぎているがゆえに、一種抽象的で悪夢的でもあるこの画面の磁力の強さを持ってですね、これはこれでこう、不思議とこう心地よい不気味さをたたえた展開だな、っていう風に思いました。
妙に綺麗だったりするあたりがね、変なんだけど、なんかこう、その変さも込みで、「なんか変だよな」っていう感じも込みで、これはこれでありな語り口かな、今回の『アス』に関しては特に、と思いました。
まあ、決定的なネタバレを避けて言えるのはこれぐらいなので。
とにかくですね、我々も含めたこの満ち足りた、安穏とした暮らしの足元を問い直すようなこの鋭い視点。
まさにジョーダン・ピールの作家性ならではの物だと思いますし、まさにそれは我々日本の観客も完全に他人事じゃない問題意識でもあるはず、それが『ゲット・アウト』よりも、より我々に身近なものとして感じられるテーマ設定が今回の『アス』ではされています。
『アス』は、『ゲット・アウト』以上に広く深い射程を持った一作になっていると思います。
僕も『ゲット・アウト』よりこの一作の方がやっぱり好きな一作になりましたしね。
やはりただものではないジョーダン・ピールさん。
次あたり、さらにちょっとデカいホームランをかっ飛ばすんじゃないかなというような期待もさせるような所がございます。
先ほど私が言ったようなですね、本当に細部の細部まで張り巡らされた寓意とか伏線とかっていうのを隅々まで堪能していただくために、もぜひぜひ劇場のスクリーンでウォッチして頂きたいと思います。
*書き起こし終わり。
○○に入る言葉のこたえ
②その全体の8割が「褒め」