ミッドサマーのライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/)
で、アリ・アスター監督最新作、大ヒット上映中の「ミッドサマー」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さん「ミッドサマー」解説レビューの概要
①なんと賛否の比率は褒めが○割!
②賛成派・否定派それぞれの深い意見があった
③宇多丸さんはTOHOシネマズ日比谷に一言言いたいことがある
④若い女性観客が劇場に詰めかけているのはなぜか
⑤エンドクレジットの曲にはこんな意味が・・・?
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
ミッドサマー、宇多丸さんの解説
(宇多丸)
さあ、ここからは私歌丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」!
今夜扱うのはこの作品「ミッドサマー」!
これで最初のパンフについてる絵が開いて始まるんですけど。
長編デビュー作「ヘレディタリー/継承」で高い評価を集めたアリ・アスター監督最新作、不慮の事故で家族を失った主人公のダニーは、恋人や友人達とスウェーデンの奥地にあるホルガ村を訪ねる。太陽が沈むことのない、白夜の最中なんですよ。ホルガ村は90年に1度の夏至祭の真っ最中で楽園のような場所に思えたが、ダニー達にとってそれは悪夢の始まりだった。主人公のダニー役は「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」で第92回アカデミー助演女優賞にノミネートされたフローレンス・ピュー。さらに「デトロイト」のジャック・レイナーやウィル・ポールターさんなどが出演しております。
といったあたりで「ミッドサマー」、世の中的に結構異例のヒットをしているみたいでしたけど。まぁちょっと新型コロナウイルスの影響もあるのか、「もう見たよ」というウォッチメンからの鑑賞報告をメールでいただいているんですが、メールの量は普通!ちょっと大ヒットぶりと、番組内でも非常に盛り上がった作品なんですが、それにしてはちょっと少なめなのかな。
ミッドサマー、視聴者の主な意見は・・
ただ、賛否の比率は褒めが7割程度。褒めてる人の主な意見は、
・自分達の常識が通用しない世界に、登場人物達同様、気づけば自分も取り込まれていた。
・くらくらとした余韻を今も引きずっている。
・鮮やかな色彩や美しい構図がより異常さを引き立てていた。
・観終わった後、なぜか爽快感が。
などございました。
一方主な否定的な意見は
・物足りない。
・怖さも不快さも、アリ・アスター監督前作「ヘレディタリー/継承」の方が上。
・登場人物達の行動が馬鹿すぎて興ざめ。
・不快なものを描くことが目的化し過ぎている。
などがございました。
よく考えたらこんだけ変わった映画が、賛否が7って、これ結構多い方かなって気もしますけど。
代表的なものをご紹介しましょう。
ミッドサマーを見た方の代表的な意見をご紹介
*シムシムさん。
これは2つの意味で危険な映画だなっ、というのが第一印象でした。
まずこの映画は、こちら側の世界で救われなかった人物があちら側の世界で救いを見つけた、という話になっていると思います。
この、あちら側の世界にたどり着くまでが、そしてその内実はなかなかにエグかったりするのですが、ラストシーンの主人公の表情に象徴されるように、確かにそこには彼女にとっての救いがありました。
しかし慣習や伝統とはいえ、人殺しを正当化してしまう世界観を持つあちら側の世界というのは、やはりとてつもなく危ない世界なんだろうとも思うのです。
これまで教義のために嬉々として命を差し出す・差し出させることをやっていた側の人間が、そして近くで・・・・・・
(宇多丸)
ちょっとこれ、伏せさせていただきます。
*シムシムさん。続き
実際は危険が満ち溢れているあちらの世界からこちら側の世界に戻る様、教義が解ける様を打ち出しているようで、本シーンは非常に印象に残りました。
そしてこの映画の何より危険な所は、とんでもないあちら側の世界がなぜだか観賞してる間に魅力的にすら見えてしまうことだと思うのです。
催眠術的と言ってよいかもしれませんが、アリ・アスター監督らスタッフの並々ならぬセンスにやられっぱなしの約2時間半でした。
カルト的人気を呼ぶカルト的映画として語り継がれるであろう一作だと思います。
(宇多丸)
一方、ダメだったという方。
ミッドサマーがダメだった方の感想
*ミスターホワイトさん
番組で監督インタビューまでされた作品に対して言うのは憚られますが、私は本作が嫌いです。
「ヘレディタリー」も一部の鮮烈なショックシーンを除いては、ありがちな神経症的ホラー演出ばかりで過大評価だと思っていましたが、本作でいよいよ、アリ・アスター作品の本質は「観客に嫌な気持ちを与えることへの固執を、意味ありげな雰囲気で包んでいるだけのもの」と感じた次第です。
何よりも私が嫌悪を感じたのは、あの結末を見せるために登場人物達が「スクリーム」シリーズで犠牲になる学生達よりも、救いがたいぐらい頭が悪く設定されている点です。
監督が見せたい結末のために登場人物を馬鹿にするのはあまりにも心無いと思います。
彼らの都合よい犠牲者ぶりは観ていて苦痛でした。
ハートの無い作り手には付き合いたくありません。
次作も同じだったら私はアリ・アスター作品は以降パスするでしょう。
好き嫌い以外で感じたのは、舞台設定や雰囲気は「ウィッカーマン」に似すぎで、北欧に対しての偏見のようなものすら感じます。
(宇多丸)
あと、「リンゴキューデン」さんという方が、まぁちょっとこれ時間ないので端折らしていただきますけど、劇中でジャック・レイナ—さん演じる彼氏役クリスチャン、ダメっていうか、どっちかっていうと悪い方役になってっちゃうんだけど。クリスチャンの立場っていうのも考えると擁護したいというふうなことを。要するに大きな不幸にみまわれた人の側にとどまった人にもダメージを受けるんだ、というような立場から書いていただいて。これもなるほどな、というふうに思いました。
ミッドサマー、宇多丸さん解説
(宇多丸)
ということで「ミッドサマー」!
私もアリ・アスター監督インタビューに備えて、もう去年の時点でいち早く観てましたし、今回このタイミングで「TOHOシネマズ日比谷 ディレクターズカット版」も公開中なので観てまいりました。ちなみにちょっと一言言わしてください。TOHOシネマズ日比谷の私が上映で観た回は、ディレクターズカット版、スクリーンの四隅がちょっと湾曲した状態で、ぐにゃっとこう余白が余っちゃう。要するにレンズがちゃんとスクリーンサイズに合わせてないのかズレてるのかで、ちょっと変な感じの上映状態のまま日比谷さんやってましたよ、というのはちょっと指摘しておきたいなと思いました。ちょっと映画館でかける状態としてこれはどうなんだ、というような状態でした、僕が観た回は。
ということで「ヘレディタリー/継承」については私ベスト1に選びつつ、公式書き起こしが今でもアーカイブされてます。こちらも読んでいただきたい。今回の「ミッドサマー」に連なってるのもありますし。
アリ・アスターさんのインタビュー、こちらも2月27日にオンエアいたしまして、ラジオクラウドなどでも聞けます。ということで、こちらも聞いてください。肉体はいつか無条件で僕達を裏切るとか、彼の色々のその映画作りというか、ストーリーテリングの哲学なども語っていただいて、なかなか納得の内容だったかなと思います。こちらもご鑑賞のお供にぜひ観てください。
ということで「ミッドサマー」!
ちょっと予想を超える大ヒットになっているようで、インタビューの中で時間切れで質問しきれなかった20分以上長いディレクターズカット版というのがあるそうですが、これはどういう内容ですかっていうのがまさにそのオリジナル版の公開中に同時に公開されるという、なかなか異例の事態がなってるくらいヒットしてるということです。
ミッドサマーとは、どんな映画なのか
改めてじゃあ「ミッドサマー」はどんな映画なのかというのざっくり、概要からちょっと説明していきますと、近代西洋文明社会から隔絶した終焉の地にのこのこ出かけて行った人達が、現地の因習の餌食になるというような。この話自体は、ホラーにしろ、モンド映画というようなジャンルにせよ、たとえば食人族とかでもいいんですけど、むしろ定番的、ジャンルとして確立されたものでもあって、手を変え品を変えいろんな形の名作・傑作・珍作すでにもう星の数ほどあるような話のベースではあるんです。中でも、陽光がさんさん照らす真っ只中、妙に明るい祝祭感さえ漂う中で、白人の現地人達が、言っちゃえば非キリスト教的な異教の儀式、怖ろしい儀式をキャッキャキャッキャと行っていくという点で、僕も当然のようにインタビューでふれましたし、少なからずの映画ファンが予想・連想するであろう、先ほどのメールにもありましたとおり、1973年のイギリス映画「ウィッカーマン」に近いっていうふうに感じる方も多いでしょう。リメイクもされました。これねニコラス・ケイジ。あと「ホット・ファズ」、エドガー・ライトの「ホット・ファズ」はかなり「ウィッカーマン」色強い作品だったんで。なんとなくあの感じというのは分かるんじゃないですか。あと個人的には、非常に大好きな映画でハーシェル・ゴードン・ルイスの「2000人の狂人」という1964年の映画があって。これも2005年に「2001人の狂宴」でリメイクされましたけど。2000人の狂人なんかも、要するに明るい中でみんながキャッキャッキャッキャッ言いながらお祭りの中でひどい惨劇が起こるみたいな。誰も話聞いてくれないみたいな。あの感じ、ちょっと思い出したりしました。ぜひ見たことない方、ハーシェル・ゴードン・ルイスの「2000人の狂人」、酷いです。これ褒めてますけど。酷い!最高!ていう。
今回「ミッドサマー」の場合、北欧という、今となってはもちろん進歩的な社会というイメージも強いですけど、古くからの土着文化も根っこにはあるという場所で、白夜なのもあって一見本当にこの世の楽園風に見える。け・ど・も!というあたりのギャップ感がまずはフレッシュというのは言えます。日本は非常に北欧家具なんかも人気ですし。そこのギャップで一見オシャレに見えるけど、みたいなとこのギャップもウケたんじゃないかと。
アリ・アスター監督自身の個人的な体験がベースに。
ただもちろんそれだけではなくて、脚本・監督アリ・アスターさん、前作「ヘレディタリー」では悪魔崇拝ものという、これもホラー映画としたら定番的なジャンルの形を借りて、家族という呪い、家族という地獄を描くという。しかもそれはアリ・アスターご自身の個人的な体験がベースになっていますよという。要は、ホラー映画としてホームドラマを描くということをやってたわけです。ホームドラマで描かれるテーマをホラー映画として、本当に、家族という地獄を本当に地獄として描くみたいなことやってたわけです。
同じく今回の「ミッドサマー」も、実は「ヘレディタリー」制作前から進んでいたというこの企画も、辺境ホラーものもしくはモンド映画というジャンル映画的な枠組みを使って、もちろん過去作とも通じる家族という呪いというテーマも物語の基盤として刻印はされていますけども、本作のメインは何より、これもやっぱりアリ・アスターさんご自身の失恋体験を基にしたという、ある末期的なカップルの関係の終わり、決定的な別れを描いたメロドラマでもあると。要は僕の大好きな、いわゆる倦怠夫婦ものって言ってます、倦怠カップルもの、大好物なんですけれど。つまりホラー映画もしくはホラー映画としてホームドラマを描いた「ヘレディタリー」と同様、ホラー映画もしくはモンド映画としてメロドラマ、倦怠カップルものを描いた作品と言えると、今回の「ミッドサマー」は。
特に主人公、今もう本当に目下大活躍、フローレンス・ピュー演じる主人公ダニーさんの視点から見れば、実はろくなもんじゃなかった彼との関係をついに清算して。晴れやかに新たな自分と世界を受け入れていくという、見方によっては超前向きな成長物語とも取れるような話になってるわけで。特に言いたいのが、ここ日本で、わけてもその若い女性観客が劇場に詰めかけてるというのをあえて分析するなら、一つにはこの主人公ダニーからすれば「Let it go」かつ「Into the unknown」でもあるという。これは町山さん、この番組にお越しいただいた町山智浩さんお越しいただいたときにも話しましたけど、アナ雪、特に2もやっぱり北欧の土着文化っていうのはベースにある作品だって言いましたけど、とにかくあの主人公目線からすると「Let it go」かつ「Into the unknown」、つまり女性が自己を解放して新たな世界に入っていく話という側面がウケてるってのも、ちょっとあんのかなぁというふうに思ったりします。
アリ・アスター監督はネタバレOK?
ちなみにさっきから、主人公は最終的にそのダメな彼氏との関係をついに清算とか、のこのこ出かけて行った人達が現地の因習の餌食になるとか、はっきりストーリー上のネタバレになるんじゃないのそれはということをちょいちょい言っていますけど、脚本・監督アリ・アスターさん、私がしたインタビューでも明言されていましたが「そんなことはジャンル映画でもある本作においては分かりきってることだから、そんなことをわざわざサプライズ的にもったいぶって扱うのはやめた」ってこう明言されてるわけです。それどころか、この「ヘレディタリー」もかなりそうでしたけど、本作「ミッドサマー」はその前作以上に、後に起こる展開が前の方でいろんな形で、例えば絵だとか、さりげない会話だとかではっきり予告されていたり、逆に前の方で起こったことが後ろの方に別の形でこだましていたりということで。要は全てはあらかじめ仕組まれていてこうなるしかなかった、全ては予告されていたし、全ては計画通りに進んでこうなったというような。要はアリ・アスターさんの作品独特の運命論的ストーリーテリングというのかな、結局こうなるしかなかった、主人公・登場人物達に選択肢はなかったというようなストーリーテリング。その哲学についてもインタビューで軽く語ってらっしゃいました。というのが、緻密に全編に張り巡らされているというわけなんです。
ミッドサマー、ド頭の絵でストーリー展開があらかた提示されている
何しろ今回の「ミッドサマー」に至っては、もうド頭です!冒頭!ファーストショット!さっきの音楽もう一回かけて。ファーストショット、あの絵、10秒ぐらい映し出されるある絵があるわけです。あの最初の絵で、ちょっと絵巻物形式というか、右から左にこう時間経過していくような絵なんですけど。あの最初の絵で、もうその後こうなりますよってストーリー展開があらかた提示されてんで。最初に、はい、こうなって、こうなって、こうなりまーすっていうのが。まぁ10秒程度しか出ないんで、最初に言ったように最初に観たときは意味分かんないんだけどという。細かくこの絵見たいという方は、おなじみ「大島依提亜」さんデザインのその超絶凝りまくったパンフレット、その表紙裏にこの絵が大きく印刷されていますので、ぜひこれ鑑賞後にご覧いただくといいんじゃないでしょうか。その映画を紙芝居風にスルスルと開いて、つまり前作のオープニングのドールハウス同様、全ては外側からコントロールされている、外側から監視されているというメタ的な視点で見たような話ですよ、というような始まりになってる。ちなみにこの前作でニコレットさん演じるお母さんが、自分の体験、きついものも含めて作品に落とし込んでるってドールハウスですよね、つまりこれはアリ・アスターさんご自身の姿でした、今考えれば、っていうことですよね。自分の体験を作品に落とし込むことで、ていう。スルスルと紙芝居のように絵が開いて移る、本編に入っていく。あれはたぶん最初に映し出されるのは冬の、おそらくはそのスウェーデンのホルガ村。つまり実は、劇中では陽光が常に輝くその白夜の期間がやられてますけど、そうじゃない、普段の、1年間のほとんどのホルガ村の、つまり冷たい顔というか、劇中では見せていない冷たい顔が最初に映るんだというふうに私は解釈してるんですけど、だと思う。
そこから同じくこういう木々に覆われた冬のニューヨーク、その物語の発端となるある悲劇が起こるわけです。この始まりの時点ですでに主人公のダニーと、デトロイトに引き続き、優柔不断ゆえにズルズルと道を踏み外していく男という感じが絶品なジャック・レイナーさん演じる彼氏クリスチャン。ちなみにこのクリスチャンっていうネーミングも、おそらくは分かりやすくやっぱりそのクリスチャンに対して非キリスト教的な信仰が、というような構図を、象徴、分かりやすく象徴しているようなネーミングだと思いますが。まぁとにかく、ダニーとクリスチャンの断絶がすでに修復不能なレベルに達していて、ということがすでに示される。
彼は彼で、やはりデトロイトに引き続きイヤ〜な感じ、傲慢のその白人青年演じさしたら本当に絶品です。ウィル・ポールターさん演じるマークはじめ、男友達間のホモソーシャルの同調圧力というかな、お互い何かね、何かこう「やっちまおうぜ!」みたいな話してるんだけど、ホモソーシャルな同調圧力にまさにズルズルと流されるばかり。しかもそのホモソーシャルな同調圧力も、そんな繋がりはいかに脆い表面的なものでしかないか、友情ですらないっていうか。次第にそれは物語進むにつれ明らかになっていくわけですけど。
一方、ダニーさんは・・
一方、ダニーさんはダニーさんで、あまりに不条理な耐え難い悲劇を前にして、またあの死に方の、イヤ〜なことって感じですよね。顔は灰色になっちゃって、目なんかこんななっちゃって。前にして、要はその他者と他者とのコミュニケーション、心からのコミュニケーションが難しい状態に、無理からぬことなんだけどどんどんなっていってしまう。あそこで「ギャー!」って彼女が当然泣き叫ぶわけだけど、やっぱあまりに異常な悲劇が降りかかった人は異常に嘆き悲しんでると、それ自体が、これは本当に申し訳ないけど、ちょっとコミュニケート不能な怖い存在に見えてしまうというのは、「ヘレディタリー」にもあった描写ですよね。「イヤァ”ー!私はもう生きていたくなーい!」ていうあのくだりとか。だからアリ・アスターさんは、実人生で一体何を見てきたんだっていうふうに思わざるを得ないような、そういうディテールだったりしますけど。つまりこの冒頭から、この冒頭何が怖ろしいかって、これだけ悲しい思いをしてる主人公を誰も救えない、救ってあげられる人がいないという状況、絶対的なディスコミュニケーション、孤独、これが何より怖ろしいというオープニングになってるわけです。
オープニングタイトル後、季節が変わって表面的には明るい陽が射すダニーの部屋。ここで、ここで皆さんに注目していたいただきたいんですが、カメラが窓からこうパンしていくと、壁にかかった大きな絵にこう、カメラがこう止まります。どんな絵かというと、結構大きな絵なんですけど。王冠をかぶった女の子が大きなクマにキスをしてる絵が映ってます。これは「インターネット ムービー データベース」によれば、ヨンバウエルさんというスウェーデンの画家・イラストレーターの作品ということなんですけど、「ミッドサマー」すでに観た方ならこの終盤の展開がこの絵にもやはり、さりげなくというか、でも決定的に予告されているということに後から気づくというような作りになっている。
ホルガ村のあちこちにある、あの村の儀式を描いたと思しき絵の意味
そんな感じで、後ろの方の展開が予告されている、あるいは前の方で起こったことが後ろの方で実は織り込み済みだったんだよ、みたいなことが分かる的な仕掛け。分かりやすく説明的なところでいえば、例えばホルガ村のあちこちにある、あの村の儀式を描いたと思しき絵であるとか。あるいはダニーが悪夢で見るビジョン。例えば、妹主導の一家心中が、ホルガ村が説く生命のサイクルの中で読み直せるのか、みたいな感じにこうなっていく、みたいなあの悪夢のビジョンであるとか。それは非常に分かりやすく説明的な部分。そういうのもあれば、あの「インターネット ムービー データベース」にはこういうディテールがあるよって書いてあるんだけど、僕見直してもちゃんとまだ発見できてないディテールもまだまだあって。多分、数回見ただけでは全部は分からないぐらい隅々までそういうのが張り巡らされているのだとは思うんです。そういうのでいうと、1つ僕は個人的にギョッとしたある仕掛けが1つありまして。それはちょっと最後に言います。
とにかく画面も非常にシンメトリカルで、アリ・アスターさんの特徴です。非常にデザインされた画面の中。これも要するに全ては計画済みというメタな視点を感じさせる。デザインされた画面の中で、アリ・アスターご自身が言っている通り、そして作品の中でも再三予告していた通り、例えば「あの遊びなんて言うの?」「愚か者の皮剥ぎ遊びだよ。」とかそんなこと言っているわけです。主人公達、若い英米からの旅行者達はまんまと、要するに計画通りに1人また1人と表面上の平穏さは保ったまま姿を消していく。一体彼らは何をされたのか。というあたりはまさにこの作品の愉快なあたりなので、ぜひご自分で楽しんでいただきたいんですが。基本的にハラハラドキドキ、サスペンス的な盛り上げは本作ではあんまりしてないです、基本的には。そういうサスペンス的な引っ張りはほとんどしてない。やはり一番感情的に盛り上がる部分は、最初にこのホルガ村の決定的な異常性が、要はここだけは表面上の取り繕いも何もなくむき出しのものとして明らかになる、あの場面ですね。「ヘレディタリー」中盤の「アレ」にも匹敵する「あの」場面なんですけど。今回のそれは、肝はこうやっぱりこう「あーこれひょっとしてこうなるなぁ、こうなるなぁ・・・」「まじか、本当になるか・・・」「なった!」て要するに、最初から半ば予想がついていたひどいことが本当に目の前で起こる。それを非常にそっけないタッチで、目の前で起こったこととして見せてるあたり、これは肝ですよね。アリ・アスターさん、インタビューの時も「黒沢清」さんフェイバリットとして挙げてましたけど、ここは間違いなく「回路」観てるってことでしょうねっていう、参考にしたあたりじゃないでしょうか。
ミッドサマーのカップルの行方・・
そういうジャンル映画としての楽しさ、きっちり全編に盛り込みつつ、この「ミッドサマー」、お話の中心にあるのはやはり先ほども言った通り、ダニーとクリスチャンという終わりかけカップルが本当に終わっていく、その悲しいプロセスなんです、というふうに僕は思います。個人的にも、大学時代当時の彼女とヨーロッパに1か月旅行に行ったときに激しくけんかを重ねた時のことなどを痛々しく思い出したりしましたと。
確かにクリスチャンは思いやりを欠いたダメ彼氏なんだけど、例えばホルガ村にダニーが受け入れられていく。こっちはすんなり受け入れられてくのに対して、自分は対照的にどんどんどんどん疎外感を強めていくという、あのポツンとした寂しさとか、彼の立場っていうのもちょっとわからない気持ちもあるんです。なんか「なんだよ!」って、「俺阻害されてんじゃん!」、で隣のおじさんに意地悪されて「なんでそんなことすんの〜?」ってまぁちょっとラリってるし。ていうところで、「じゃあこっちおいでー」って方にフラフラと行ってしまうという気持ちも分からないではないみたいな。先ほどのメールにもありましたけど、クリスチャンとてやっぱりある意味コントロールされてここに導かれてるわけですから。
一方ダニーにとっては、主人公のダニー、この村の人々の在り方というのは、要は悲しい時はみんな一緒に悲しみの声を上げろ「ア”ー!」。誰かが苦しい時はみんなが苦しいから「ウエ”ー!」、クライマックスのところで「ウエ”ー!」ってやる。あるいは気持ちいいときには以下略という感じで。というように、要は、「自」と「他」の区別、「個」と「世界」の区別があやふやなような、「個人の生命」と「全体の生命」っていうのさえあやふやなわけですから。というような、共感・シンクロ、個が全体でもなるようなそのコミュニティ、つまり元居た社会ではついぞ彼女が得られなかった悲しみの共有がついにここで果たされるという、だから彼女にとってはこれは1つのハッピーエンドなるかもしれない。
アリ・アスター監督、どこまでも油断ならない男・・
ただしアリ・アスターさん、これはどこまでも油断ならない男でございまして、だからといってこのホルガ村のコミュニティの在り方、馴染んでしまえばオールオッケーなのかと。やっぱりこれはこれで、なんか色々スピリチュアルな御託を唱えてはいるけど、これだってまた別の制度、つまり1つのまたまやかしでしかないんじゃないかという楔もきっちり打ってくる、その極めつけがあのやはりクライマックス。とある建物の中で、何が起こるかは観てください。要は「嘘じゃねーかぁ!!もう手遅れだけど!」っていうことですよね。まさに肉体は僕らを無条件で裏切る、それのもう一番最悪の描写、容赦ない真実を突きつけてくる。思えばダニーもこのラストに至って、もちろんにっこり微笑んではいますが、すっかり花に覆われて、つまりこの村のシステムにすっかり飲み込まれてしまったようにも思える。だからやっぱりハッピーエンドとも言い切れない。
その複雑な印象をさらに深めるのがエンドクレジットに流れるこんな曲。フランキー・ヴァリ/1967年「The Sun Ain't Gonna Shine Anymore(太陽はもう輝かない)」。月はもう昇らないなんてことを、あなたと別れてしまってからみたいなことを歌うという。非常に暗い歌なわけです。太陽は昇らないって白夜の話なのに。これクリスチャン側の視点とも言えるし、白夜が終わり本当の、つまり冒頭で見せたような冷たい顔に本当の顔をこれから見せるであろうホルガ村のこれから、つまりダニーのこれからを暗示しているのかもしれないというこのエンディングテーマ。まずここで、「うわ、感じ悪いなー」ってなりますし、そして皆さんさらに私ギョッとしたのはこのフランキー・ヴァリ、この曲が入ったソロアルバムのレコードジャケット検索して絵が出てきた瞬間、思わず「ギャッ!」と言いました。アリ・アスター感とかそこまで仕込んでるか、もしくはこっから発想したのかもしれませんが、ボクの感覚としては、実世界側に、もう映画は終わってその映画について調べてたら、そこにも「ミッドサマー」的な仕掛けがまだついてくるみたいな感じで、「気持ち悪ぅ!」っていう。ぜひみなさんこれ、ちょっと検索してみてください。
ミッドサマーのディレクターズカット版について
ちなみにディレクターズカット版は、行きの車の中の会話とか、あと夜の儀式が一つ増えていたり、その後クリスチャンとの口論が増えていたりするということで。クリスチャンとやっぱりダニーの関係性というのが、より厚く書かれているというのがありまして。1つあと、ロンドンから来たという女の子コニーがどう殺されてしまったのかというのがやんわり分かる、その夜行われた儀式とセットで。注目はこれ本編、短いオリジナル版にも入ってますけど、運ばれてくコニーの死体が着ている衣装に注目です。
ということで、私はとにかく、これホラーというよりはダークコメディテイストでございますが、その人にしか作れない変な映画っていうのはもう、それだけでもう大好きというのがございまして。これはまさにやっぱアリ・アスターしか作れない、可笑しな・面白い・変な映画です。切なくもある、ぜひ劇場でウォッチしてください!
書き起こし終わり。
○○に入る言葉の答え
①なんと賛否の比率は褒めが"7"割!
でした!