ムーンライトのライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/)で、バリー・ジェンキンス監督のアカデミー受賞作品「ムーンライト」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さん『ムーンライト』解説レビューの概要
①メールの量は普通
②その全体の8割が褒め
③自分の心の中に大切にしまっておきたい、そんな1本
④非常に特徴的、実験的な映像・音楽について
⑤あ〜なんて○○な映画なんだ!
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
ムーンライト、宇多丸さんの感触は・・?
(宇多丸)
映画館では今も新作映画が公開されている。
一体誰が映画を見張るのか?
いったい誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人・シネマンディアス宇多丸が今立ち上がる。
その名も週刊映画時評ムービーウォッチメン。
毎週土曜夜10時からTBSラジオキーステーションに生放送でお送りしているライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル。
こっから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人ことシネマンディアス宇多丸が毎週自腹でウキウキウォッチング。
その監視結果を報告するという映画評論コーナーです。
今週扱う映画は、先週ムービーガチャマシーンを回して決まったこの映画!
「ムーンライト」
マイアミを舞台に自分のアイデンティティを模索する少年の姿を、少年期・ティーンエイジャー期・成人期の三つの時代ごとに描いた人間ドラマ。
ムーンライト、第89回アカデミー賞で作品賞・脚色賞・助演男優賞の3部門を受賞
第89回アカデミー賞で作品賞・脚色賞・助演男優賞の3部門を受賞。
主人公シャロンの少年期をアレックス・ヒバート、ティーンエイジャー期をアシュトン・サンダース、成人期をトレヴァンテ・ローズがそれぞれ演じている。
共演はナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリ、マハーシャラ・アリさんが助演男優賞を取ったということで、ハウス・オブ・カードでおなじみジャネール・モネイさん、製作総指揮はブラッド・ピット、監督はバリー・ジェンキンスということでございます。
ということで、ムーンライトもう見たよというリスナーの皆様、ウォッチメンからの監視報告、メールなどでいただいております。ありがとうございます。
メールの量は、普通。
あら、そうですか。作品賞獲って話題なんですけどね。
賛否の比率は8割が賛、8割ぐらいの方が褒めている。
僅かに、
・意外と薄口だった
・面白みに欠ける
という意見があったくらいであとは軒並み高評価が並んだ。
ただし、熱量が高い推薦というよりは、自分にとって大切な一本になったと静かにしみじみと美しむような賞賛メールが多かったということでございます。
代表的なところを紹介いたしましょう。
ムーンライトを鑑賞した視聴者の感想
*リリさん。
初めてメッセージを送らせていただきます。
「ムーンライト」、今のところ今年ベストワンの勢いで大好きな作品です。作品を観る前は黒人・ゲイ・貧困・ドラッグなどのキーワードの羅列からマイノリティの視点から問題提起する社会派作品を想像していました。
しかし実際は、それらの要素をとても普遍的な感情でとらえ、非常に美しく詩的に積み込む叙情作品でした。しかも、少女漫画的な意味でとてもキュンときてしまうのです。
好きなところを挙げるとキリがありませんが、シャロンとケビンの関係性に寄り添う月明かりや料理、車などの描写がたまりません。
本作のアカデミー賞作品賞受賞は、昨年のいわゆる白すぎるオスカー、あるいはトランプ政権へのカウンターだという見方もありますが、それを想定して観ると、もしかしたら肩透かしを食らうかもしれません。しかし、一人の青年の孤独と苦悩に向き合い、その心に月明かりを差し込むような本作は、私にとってとっても大切な一本となりました。
というリリさんのメールでございます。ありがとうございます。
ムーンライト、否定的な意見も
一方、ちょっと物足りなかったという方、
*ビンゴ秋風さん。
「ムーンライト」見ました。良いとも悪いとも言えない不思議な映画でした。「ムーンライト」というタイトル通りに薄く淡い話だったと思います。
ガツンとくる重いLGBTの話や薬物の話を期待していたので、どちらかといえば濃口醤油の方が好みの私にとっては物足りないものを感じました。それでも良い映画を見たという観賞後の感覚を与える良い映画だったと思います。
ということでね。
同じことおっしゃってますよね。そういう部分で重たい映画ではなかったということかもしれませんね。
はい。ということで「ムーンライト」、私もTOHOシネマズ、六本木などで、このガチャ当たる前にも、アカデミー賞発表される前に実はちょっと実は一足早く拝見しててですね、で、計3回見拝見させて頂きました。
ムーンライト、見に行った結果・・
「ムーンライト」ね、もちろんアカデミー作品賞史上ですね、LGBTテーマでなおかつそういう人種的マイノリティという面でですね。
そういう映画として初めてというとこで、もちろんそういう歴史的な意義もちろん大きいんですけど、それと同じくらいね、僕、まず間違いないこととして、ここまでね、その制作体制もそして実際の作品の作りもですね、「ザ・インディペンデント映画」な一本がアカデミー作品賞を獲った。
これはなかなかないだろうなぁと思いますね。すごく「インディペンデント映画」って感じの映画なんですよね。
監督脚本、バリー・ジェンキンスについて
監督脚本のバリー・ジェンキンスさんという方は、この方はですね。
長編はこの前に、もちろんインディ体制で、もっとさらにね、予算がない体制で、しかもそれも8年前に一本取ったきりだけの人なんですね。
2008年度「メディスン・フォー・メランコリー」という作品。
これございまして、これネットとかでも観ることできるんで、ソフトも出てますけどね、輸入ソフト、日本版は出てないけど、アメリカ版のソフトは出てて、インターネットなどでも見ることできるんですけど、僕もこのタイミングで初めて見たんですけど。
要は、お話ね、一夜限りの関係をうっかり持ってしまった男女、アフリカンアメリカンというか、黒人の男女が翌日の一日サンフランシスコの街をブラブラしながらいろいろ会話しつつ、それも黒人としての自分っていうのを巡るアイデンティティの議論とかちょっとポリティカルな話題とかも議論とかも含めて会話をしつつ、互いに距離を縮めたり、でもやっぱり離れちゃったりというまさにちょっとむずキュンなやりとりを重ねていくというですね、それだけの話なんだけど。
例えばですね、ほとんど白黒に見えるぐらいに彩度を落としつつ、シャツの黄色とかkeyになる色だけを際立てるよう、すごくアーティスティックな画面設計をしてたりだとか、色彩設計をしてたりとか、本当は惹かれ合ってるのになかなか本当の本音は口に出せないまま一進一退を繰り返すカップルの丁寧なコミュニケーション。
本当にむずキュン描写とかですね、もどかしくもドキドキするいうですね、そんな描写とか。
しかもその背景には、でも確かに、要はね、カップルのある意味ロマンティックコメディ的なやり取りなんだけど、確かにその背景には否応なく社会というものが横たわっているというような視点であるとかですね。
確かに今回の「ムーンライト」に繋がっていく要素に満ちた、非常に愛らしいよくできた商品でした。「メディスン・フォー・メランコリー」ね。
映像が非常に魅力的なムーンライト
で、ちなみにその「メディスン・フォー・メランコリー」て監督の前作でですね、撮影をしてるのは今回の「ムーンライト」でも撮影監督をしているジェームズ・ラクストンさんて方なんですけど。
後ほど言いますけど、非常に「ムーンライト」ね、映像が非常に印象的ですよね。
この方ですね、ジェームズ・ラクストンさん、先々週の「キングコング 髑髏島の巨神」評の中でも一瞬タイトル触れました。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督、後に「イット・フォローズ」っていうね、ホラーで大ブレイクするデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の長編デビュー作「アメリカン・スリープオーバー」という、知る人ぞ知る傑作青春映画ございまして。
これもね、その「アメリカン・スリープオーバー」も、非常に色彩と闇のコントラストがものすごく鮮烈な作品なんですけど、これもこのジェームズ・ラクストンさんが撮影監督していると。
しかもですね、更に言えば今回の「ムーンライト」のプロデューサー、アデル・ロマンスキーさんという方は、そのまさに「アメリカン・スリープオーバー」を1から手掛けたプロデューサーの方な訳ですね。
ムーンライトの音の付け方も面白い
あるいはですね、また別の話をすると、例えば今回、後ほど詳し言いますけど、非常にですね、音の付け方も面白い。
非常に面白い実験的な音楽の付け方をしているニコラス・ブリテルさん。
こちらね、例えば「マネー・ショート」でアカデミー賞ノミネートされた方ですけど、この人も実は「ラ・ラ・ランド」ね、要は作品賞でね、いろいろゴタゴタありましたけど、「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼルの前作、出世作「セッション」ありましたよね。
「セッション」の共同プロデューサーも務めてるどころか、そもそもその土台となった短編、デイミアン・チャゼルが「セッション」を作るために作った、短編「ウィップラッシュ」というね、タイトル。
その短編のプロデューサーもこのニコラス・ブリテルさんが勤めてるということで。
要は、どういうことが言いたいかというと、このムーンライト製作布陣からして、そして実際作品の出来上がりからして、完全本当に「インディペンデント映画」の人脈と布陣と、そして出来上がりでできてるという作品なのですね。
なので、アカデミー作品賞を獲ったからといって、何て言うかな、「万人に分かりやすいタイプの面白さとかよさ」みたいなものを用意してくれてる作品じゃないっていうか。
「あ、作品賞なんでしょ?ってことは万人が見ていいっていう映画なのね。」っていくと、多分「あぁ、なんか、あぁ、なんか難しい映画だったなぁ」みたいに思う人も出兼ねない感じの映画だと思いますね。はい。
むしろですね、「万人に開かれてる」と言うよりはむしろ、ストーリーテリングにしろ、映像にしろ、音にしろかなり実験的な、アーティスティックな試みをガンガンしてる作品なので、ということです。
ムーンライトは非常に映像が美しい
まずは一番分かりやすい所って、やっぱり映像ですよね。
もう映画始まってしばらくで、もう多分皆さん誰もが思うところでしょう。
これ非常に映像が美しいんですけど、これね、話としてはいわゆるストリートの現実、差別と貧困と犯罪ね、ドラッグがあってみたいな。
そういう現実の非常に厳しい社会問題を背景としながらも、本作ではそれをですね、普通はそうやって扱うように、いわゆる自然主義的にというか、ドキュメンタリックに切り取ったような、いわゆるリアルな見せ方みたいなのをあえてしていないと。
つまり、声高にそこんとこのメッセージを、声高にこう主張するタイプの作品ではなくですね。
画面はこういう感じですね。
例えばね、黒みの部分、影だったり、影ができてる部分とかに後からデジタル処理で青みを足してたりとかね。
あるいはですね、舞台となるフロリダ、まずフロリダですから非常に陽光がさんさんとそもそも降り注いでいるなか、それもさらに白く輝かせて。
で、その中に、例えばやっぱり特にブルー、ブルーってのは言うまでなく本作で一番象徴的な色ですけど。
ブルーをより鮮やかに際立たせて画面の中で、とにかくいろんなとこにある青がものすごく印象的に際立つようなカラーリングをしていると。
ということで、非常に美しい、一種抽象的な映像空間を作られて、映しての現実の非常に悲惨な社会問題があるストリートなのに、それが美しい、ちょっと抽象的な映像空間に見えるようになっていると。
で、この辺りさっき言ったカメラマン、ジェームズ・ラクストンさんとカラリスト、要するに色の調整ね、いまデジタルでいろいろできますから。
カラリストのアレックス・ビッケルさんという方。これが非常に見事な仕事されてるわけですけど。
これによってどういう効果が生まれるかっていうと、要は主人公がですね、主人公を取り巻く環境・社会と言ったその現実ね。
これは、主人公はそこから、現実の社会っていうものから常に乖離した、周囲からちょっと浮いているという感覚を抱いている主人公なわけですよ。
同じ世界に生きてるのに、自分はそこに生きてないような、その社会の一部に属してないような、ちょっとなんか乖離した感覚を常に持っているわけですね。
美しい映像が表現する、主人公の内的な視点
その主人公の内的な視点というのを、観客の目線で、それが一致する訳ですよ。
主人公が見てる世界。
つまり非常に主観的な主人公シャロンってね、あの字幕とかで出てますけども、発音から言ってもシャイロンって言うんだと思うけどな。
主人公シャイロンから見た世界っていうものが映し出されてるということですね。
なので、この映画全体に、主人公が歩いていく背中をカメラがずっと追っていくってショットとか、主人公の見た目の主観ショット。
しかもそこだけ、例えば絵がスローになって聞こえてくるセリフは口とあってないとか、そういうちょっとあえて、そういうずらした音響効果なんかを加えて、より主観的な感覚みたいなものを強めてたりして。
とにかく、そういう主人公の主観ショットであるとか、背中から追ってくるショットが多用されるのも、同じくやっぱりこれ全体が主人公シャイロンから見た、主人公が見た世界っていうのを強める効果なわけですね。これ狙ってるわけです。
そして、その主人公シャイロンから見たこの世界ってのはですね、もちろん例えばね、お母さんがドラッグ中毒であるとか、あるいは苛烈ないじめを受けているとか、そういう残酷さも、もちろん孕みつつ、そして暴力性を孕みつつもですね。
でも、やっぱり常に絵としては美しいっていうことで、どこかでやっぱり「この世界には本質として美しさっていうのが秘められてるんだ」、「本当はやっぱこの世界って美しいんだ」。で、それはやっぱりこのシャイロンという主人公がそうであるように、見た目が社会的あるいは社会的地位がいくらギャング的であろうと、本質には美しさがあるんだっていうのが、この絵の美しさでやっぱり観客も無意識にその世界にはね、本質的にはあるはずの美しさっていうのを無意識に理解するようになっているという。
そういう効果があると思うんですよね。はい。
異なるフィルムの質感を再現
ちなみにさっき言ったね、カラリストのアレックス・ビッケルさんはですね、さらに少年期・青年期・成人期、これ三部でできているんですけども、それぞれを異なるフィルムの質感をもちろんデジタル的に再現して描き分けしてると。
富士フィルム的な質感、アグファフィルム的な質感、コダック的な質感っていうのを、デジタル的に再現してというような、という描き分けもしているということで。
要はね、デジタルカメラ時代だからこその映画的表現の広がりっていうのを追求してるという意味でも、この「ムーンライト」は結構革新的な一作っていうか。
だから、これが作品賞アカデミー作品賞っていうのは結構、「あ、歴史的に意味あるな」って、デジタルカメラでやる映画的表現というフィルム的表現まで含めたデジタルカメラ表現の可能性みたいなのを示しているということですね。
またですね、さっきも言いましたけど、音。
音楽の使い方もこの「ムーンライト」大変面白い作品です。
ムーンライトの音楽使いについて
まず、ど頭ね、ボリス・ガーディナーの「Every Nigger is a Star」っていうね、曲が流れるんですけど。
これね、ただ曲をそういう流れるというよりはですね、どちかというと完全にケンドリック・ラマーの名アルバム「To Pimp A Butterfly」のオープニングと同じ感じ。
「To Pimp A Butterfly」もこの「Every Nigger is a Star」のドゥープで始まるんですよ。
だから、ケンドリック・ラマーの「To PIMP A Butterfly」が始まるような感じで始まると。
つまりケンドリック・ラマーの名作同様、タフでラフな決闘ライフの中で、本当の自分アイデンティティを知的に、ポエティックに見つけ出していく物語ですよ。
という宣言をまずしてるとも言えるというね。
ということで、ことほどそれ「わかってんな」と、これもうオープニングでこれが流れ出した時に、「お?待てよ。」と「バリー・ジェンキンス、こいつはひょっとしてヒップホップ IQ 高いぞ?」ことほど左様に、非常にヒップホップリテラシーが高いと思われる脚本監督バリー・ジェンキンスさんと、音楽監督ニコラス・ブリテルさん。
あちこちでね、このお二方、公言されている通り、本作の音楽がですね、なんとチョップドアンドスクリュードの手法を持ち込んでるというところ。
ここが非常に面白い実験なんですね。
チョップド&スクリュードとは何か
チョップド&スクリュードとは何か、というと。
いわゆるサウス・ヒップホップ、南部のヒップホップ初のリミックス手法で、ものすごくざっくり言えば、早い話が曲のスピードを落とす、曲のプレイ速度、ピッチを極端に落とす、下げることで、独特の酩酊感。
これはですね、要はアメリカのヒップホップというのはその時その時で流行っているドラッグの流行と、非常に密接に関係があるところがちょっと否めないとこあって。
これもコデイン含有のいわゆる風邪薬シロップですね、ブロンなんてありますけどね。
風邪薬シロップがドラッグとして流行したことと密接な関係があるんですけど。
とにかくトラックを、もう曲をものすごいスピード落として「ぬわ〜ん」って感じになって、酩酊感を表現すると言う。
で、のちにこれヒップポップシーン全体を席巻して、もう一時期はいろんなアーティストがチョップドアンドスクリュードバージョンのアルバムをね、別個にこうね、出すなんてことをね、一時期やってましたけどね。
今回の「ムーンライト」でもですね、既存の曲でやってるのではね、エリカ・バドゥの「タイローン」とか、あとジデーナの「クラシックマン」とかね。
この辺りの曲が既存の曲のチョップドアンドスクリュードバージョンを、大人になったシャイロンが車の中で聞いているっていう描写がね、出てきますけど。
それもね、チョップドアンドスクリュード、フロリダですしね。そういうのあんのかな?あ、まあそうか、彼がいるのはアトランタか、アトランタだから然もありなんって感じなんだけど。
本作ではさらにですね、通常の劇伴、要するにオーケストレーションによる曲にもその手法を取り入れているというあたりが「面白いことすんなぁ」というあたりですね。
ムーンライト、主人公のテーマ
まずこちらお聞きください、「リトルのテーマ」ちょっと聞いてね。
これね、はい。「リトルのテーマ」。
(「リトルのテーマ」が流れる)
これ要するに、主人公のいわゆるライトモチーフというか、主人公のテーマですね。
主人公の本質、要するに、そういうタフでラフな環境の中にいて、最終的にはそこに染まっていってしまうその主人公なんですけど。
その主人公の心の中にある繊細さであるとか、寂しさであるとか、孤独さであるとかっていうのを表現するのがこの主人公のこの基本的なテーマ。これは「リトルのテーマ」というタイトル。
これが、いろんな形で変奏される、繰り返し変奏されるわけです。
例えば、第二部青年期を迎えたシャイロンは、このシャイロンのテーマがこんな感じで変奏される。ちょっとシャイロンのテーマお願いします。
(「シャイロンのテーマ」が流れる)
ね、ちょっとキーが変わって、ちょっと暗い感じになってますよね。ちょっと重たい感じになってますよね。
で、ですね、ここまでなら普通のライトモチーフって感じなんですけど。使い方、音楽の使い方なんですけど。
劇中、主人公の人生を狂わせる“ある決定的な事件”が起きてしまうわけですね。
で、そこで流されるのが、“あるすごく悲惨な事件”が起きてしまうわけ、その事件のせいで主人公の人生が決定的に狂ってしまうんですけど、そこで流れるのはさっき流して、今流してるシャイロンのテーマのチョップドアンドスクリュードバージョンなんですよ。お聞きください。
(「シャイロンのテーマ チョップドアンドスクリュードバージョン」が流れる)
はい、めちゃめちゃピッチ落として。
これ単に、遅く遅く楽器を弾いただけではできないこの「ブオー」っていう、もうなんかどよ〜んとした重たい膜が全体にかかったような。
これはもうチョップドアンドスクリュードでしか表現できない表現というか、感じなわけですね。
主人公のアイデンティティを音で表現
つまり彼のアイデンティティがその直前まではね、「ついに自分は、あ、本当の自分見つけられたかも俺。しかもその本当の自分を受け入れてくれる身近な人いたかも」って、そこまで行けた思えていただけに、それが完膚なきまでに、文字通りたたきのめされ、変形してしまうということですね。
主人公のアイデンティティがついに決定的に変形してしまったというね。
これをまさにチョップドアンドスクリュードというね、この音でも表現しているということでございます。
これ以降全体にね、チョップドアンドスクリュードな、どよ〜んとした音像っていうのはこのくだり増えてくるという感じですね。
ただそれが最終的にですね、彼がね、三幕目とかクライマックスを通して最終的にどんな感じの音・曲に落ち着いていくか。
その変化っていうの見るだけでもそれがドラマ的な感動と完全に一致しているというね、作りになってるというね。
だからさっきの主人公のテーマがもう一度どうなりだすかとかですね。はい。
あとまあ、ケビンと、こうね、ケビンと話してる時に流れるテーマがどこでまた流れ出すかとかそういったあたり。
という訳でですね、このラップヒップホップという音楽とかく劇映画の中ではですね、要はストリート、タフでラフでワルでっていうそういう表現として、あと、あるいは今ドキ感の表現として使われるというのが、普通やりがちな表現ですけど、この「ムーンライト」では主人公の心情的変化を表現する非常に繊細な手段として、それを使いこなしているというあたり、非常に面白いし見事だなと思います。
だからこそですね、もうちょっと第三部の話行っちゃいますけどね。
第三部大人になったシャイロン。
大人になったシャイロン
これトレバンテ・ローズさんが演じる、完全にもう言っちゃいます。
フィフティー・セントです。完全にラッパー、フィフティー・セント風のごついルックス。
フィフティー・セントっていうのはドラッグディーラー出身でいつももちろん強面で、ただ目が優しいんだよね、フィフティセントもね、で知られるラッパーですけども。
フィフティー。セント風のごついルックス、ムキムキの筋肉に金歯してゴールドチェーンして大音量でヒップホップかけて。
で、車を転がしつつクールに手下をコントロールするドラッグディーラーというね、これ以上ない、これだけ言ったらこれ以上ないほどベタなストリートのワルですよね。はい。
要するに、彼がそういう風にしかここでは生き残れなかったということなんですけど。
ただ彼がそうやってタフぶればタフぶるほど、強がれば強がるほど、それが痛々しく、そして愛おしく見えるっていう。
こんな描き方をした映画ってありますかね?作品ってね?と思いますね。
要するに、その自分のですね、そのムキムキであるとかですね。
そういう強面なあれであるとかって、態度っていうのはですね、その傷ついたハート、あるいは自分の人生をなんとか守るための鎧なんですよね。
っていうことを僕らはその少年期青年期と来て、彼がなぜそのベタなストリートのワルになったのかっていうのを分かるから、彼のその人生の痛みそのものとしてそれがよく伝わってくるわけですよ。
なので僕はですね、第三部、彼がね、もう悪夢、繰り返し見てる悪夢なんでしょうね、彼の生い立ちに関わるある悪夢を見てバッと目覚めた。
そこで彼の見た目がすっかり変わってること観客は知るわけですよ。
バッとムキムキの男になって彼の見た目が完全に変貌している。
その時点から僕は正直ずっと泣きっぱなしでした。
っていうのはやっぱり、「あっ」ていうその、ぼくはもちろんヒップホップ好きで、やっぱまずまさにマッチョな環境の中で、時にはやっぱ自分のアイデンティティについても違和感を感じながら。
やっぱすごくシャイロンに良く似た阻害感とか違和感を感じてる瞬間もあるし、同時に僕らが色々すごく色々聞いてきたラッパーとかそういう強面ぶりの向こうにある痛みみたいなのを、ちょっとやっぱ彼らの内面を垣間見た気がして「あっ」ていう感じでですね。
正直そっから先は本当に泣き続けでございました。はい。
3人のシャイロンの演じ分け
ちなみにこの3人のシャイロンの演じ分け、別の役者がねやってるわけですけど。
その三人それぞれを顔を合わせとかさせず。
要するに、演技の打ち合わせとかあえてさせず、全く異なる人物としても見えるように演出したというのが、あえてていうのはバリー・ジェンキンスさん今回のね、狙いだったわけですけどね。
ということで、このね、すっかりドラッグディーラーとしては一応成功しているらしいシャイロンくん。
彼の矛盾した人生を象徴するかのようにいろんな過去の自分、彼が何故こうなったかの片鱗があるわけですよね。
車には、ね、幼い頃かわいがってくれたフアンって言うね、やっぱりドラッグディーラーですよ。
彼と、彼と同じような人になっちゃってるわけですけどね、王冠、これがダッシュボードに置いてある。
一方、ナンバープレート文字は“ブラック”ね。
あのケビンね、彼が唯一心を開いた相手であるケビンとの思い出の名称である“ブラック”です。
「あ、お前引きずってるじゃねえか全然!」っていう、それがこれにね、ナンバープレートに表れてたりとかってことで。
ただそのね、フアン、かつて子供時代に可愛がってくれたドラッグディーラーファンと彼が違うのはやっぱりシャイロンは“一人”なんですよね。はい。
ムーンライト、宇多丸さんのお気に入りのシーン
で、彼は忘れようとしていた過去から呼び出しがあって、改めてそこに向き合う。
しかもその向き合う時にですね、ここがいいなと思うんですね、改めてお母さんと向き合う。
ドラッグ中毒だったお母さんと向き合うことで、ある意味自分の人生をこうしてしまった人、まずお母さんですよね、お母さんをまず許すっていう。
その段階を経てから本当に向き合うべき過去あるいは、だから本当に許すべき誰かっていう、本当にそして本当の自分に会いに出かけて行くというその終盤の展開があるわけですね。
ここね、もう終盤のクライマックス。
もういるのは、画面に映ってるのはムキムキの、さっきから言ってるフィフティー・セントばりの、ムキムキの強面男と髭面のちょっとくたびれたオッサン二人です。
でも、なのにっていうかだからこそ、そのやり取りのもどかしさ、「もう!もう!早く気持ち言っちゃえよ!もう!」とか、遠回しの告白の愛おしさみたいな、本当にムズキュン。
あるいは丁寧に丁寧に料理を作るその料理の作る手つきだけでももうドキドキするような、この感じ「なんだこの胸キュンは!?」って言うね、感じなんですよね。
そしてで最終的にこの二人ね、いろいろこう一進一退のコミュニケーションを繰り返した後に、最後、劇中三回海辺が出てくるわけです。
そして主人公のシャイロンは、その海辺でだけはやっぱり本当の自分を常に見つけることができる。
本当の自分を見つける事ができる1回目
一回目は少年時代ね。
そのさっき言ったフアンね、海に連れてこられて。
で、こうやってある日ちょっと洗礼ね、洗礼を思わせる儀式的な感じで、フアンからいろんな言葉を授けられるんですけど。
要は、あそこで初めて彼は今まで世界に対して違和感を感じてたわけです。
「なんか自分違うんじゃないか」と思って、フアンによって初めて世界との一体感っていうのを実感させてくれる。
ちなみにフアンはやっぱりシャイロンの言うこととかやることを一回も否定しないんですよね。
必ず彼が黙ってても受け止めて肯定してあげる。
あれは本来は親がやるべき仕事なんだけど、それをフアンがやってあげる。
で、やっぱ海辺でその本当のその自分肯定することを一回覚えるわけです。
本当の自分を見つける事ができる2回目、そして3回目
で、二回目の海辺はケビンと過ごしたあの海辺。
本当の自分、そしてその本当の自分を他者に受け入れてもらうという体験、それをしたのが二度目の海辺。
そして三度目、フアンとケビンが、大人になったファンとケビンがですね、お互いそれぞれ傷ついた人生を送ってきた二人が車を停めて降りたら、「ざざー」さざめきがね、潮の音が聞こえてくる、さざ波がが聞こえてくる。
「あ〜海に来た」観客はやっぱそういう感じがするわけです。
ついにここで本当の自分を取り戻すのか・・というね、この下り。
ムーンライト、一言で言えば・・
もう一言で言えばこういうことです。
ここまで見てきてようやく「あ〜なんてロマンティックな映画なんだ!」って言うね、ことですよね。
でも、ロマンティックなんだけど同時にね、非常に苦い場面でもあると思うんですよ。
要するに、この二人っていうのはもう結構いい歳になるまで人生思うように生きられなかったという。
要するに、社会のいろんな周りの軋轢と言うか抑圧に負けてしまった部分がある二人なわけですね。
フアンの教えで「周りに振り回されるんじゃない。自分で決めろ」って言ったのに、それができなかった。二人とも。
で、ここまで来てしまって、ある意味人生ここまでドブに捨ててしまったかもしれないその二人が、ようやく自分というのを取り戻し、その人生の隙間を二人で埋めようとするというですね。
その苦さもちゃんとあるからこそこのロマンティックにはちょっと重みもあるというね、ことですよね。はい。
ラストショットね、こう、青く光った少年が振り向く。
要するに、観客側にも「こういうあなたの海辺。あなたが自分を取り戻す場。どっかにありますか?」っていう感じで問いかけるような感じ。
これもう本当に素晴らしいですね。はい。
だからつまり貧困と人種差別 LGBT、そういうところで、自分と感情が違くてもですね、疎外感とか孤独を感じたことがあるすべての人これ通じる話ですよ。
僕は子ども時代に「うわー!」とか騒いでる男の子達が「何か怖えし、面白いかこれ?」って、凄くもうそっからもう共感できましたし。
これでちょっとも時間ないんでね。
役者陣の素晴らしさとかですね、あと例えばウォン・カーワイね、ブエノスアイレスとかね、あるいは大島渚御法度の共通点そんな話とかいろいろしたかったんですけどね、すいません。もう時間がない。
本当に素晴らしいです。
アカデミー作品賞にはむしろもったいないくらい私は結構心の奥にしまっておきたい。大切な作品になってしまいました。ぜひ、劇場でウォッチしてください。
「ムーンライト」。
あの思春期のシャイロンの、あのなんかおどおどした目線の泳ぎっぷりも見事でしたけどね。はい。
<書き起こし終わり>
○○に入る言葉のこたえ
⑤あ〜なんてロマンティックな映画なんだ!
でした!