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引用:IMDb.com

ラ・ラ・ランドのライムスター宇多丸さんの解説レビュー

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2020年06月18日更新
デイミアン・チャゼルに負けです。最後の40秒で、もう負けました。この切れ味、まさにデイミアン・チャゼルだと思います。手放しで全面的に「最高です。大好きです最高」って言い難いところもあるんだけど、最後の40秒で僕は「オッケイじゃん!遡ってオールオッケイじゃん!」ぐらいの感じで、はい。ここで私、5億点ぐらいは全然出てしまいました。映画館で見る価値、絶対ある映画ですから、絶対に行った方が良いと思います。(TBSラジオ「アフター6ジャンクション」より)

RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/)
で、デイミアン・チャゼル監督が史上最年少でアカデミー賞監督賞を受賞した「ラ・ラ・ランド」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。

映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。

宇多丸さんラ・ラ・ランド 解説レビューの概要

①メールの量は多い。賛が7割、否・普通が3割。
②作品に感じられる○年代黄金期ミュージカルとヌーヴェルヴァーグの要素について。
③デイミアン・チャゼル監督特有の強烈なクセと作家的腕力がある作品。
④夢追い人である似た者同士の2人には、人としてのダメダメさにイライラすることも多い。
⑤2人だけの閉じた世界、周りは書き割り的という歪さがある構造。
⑥ラスト40秒ほどで「オールオッケイ!」となる見事な着地に号泣。

※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。

映画「ラ・ラ・ランド」宇多丸さんの評価とは

(宇多丸)

毎週土曜夜10時からTBSラジオをキーステーションに生放送でお送りしている、RHYMESTER宇多丸のウィークエンドシャッフル。
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人ことシネマンディアス宇多丸が毎週自腹でウキウキウオッチング。その監視結果を報告するという映画評論コーナーでございます。
今週扱う映画は先週ムービーガチャマシーンを回して決まったこの映画、「ラ・ラ・ランド」。

もう今コンビニとかそんなんでもガンガン流れたりしてますからね。もう耳について離れない、いろんなさまざまな音楽ございます。
2015年の映画「セッション」で注目を集めたデイミアン・チャゼル監督の最新作。
ライアン・ゴズリング&エマ・ストーン主演で、売れない女優とジャズピアニストの恋を往年の名作ミュージカル映画を彷彿とさせる歌とダンスで描く。
第89回アカデミー賞では史上最多タイとなる14ノミネートされ、チャゼル監督が史上最年少で監督賞を受賞したほか、エマ・ストーンの主演女優賞など計6部門でオスカー像を獲得した。

というね。ことでございます。
もちろんね、もう世界的にもう前評判というかね、アレも高くて、アカデミー賞もさまざまな騒動なんかもございましたが、それも含めて話題性抜群の作品でございます。
それこそ、なんか久々に「ラ・ラ・ランド」で映画行った、なんて人も結構いるんじゃないかというね、感じですけどね。
ということで、もう「ラ・ラ・ランド」見たよーという、この番組のリスナー、ウォッチメンからの監視報告、メールなどでいただいております。

メールの量は多い!
ありがとうございます。
もちろん、今年最多クラスということでございます。
そうでしょうね。まぁ注目度高いですからね。
ただし賛否の比率は賛が7割、褒めてる方7割、否・普通が3割という比率。
だから決してその大絶賛一辺倒というわけではない、というね。
まあ世の中的にもね、そう、菊地成孔さんの酷評とか・・でも菊池さん認めてる部分の比率もかなり多い、評だと思ったんですけどね。
まぁでも、とにかくちょっと割れているというのもね、あったりしますけどね。
メール、リスナーの皆さんのメールでも、7:3で賛と否・普通ということでございます。

褒めてる方、
・オープニングから最高。
・ミュージカル映画としてとても楽しめた。
・夢を追うこと、夢を追う人を優しく肯定してくれるような映画。
・ラストシーンで涙腺決壊しました。

などが褒める人の意見。
反対に貶す人は、

・期待したほどではなかった。
・脚本が雑で盛り上がれない。
・ミュージカルシーンが思ったより少ない。
・主役2人にそもそも好感が持てない。

などの意見が多かった、ということでございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。
本当にいっぱいいただいているので、ごめんなさいね、全部紹介し切れなくて。

引用:IMDb.com

映画「ラ・ラ・ランド」を鑑賞した一般の方の感想

ラジオネーム「ズキン」さん。
えーっとですね。色々書いていただいて・・ちょっと省略して、すみませんね。

たまらなく大好きな作品でした。
歪で、映画として完璧な作品でないのは百も承知です。
それでも自分の心に強く響くものがこの映画にはありました。
完全にノックアウトです。最高です。
確かに中盤までのテンションだったら、普通にいい音楽映画で終わっていたかもしれません。
しかし、そこにふと訪れるエマ・ストーンの独壇場に、一気に心をわしづかみにされました。

あの・・オーディションシーンですかね。

そして、最後の最後にとうとう一気に現実から浮遊して、アッと驚く大回転を決めてきれいに着地する。
そんなその名人芸とも力技ともいえるような幕引きに、何故か涙と鳥肌が止まりませんでした。

力技ってのはね、チャゼルはホント多いですよね。

「夢を叶えるなんてそんな甘くねぇよ」と「セッション」のフレッチャー先生ね・・フレッチャーのごとくムチを入れながら、すべての夢追い人、夢を見る愚か者たちを静かに肯定してくれる、僕にとってとても大切な映画になってしまったかもしれません。

という「ズキン」さんからのメール。

の一方で、こんなダメだったという方も、結構な割合でいらっしゃいました。

映画「ラ・ラ・ランド」批判的な意見

「スナッチ」さん、32歳男性。

「ラ・ラ・ランド」見ました。賛否で言うと、否です。
今作で確信しました
自分、デイミアン・チャゼルと根本的に合わない!
「セッション」で自分が嫌いだった部分を、より増幅したような映画でした。
アイツ多分、自分の都合よく世界が回ると思ってんですよ。
32歳でアカデミー監督賞なんて頂点極めちゃうし、アイツの世界にはいつも自分と相手の2人だけしかいないんです。
そう、デイミアン・チャゼルは2人だけの世界を描く作家で、その中でもエモーションを最優先にする作家。
それは「セッション」ラストの展開にも表れていました。
しかし、あれはなんだかんだでカタルシスがあったのでまた許容できたのですが、今作は登場人物の男女2人に一切好感が持てないんっすよ。
上映中のスクリーンの前に立つ馬鹿な女。。

ね「理由なき反抗」やってるところでね、まぁ、そういうのがありましたけどね。
あれは抽象表現ってことにしといてくださいよ。

嫌いな音楽だからって嫌そうにキーボードを弾くな!プロだろうが、バカ男。
生活優先にするのがそんなに悪いことか!バカ女。

などと(笑)。
そこはそんな・・ミアが言ったセリフじゃないんだけどね、そこはね。

などと主役2人への好感度が右肩下がりになってくるにつれて、その2人が出ていないオープニングの短いシーンを楽しさの頂点に、映画の楽しさも右肩下がりになっていき、納得できる脚本もないまま、ラストの展開が来てもまったく好感度を取り戻せずに、怒りだけが湧く有様でした。
せめて2人が成功するということに納得いく脚本があれば違ったんでしょうか。

要するに段取りとして納得のいく脚本があれば違ったんでしょうけど。

そこをすっ飛ばされても乗れないよっていう感じでした。
自分はこの映画、そしてデイミアン・チャゼル嫌い!

っていう(笑)。
まぁ激烈な反応というメールで。。

引用:IMDb.com

「ラ・ラ・ランド」宇多丸さんが鑑賞した解説

ということで、はい。
私も「ラ・ラ・ランド」ですね。
あ、そう、メール大量に、皆さん、熱いのをいただいて、本当にありがとうございます!
私もこの熱量に応えるべくですね。
まず、なんていうの、東京での最速上映、バルト9で見て、その後TOHOシネマズ日本橋、そして日比谷スカラ座と計3回見てまいりました。
あと、まぁサントラも買ったりなんかしているということですね。

脚本・監督デイミアン・チャゼルさんはまだ30代前半

脚本・監督デイミアン・チャゼルさん、まだね30代前半という、31、2・・そんな感じ?・・32ということでございまして、お若いということですね。
若き天才というね、ことでございます。
前作にして大出世作「セッション」、2014年制作。原題「Whiplash」。
このコーナーで2015年4月25日で扱いましたが、その時の評の中でも一瞬ちょろっとだけ触れた、と僕は記憶しているのですが。
そもそもデイミアン・チャゼルさんがハーバード在学中に作った初監督作「Guy and Madeline on a Park(Bench)」というね、2009年の長編がございました。
これはアメリカ本国でソフトも出てますし、ネットでも見ようと思えば見れるので、興味ある方はですね、ぜひアレしていただきたいんですが。
とにかくこれが、そのね「セッション」評の中でも言いましたけど、「Guy and Madeline on a Park (Bench)」、これはそもそもヌーヴェルヴァーグ風トップミュージカル。
特にやっぱそのゴダールの「女は女である」とか、何かそんな雰囲気。
それに加えて、ちょっとカサヴェテスの「アメリカの影」風味がちょっと入ってます、みたいな、そういうタップミュージカルだったので。。
えぇ、なので「セッション」に続くデイミアン・チャゼル新作がミュージカルですよっていう情報を聞いた時点で、あっじゃああの「Guy and Madeline (on a Park Bench)」に、方向性・・あの方向性をもっと拡大したような感じになるのかなというのは、予想はついたわけですけど。

引用:IMDb.com

「カサブランカ」オマージュ

で、実際出来上がった今回の「ラ・ラ・ランド」もですね。
よくその褒め言葉として使われている、50年代黄金期ミュージカルのアップデート版というような要素も、後で言うように、なくはない。
特にエピローグのあの展開は、「パリのアメリカ人」的構造というのは間違いねぇでしょうし、あとミュージカルじゃないけど、もう明らかな「カサブランカ」オマージュ。
タイトルとしても出てくるし、エピローグのある展開も「あぁ、カサブランカ、そういうことか」とか。。
あの、わーっとね、ヒロインが、ミアがセブという男に会いに行くと、ワーってこう・・途中で元々付き合ってた男を切り上げてバーって行くっていう展開、やっぱ「アパートの鍵貸します」の展開だったりとかね。
あそこであのミアさんがライアン・ゴズリングの、セブのことを思い出すのが、要はこういう奴らに聞き流されるBGMみたいな奴っていうね(笑)。
あちっ。でもそのBGMみたいな男が気になるっていうね。
「その思い出し方、お前失礼だぞ」っていう・・まぁそれはいいんだけど。。

ラ・ラ・ランド、その他のオマージュ

ということで、50年代黄金期ミュージカルとか、50年代黄金期ハリウッドのアップデート要素もなくはないんだけど、どっちかって言うと「ラ・ラ・ランド」、やっぱりヌーヴェルヴァーグ風、本当に多分デイミアン・チャゼルさん、ヌーヴェルヴァーグ大好きなんだと思うけど。。
特にやっぱりこれいろんな方指摘されてる通り、まあジャック・ドゥミの「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」、オープニングで車に乗った人たちが降りて、突然踊りだす・・まぁロシュフォールは歌いませんけど、「ロシュフォールの恋人たち」。
あと色彩の、服装も含めた色彩のカラフルな配置の感じも、「ロシュフォールの恋人たち」っぽいですし。
そして、エンディングのねちょっとほろ苦い感じ、これやっぱシェルブールっぽい、これも誰か見ても明らかですしね。

引用:IMDb.com

黄金期のミュージカルに憧れた人が作ったミュージカルというような感じ

あとやっぱ、デイミアン・チャゼルさん、ゴダール大好きなんでしょうねぇ。
今回も、ミュージカルじゃないけども、ちょっと例えば車がバーッと並んでる、最初のショット、こうやって並べて見せてくとこ・・あれ「ウイークエンド」風だなぁとか、あと影絵のショット、あれ「万事快調」風だなーとかさ・・というのがあったりして。
あとトリュフォーの「アメリカの夜」っぽいね、あの撮影シーンをちょっとコミカルに映す、「アメリカの夜」っぽいところがあったり。。
とにかくそういうヌーヴェルヴァーグっぽい、言ってみればポストモダンミュージカル、黄金期の後に作られたミュージカル、黄金期のミュージカルに憧れた人が作ったミュージカルというような感じ。
その意味では、マーティン・スコセッシの「ニューヨーク・ニューヨーク」、これもエンディングのところ、苦い結末は似てるってもあるし。
もっと言えば、コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」あたりまで含んでもいいかもしれないけど。

ナイトシーンが多い場面も

とにかくそういう言わばポストモダンミュージカルならではの、ある種のうら寂しさというか薄暗さというか、実際話としての暗さだけじゃなくて、画面も黄金期ミュージカルって言うには暗いっていうか。
例えばもうナイトシーンが多かったりとか、影がガーッと黒目に入ってたりする絵が多かった、結構絵的にも暗いということで。
はい。ということで、そういう暗さをね色濃く感じさせる作品ということで、宣伝などでやられてるような、ハッピーな・・夢のようなハッピーなっていう多幸感みたいなのとはちょっと違う作品なのは間違いないと思いますね。

引用:IMDb.com

ある強烈なクセ

で、特にこれはもう完全に作家性ということなんだと思いますが、「セッション」とも共通するデイミアン・チャゼルさん作品の特有のある強烈なクセというのが、良くも悪くもガッツリ刻印された作品でもある。
ある意味「セッション」以上に。。
その意味で僕ね「スナッチ」さんの、ちょっと「あ、言われちゃった」って思ったんですけど、まさに私そこに関しては同意です。
強烈なあるクセが刻印されている、しかも「セッション」以上に。
それゆえにハマる人はどっぷりハマる、激烈に没入してしまう一方で、冷めてしまう人はサーッと冷めてしまうという、そういう極端な志向性を持った作品でもあると思います。

歌の抵抗不能な魅力

じゃあ、かくいう僕はどうだったのかと言うと、その部分の結論を先に言っておけば、まず一度聴いたら忘れられない曲、歌の抵抗不能な魅力・・この辺は作詞作曲のジャスティン・ハーウィッツさん、そして作詞のベンジ・パセックさんですか、これがもう、ホントこの2人が本作のMVPだと思いますけど。
えぇ、まず曲歌の抵抗不能な魅力であるとか、それを実際にやる主演2人、わけてもやっぱりエマ・ストーンの圧倒的としか言いようがないパフォーマンス、そしてやはり鮮烈に記憶に残る、もう記憶に刻まれてしまうシーンごとの見事のアイデアと技術、要するにそれを体現する技術という。。
あるいはその細部同士が呼応し合う構成の妙、「あ、こことここが響き合って、こことここが響き合って、なるほどなるほど」っていうあたりなどもね。
要は基本的なベーシックな技術的というかですね、ベーシックなレベルの高さに関してはもう問答無用で感心・感動しつつ、ところどころではまんまとグッときてですね。ポロリと涙を流したりとかも何カ所もあったりして、というね。
このデイミアン・チャゼル監督のまさに作家的腕力ですね、腕力。
ガッとつく、首根っこ捕まえてガッと感動させられる、そこに関してはね、異論の余地がないあたりじゃないかなと思うんですよ。
基本的には腕力があることは間違いないっていうね。はい。
ベースのレベルは高い話なんです。

引用:IMDb.com

デイミアン・チャゼル作品のある強烈なクセ

ただ同時に、後ほどちゃんと言いますけど、デイミアン・チャゼル作品のある強烈なクセね・・さっきから言ってる・・もあってですね、正直僕はその夢を追う人を優しく肯定するというような部分ってね、感動されている方もいるようですが。
まぁよくある話ですよね。夢追い人をね、巡るメインストーリー。
その話周りに関してはですね、なんかモヤモヤするなぁ、なんならイライラすんなぁっていうのが結構拭えないまま・・それでもさっき言った監督の腕力とか力技でグイグイ見せられる。
なんならやっぱり所々感動した気にはさせられちゃったりという感じで、結構な部分見てたというかね、進んじゃったというところがあるわけですね。

夢追いストーリーの3幕構成+その後にエピローグがつく

でも、それが出来てるだけで、もう僕はっきり言って十分、じゃあいいじゃんっていうか、多少強引でもグイって、こう持ってかれちゃったんだったら、それはすごいんじゃんってことだと思うんですけど。
ただ、この「ラ・ラ・ランド」ですね、既にあちこちで話題にもなっている通りですね。
えぇ、どの程度ちょっとネタバレしていいのか、ちょっとぶっちゃけ迷っているところですけども、その夢追いストーリーが本当に割ときっちりした3幕構成で一応終わった後、その後にエピローグがつくわけですね。
で、実はこここそが最大のキモっていう作品でもあるというね。
で、僕はと言うとですね、これまたまさにまんまにっていう言葉がぴったりなんだけど、そのエピローグの中のそのラスト10分ほどの、言っちゃえば「パリのアメリカ人」的な構成、「パリのアメリカ人」っていうのはクライマックス20分間、20分間セリフなしで、しかも場面がどんどん変わっていく、非常に抽象的な心象風景を表した場面が出てきて、それがすごく歴史的に残っているんですけど、「パリのアメリカ人」的なシークエンス。が、10分間がそこで。。
ていうか・・もっと言えば、そのシークエンスも終わった後、「THE END」っていうエンドタイトルが出るまでの40秒ほど、サントラで言うとまさに「THE END」ってついてる、この40秒ほどでそれまでのモヤモヤとかなんならイライラが、一気に「あぁ!あ、そういういうことなら、こういう着地ならオールオッケーです」っていう・・「最高でーす!」という感じで、最後の40秒で「オッケーイ!!」っていうね。
これ、まんまとです。本当にチャゼルの手のひらだと思います。
はい。まんまと鼻汁を垂らして大号泣しておりました。
ということでございます。
この終わり際「オールオッケイ!」って、「セッション」もそうですが、もうチャゼルの十八番ですね。
最後に「オッケーイ!」持ってくるってね。

引用:IMDb.com

オープニングのLAで渋滞中の高速の群舞シーン

はい。
で、改めて順に追って話していきますけれども。
まずですね、多くの人が話題にするであろうオープニング、LAで渋滞中の高速での群舞シーンありますね。
曲は何だっけ、えっと「Another Day of Sun」という曲ね、ありますよね。
いわゆる掴みなわけですけど、でまぁ機能としてはわかりますよ。
要するにミュージカル、そんなにね盛んと言えない現代に、改めて本格ミュージカル宣言。
これはこういう、いきなり人が歌って踊り出す、カメラ目線で歌って踊り出すタイプの映画ですよ、という宣言であり、同時にその歌詞が本作のテーマとかストーリーを暗示する歌詞にもなってる。
女優を夢見た女の子が最終的に、その昔の彼氏に「スクリーンで見つけてね」っていうね。
その歌詞自体が何か暗示してるわけですけど。

ワンショットで撮影

もちろん、そのですね、長い長いワンショットの中で緻密に組み上げられたその振付、カメラの動きなどなど、どうやってこれを撮ったかを考えると、もう気が遠くなるようなシーンなのは間違いない、とにかく誰がどう見てもすごいシーンなのは明らか。
すごいというのはつまり手間がかかってるし、これを実現させる技術、ただ事ではないという意味で、すごいシーンなのは明らか。
そこを否定する人といないと思います、これがすごいシーンであること。

引用:IMDb.com

あざとい仕掛け

ただまぁ、ここでですね。
正直ここまで作り手のドヤ顔が(笑)はっきりちらつくとですね、ちらつくタイプのすごさだと、鼻白んでしまう人も結構いる、と。
実際ですね、シーンの終わりの方でね、「it's another day of sun♪」ジャン!「ラ・ラ・ランド」って。
で、また普通のキャリイ乗って、ラジオのいろんな音が聞こえてくる中で、おそらく衣装デザイナー、サンディ・パウエルさんの話題として「恋に落ちたシェイクスピア」・・言うまでもなくアカデミー作品賞をとった・・の名前が一瞬ラジオから聞こえてくるとか。。
「おいおいデイミアン・チャゼルさん、あなた意外と図々しいですね」と(笑)。
あざといっちゃ、こんなあざとい仕掛けはない。
要するに、もう「アカデミー作品賞狙っているんだー、よろしくぅ!今のシーンだけで、かなり狙ってると思うんで、よろしくぅ!」みたいな(笑)。
意外と図々しい(笑)・・図々しい、やっぱね。みたいな感じすると思いますし。

ラ・ラ・ランドに感じる違和感

あとそもそも、LAに住んでいる人みんなが夢を追ってここに来たわけじゃないだろう。
要するに歌詞の・・皆が一斉に歌い出して・・のはいいんだけど、それがみんな夢を追ってきたみたいな歌詞なのに、ちょっと違和感がある。。
というのは、僕、ハングリーで言えばまぁもちろんニューヨークってなるけども、LAはもちろんハリウッドがあるからハングリーな人もいるだろうけど、あのどっちかというとあくせくせず、ホゲて生きられるところっていうか。
大前至というね、音楽ライターやってる男が、「夢を追うならLAに来てはダメ」って言う。。
なんとか生きられてしまう(笑)。サーフィンと大麻を吸いながらなんとかやっていけてしまうって言って(笑)。よく言われる通りね。

引用:IMDb.com

宇多丸さんの、ラ・ラ・ランドのオープンニング評価

あと、なんかCMみたい・・なね、本当に思ったあたりで。。
正直僕はこのオープニングシーンの時点では、そんなにテンション上がってたわけじゃないんですね。
ちょっと若干鼻白んでたところもあるぐらいということで。
すごいシーンなのは認めつつ。。
ただ後ほど理由は言いますが、終わってみると「あぁ、このシーンやっぱり・・やっぱないとダメかな」っていう思うバランスもやっぱあったりというのも思います。
まぁ、その辺は後で言いますけど。。
っていう流れで本編に入る。
女優を目指すエマ・ストーン演じるミアとジャズピアニストとして成功を目指すセバスチャン・・ライアン・ゴズリング演じるセバスチャン。
この2人の視点が交差するまでを、時制を一旦遡るという形式で見せていく、と。
冬パート、ウインターパートってのを見せてく・・四季になってるんですね、ウインター、スプリング、フォール、でまたウインター。
で、この見せ方、この構造ね。
単に序盤、要は観客の興味を持続させるためのちょっと気の利いた仕掛けって、もちろんそれもあるんだけど。。
だけではなくて、さっき言ったエピローグ、最後につくエピローグで、この一旦時制が戻るって仕掛けが頭にこう、なることが非常に効いてくるというあたり・・これも、とってもうまいなーというふうに思いますし。

夢追い人の2人にイライラしてくるところも多い

ただですね、この夢追い人としての2人ね、基本的には僕は結構ダメダメな奴らだと思っていて、正直見ててやっぱさっきから言うようにイライラしてくるとこも多い。
共通してるのは2人とも、生活のためにしている仕事の時の勤務態度が悪すぎます。
例えばミアさんもね、女優だったらどんな職業に就いてたって勉強になれるわ、みたいな、そういう前向き感ゼロで、要は単にミーハーなんですよね。
単にミーハーで、要は多分そのシフトのこともちゃんと顧みずに、「あ、オーディションなんで今日抜けまーす」みたいな、自己中心的だったりして。。
つまりね、あのカフェ、同じような女優志望とオーディションを掛け持ちでしてるような人とかいっぱいいるはず。
下手すればあの店長だって、そうかもしれないっていう視点は彼女には全くないし。
そして、残念なことに、この作品自体にも最後までこの視点はない、ということなんですよね。

引用:IMDb.com

セバスチャンの子供っぽさ

で一方、さらにセバスチャンさんはですね、さらにたちが悪くて、要は本業に近いところでバイトしてる分さらにたちが悪くてですね。
クリスマスソングを弾けと言われてですよ、ふてくされる気持ちもわかるけど、それをわざわざコミカルなちょっとはねたタッチで弾いてみせるあたりとか、俺本当に「お前、ダメだろ!」と。。
彼がクビになったのは、最後に自分の好きなように弾いちゃったからじゃなくて、さっきまでのおどけたクリスマスソングの弾き方で「お前クビ」って俺、J・K・シモンズ思ってた、と思うんですよね。
はい。要は自分以外みんなバカだと思ってんの、と。
ここではその機能が求められて、その中で自分のピアニストの才能をベストで、クリスマスソングも俺ならこんなにステキに弾くって考えられないの?っていうさ。
うん・・非常に子供っぽい。
社会人としてはダメ、社会的にはダメ人間という意味で、実は今回のライアン・ゴズリング演じるセブさんは、「ブルーバレンタイン」のアイツに全然近いっていうね。
はい。あと何かにビックリする仕草とか、意外と先週の「ナイスガイズ!」の裏声出す、コミカル方向のライアン・ゴズリングにも全然近いっていうね、「ヘーッ」ってね・・ことだと思いますね。
とにかくまぁ、今の場所でベストを尽くすという発想も全くないし、そしてそこの部分、その態度とか考え方に関して、彼が後に反省して、そしてつまり成長するようなはっきりした描写みたいなのは、この作品内にはないということなんですね。

報われない魂同士が惹かれ合う

はい。えぇ、ということで、まぁこの2人は似た者同士ではあるわけですね。
はい。だからこそ報われない魂、なんで報われないかと言うと自分たちのせいでもあるんだけど、報われない魂同士が惹かれ合う、まあこれは必然でもあるっていうことですよね。
確かにその報われない魂っていう描写に関しては、エマ・ストーンの圧倒的演技力が逆に痛々しさを誘うという、非常に見事に意地悪なオーディションシーン・・要するに非常に上手い演技を熱演しているだけに痛々しいっていうふうになるオーディションシーン。
特にあの電話をかけてるところって、最初に出てくる方は、あれライアン・ゴズリングが実際にオーディションで合った目、実話に基づくらしいですけど。。
話してる内容がどうやら本当は泣きたいほど悲しいことなのに、「おめでとう」と言わなければならないことを知ってしまった瞬間・・つまり、さっきから言ってるエピローグっていうのと呼応するような内容になってて、「あぁ、これもはうまいなー」って思うあたりなんだけど。

デイミアン・チャゼルさんの得意な追い詰め描写

あとはやっぱり、例えばそのセブさん、さっきからね「お前、子供っぽいぞ」って俺は言いましたけど、とはいえ誰も聞いていない、誰も望んでいない、自分の本当にやりたいことっていうのを絶対的な孤独の中で吐き出すっていうその姿・・僕も正直それは「わかる。わかる、その気持ちは」って思うから。。
しかも、それはちゃんと、確かに誰かには届いた、つまりミアには届いたっていう。
とかはですね、まぁデイミアン・チャゼルさんの得意な追い詰め描写、人の精神の追い詰め描写のうまさもあってですね。
さっき言ったような彼らの人としてのダメさ、夢追い人としての怠惰さ傲慢さなどを超えて、っていうか、それらをいつのまにか不問にしてしまう勢いで、やっぱ強引にでも感情移入させられてしまう・・これはやっぱ力技ですが、まぁそれは全然いいことなんですね。はい。

2人のキュートさ

あとなんだかんだ2人とも、ちゃんとキュートなところってのもちゃんと描かれてる。
例えば、まぁ例えば、挙げていくとアレですけど、2人が初めてダンスしたシーンの後ね、公園でダンスしたシーンの後で、セバスチャンの方にね「あんたの車のところまで送ってくけど」「いや大丈夫、そこに近いから」・・で彼女の車が去り切ったのを見計らって、今まで来た方向にセバスチャンやおら戻って、自分の車どこにあったかっつったら、最初に出てきたパーティー会場の前にある。。「一緒に歩きたかったんだ、かわいい!」っていう(笑)。
そういうこともちゃんと描いてるから、そこをちゃんと感情移入の描写としては成り立ってると思います。はい。

2人だけの世界観

いうことで、それはそれでね、ちゃんと感情移入させられて、すごいことなんだけど、ただ僕が一番モヤってしまうのは、そういう彼らの・・さっきねメールにもあった通りですね、「スナッチ」さん・・2人だけの世界で結局お話が終始してしまう。
つまり第三者の視点とか意見で目を開かされる、それによって成長する、みたいなそういう外部要因が一切ないまま話が終わってしまう。
これこそさっきから言ってるデイミアン・チャゼル作品の今のところの強烈なクセ、アクの部分・・これもう「スナッチ」さん、だからホント「デイミアン・チャゼル、2人だけの世界を描く作家で」って、これホントにその通りだと思います。

今回の「ラ・ラ・ランド」もですね、何度となく出てきますけど、主人公あるいは主人公たちの周囲が暗くなり、まるで世界に主人公もしくは主人公たちだけがいるかのように感じられるというあの見せ方、これデイミアン・チャゼル作品「セッション」もそうだし、今回の「ラ・ラ・ランド」も何度となく出てくる。
非常に象徴的ですね。
周りの世界が消失するという描写が非常に多い。
で、最終的に「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、主人公たち2人だけの世界に入っていくということですよね。はい。
なので、今回の「ラ・ラ・ランド」に関してはですね、その閉じた感じっていうのを緩和する意味でもオープニングで、いやみんなこのように、この2人と同じように夢を抱いてLAにいますよっていうのを一応機能としては・・あとアレがないと、より狭いせまーい場合話に感じられてしまったのではないかというのは、あるかもしれません。

登場人物の存在感が薄い

で、ですね、その主人公たち2人だけの世界で、ワーっている主人公たちに対して、それ以外のキャラクター、登場人物の存在感、描き込み・・はっきり言えば重みとか厚みが極端に軽い、薄い。
ほとんど書き割り的と言っていいって、これも一つの特徴だと思いますね。はい。
ちょっと要するに、ちょっとセカイ系的なとこがあるというふうに言っていいんじゃないかと思いますけどね。
はい。「ラ・ラ・ランド」も、2人の成功も何か外的要因による変化、成長っていうのが別にあったわけではなくて、元々持っていたものを誰か・・その誰かもちゃんと描かれませんからね・・誰かに見い出されたっていうだけのことですから。
本人たちはそんなに実は変化してないのかもしれないぐらいの感じ。
変化したとしてもその2人の中の変化っていうことですよね。
というようにですね、まぁ、その2人の世界に純化されてるわけです。
セカイ系的に純化されているわけです。
だからこそ、ひとたびそこに没入すれば陶酔は深くなるわけです。
カルト的な支持は集めやすくなるわけです。
僕は前から言っているように大林宣彦版「時をかける少女」は下界っていう要素を完全にうまくシャットダウンしてるから、あんだけカルト的なんだって言ってますけど。
一方でちょっとでも冷めた目で見れば、非常に独善的な幼い世界観というふうにも取れてしまうという面がある、ということ。
これこそまさに、その評価の分かれ目だと思うんですが。

夢追いストーリーならではの

とはいえ、これはさっきも言ったようにですね、デイミアン・チャゼルの作家性そのものと不可分な資質、ものでもあって、これ直したら、じゃよくなるかと言うと、良かった部分まで消えてしまいかねない部分だとは思うんですね。
とにかくでも、その夢追い人ストーリーに関しては、そういう歪さがあるのは確か。
あと、そのくだりがやっぱりミュージカルシーンとしてもちょっと薄い・・弱いあたりであるのも確かだったりして。。
「モヤるなぁ」ってのは続くんだけど、先ほどメールにもあった通りエマ・ストーンのオーディションシーン。ね 「The Fools Who Dream」という、これもう曲、詞、パフォーマンス素晴らしすぎて。。
歌詞ちょっとぜひ皆さん、味わってください。原詞が本当に素晴らしいです、これ歌詞が。はい。
ということで、まぁやっぱりそれは感動させられちゃう、というところあるわけですが。はい。

ラ・ラ・ランドのエピローグ

で、ですね。でさらにそこから、何よりもさっきから言ってるエピローグ。
ここで、さっきから言っている2人だけの世界、周りは全部書き割りっていうそのデイミアン・チャゼル作品の構造が一気に、今度ここからは意識的に全面化されるわけです。
つまり、物語的にちゃんと意味あるものとして2人だけの世界、周りは全部書き割りっていう場面が機能し始めるわけです。
だから、僕は見てて「あ、こういうこと、こういう構造なんだったらアリだろう」っていうね、ことだと思うんですね。
で、加えてここはですね、先ほどから言ってるちょっとこう「シェルブールの雨傘」とか、あるいは「ニューヨーク・ニューヨーク」とかを思わせる、ちょっとこう切ないというかね、ほろ苦い結末。
プラス「パリのアメリカ人」的な、とある幻想的なシークエンスがね、始まるわけですけど。。

「人生が二度あれば」

これね、ちょっと恐縮なんですけど、自分の本で恐縮なんですが、RHYMESTER宇多丸の「映画カウンセリング」という本の中の最終章、「人生が二度あれば」っていう章に対する239ページの私の回答がですね、これネタバレせずに、私の思っていることを伝えるのにふさわしいので、ここを・・こういうことだと思います。
「確かにあの時ああしてたらこうなってたかも的な後悔というのは、つまるところ、こうだったかもしれない可能性という、言ってみれば過去に向けて抱く夢や希望のようなもので、つまり決して実現しない代わり壊れもしない。必ずしもそれは否定されるべきものではない、どころか限定的なものでしかない我々の人生にとって実は不可欠なささやかな救いでさえあるんじゃないか」っていうことを僕は書いてるわけですよ。

まさにそういう結論ですよね、このエピローグは。
なので、もう我が意を得たりだったし、僕は見てて。
で、しかも、これやっぱ誰でも思い当たる件ですよね。
要するに、「あ、過去にこうあれば、こうあれば」なんだけど、それに非常にポジティブな結論、僕もそれに同意なんですが、ポジティブな結論を与えている。

「夢を見ていたあの頃の私たちを振り返る映画」だったんだ

つまり、本編のあのダメダメな2人は、確かにダメダメだったんですね。
なんだけど、少なくとも、可能性は開かれていた2人。
ね、「夢を見ていた」ってこの日本のコピーはまさに、「夢を見る者たちの映画」じゃなくて「夢を見ていたあの頃の私たちを振り返る映画」だったんだ、と。
そして、その可能性がすでに閉じられた状態から振り返った状態、ちょっとつまり「横道世之介」評における懐かしさの本質みたいな、そういうものを表すこと、全く同じような構造がこの作品もあると思います。
ただそれは同時にね、過去もう既に閉じられた時から、開かれていた可能性・・こういう可能性もあった、こういう可能性もあった、それを振り返る、切なくも、でも同時にそれは唯一選ばれた可能性である今ここにいる自分、ここに至る自分の人生つまり自分固有の人生のかけがえのなさ、愛おしさというものを際立てもする、ということですね。
しかも、それはもう2人だけしかわからない世界でいいわけですから。

ラスト40秒

なので、「これでよかった、ここから先、お互いまた次の人生をちゃんと歩いていこう」という開かれた、ラスト40秒が私は肯定的だっていうのは、まさにそこなんですね。
要はラスト40秒、2人は別れ際にどういう顔をとるのかなと思ったら。
セブが頷くんですよね、これでいいんだとばかり。
そして、「がんばれよ」って感じ。。
で、「OK、あんたもね」って感じで別れて、そして、ここね、セブがこの後次の曲の演奏を始めようとしている。
で、もうエンディングに向けて曲はワーって流れ出してんだけど、その曲とかBPM的に全く関係ない、要は多分アップナンバーなんだけど、「ワンツースリーフォー」だけ一瞬聞こえて、ダーンってTHE ENDになる。
つまり、この映画で流れている時間ともう違う時間が登場人物いき始めて、そっから先可能性がまた別の人生の時間が流れ始めているわけ、映画の中で、そこでポンと終わる。
この話は終わりって。この切れ味ですよね。

最後の40秒で、もう負けました。

だから僕はもう、ここでスパンと終わるところで、ぶっちゃけもうさっきも言ったけど鼻汁垂らして泣いてたので、負けです。
デイミアン・チャゼルに負けです。
最後の40秒で、もう負けました。
この切れ味、まさにデイミアン・チャゼルだと思います。
ちなみに僕、エンディング周りに関してはですね、ミアさんがセブがLAでお店を開いてるってことを全く知らないし、「ここセブの店かしら?」って素振りを道でも見せてないってのは、これね、つまりね、ミアにとっては完全に黒歴史、もしくはもうビタイチ覚えていなかったとか、そんぐらいの、そしてそのバランスで見ても成り立つんですよ。実はミアの劇中の態度は。。
完全にセブ側の想いの話とも取れるあたりが、ちょっとやっぱり面白いなぁというふうに思ってね。
こんなことを終わってから話し合うのもよろしいんじゃないでしょうか。

ラ・ラ・ランド、宇多丸さんの負け!

ということで。
あのー、なんですかね。手放しで全面的に「最高です。大好きです最高」って言い難いところもあるんだけど、最後の40秒で僕は「オッケイじゃん!遡ってオールオッケイじゃん!」ぐらいの感じで、はい。
ここで私、5億点ぐらいは全然出てしまいました。
私の負けでございます。

いろいろ異論あります。レビューとしてもですね。
映画館で見る価値、絶対ある映画ですから、絶対に行った方が良いと思います。今映画館で。
はい。ということで映画館でぜひぜひウォッチしてみてください。「ラ・ラ・ランド」でございました。


○○に入る言葉のこたえ

②作品に感じられる50年代黄金期ミュージカルとヌーヴェルヴァーグの要素について。 でした!
 

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