ヘイトフル・エイトのライムスター宇多丸さんの解説レビュー
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RHYMESTER宇多丸さんがTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(https://www.tbsradio.jp/utamaru/)
で、クエンティン・タランティーノ監督作「ヘイトフル・エイト」のネタバレなし解説レビューを紹介されていましたので書き起こしします。
映画視聴前の前情報として、また、映画を見た後の解説や考察レビューとして是非ご参考ください。
宇多丸さん「ヘイトフル・エイト」解説レビューの概要
①監督本人が公言「オレは常にヒップホップの精神にのっとって映画を作ってるんだ!」
②残念ながら日本では観られないけれど・・・特別な上映形式に込められた想い
③タランティーノ脚本史上珍しいほど無駄のない「○○」
④セリフ・映像・音楽で魅せる「圧の高まり」
⑤これは誰も観たことのないタランティーノ映画だ!
※○○の中に入る文章は、この記事の1番最後で公開しています。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でラジオ音源を聞いて頂くか、書き起こし全文をご覧頂くか、この記事の1番最後を見て頂く事で判明します。
映画「ヘイトフル・エイト」宇多丸さんの評価とは
(宇多丸)
毎週土曜夜10時から、TBSラジオキーステーションに生放送でお送りしている「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと「シネマンディアス宇多丸」がウキウキウォッチング。例えば、先週「マジカル・ガール」というスペイン映画評しましたけど、未だに「マジカル・ガール」のその描かれていない余白についていろいろ想像を巡らし続けた結果、一つ思いついたことがある、どうしても言いたい。ファム・ファタール的な立場にあたるバルバラの過去っていうのは映画では描かれないんだけど、例えばバルバラがハイティーンの頃どうだったのかって、ちょうど映画で言うと、日本映画ですけど、塩田明彦監督の「害虫」で宮崎あおいさんが演じる「サチ子」、あれちょうどバルバラがハイティーンだったらこんな感じじゃね?って感じの映画だったような。しかも、田辺誠一演じる教師と過去に何かがあったらしいっていう空白の描き方も被るしというわけで。「害虫」を「マジカル・ガール」のバルバラのハイティーン版として観るなんていう見方をしても面白いなあ、なんていうことを一週間ずっと考え続けたりもする、で、監視結果を報告するという映画評論コーナーでございます。
今夜扱う映画は、ムービーガチャマシン、先週回して決まったこの映画。「ヘイトフル・エイト」!
猛吹雪の中、山小屋に閉じ込められた賞金首の女と立場の異なる7人の男。それぞれの思惑を秘めた8人の行動がやがて陰惨な事態を引き起こしていく。監督は、今作が8作目の監督作となるクェンティン・タランティーノ。もう最初に、「クェンティン・タランティーノ第8作目」って、そんな映画監督いるか!?っていう。出演はサミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ティム・ロスなど。ジェニファー・ジェイソン・リーがアカデミー賞助演女優賞ノミネート。70ミリフィルムによる撮影なども話題になったということで。65ミリで撮って、70ミリで、後ほど特殊な方式でやってくんですけど。
ということで「ヘイトフル・エイト」。タランティーノ新作を観に行かないってことがあるんでしょうか?ってことで、リスナーのみなさん、当然観に行ってるということで。この映画を観たよという方の感想、メールなどで監視報告いただいております。「ヘイトフル・エイト」、メールの量は普通!ええーっ・・・公開規模が、やっぱ回しが長いのもあってあんまないのもあるけど。公開規模があんまり大きくなくて。ええーっ・・・賛否で言うと、「賛」が6割。「楽しかったけど、ちょっと長かった」「過去作と比べると物足りない」「テンポが良くない」などの意見が4割。全面的に否定する意見はごくわずかしかなかった。タランティーノの映画だから、それはもうタランティーノ的なるものがどの程度出てくるかってのは覚悟して行くわけですから。褒めるポイントとしては、「映像がすごい、大迫力」「タランティーノの集大成!長い会話もやはり楽しい」「最後に伝わってくるメッセージにタランティーノの成熟を見た」などなどがございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。
映画「ヘイトフル・エイト」を鑑賞した一般の方の感想
*ズキンさん
「ヘイトフル・エイト」最高でした!3時間弱ほぼずっと続く会話劇の緊張感と面白さで完全に持っていかれました。タランティーノ脚本の醍醐味がこれまでの作品で一番詰まっている作品なのではないかとも思います。タランティーノの過去作の中では、いろいろなとこで言われている通り「レザボア・ドッグス」に近いですが、会話のライド感は「デス・プルーフ」を連想したりもしました。タランティーノオールスターズをはじめとする濃すぎる役者陣。良い意味でムダに長く、どこか不穏な会話劇。ドロッドロの血が吹き飛ぶバイオレンス描写。それを彩るモリコーネの頭にこびりつくスコア。これらすべてが完璧に組み合わさったら問答無用にアガるのです。これを新宿ミラノ1・・・
(宇多丸)
ミラノ座。もうなくなってしまいましたけど。
*ズキンさん 続き
70ミリ上映で観られなかったことが残念でなりません。誰が良かった、あそこがよかったと永遠語れるような最高にバイオレントで最高に刺激的な至福の3時間でした。
(宇多丸)
という絶賛メールでございます。一方ダメだったという方。
映画「ヘイトフル・エイト」批判的な意見
*アズマヒロノブさん
今回は私が良くも悪くも影響を受けてきたタランティーノ作品ということで投稿さしていただきました。感想は「つまらなかった」。私はとてもがっかりしました。とうとうタランティーノの才能が枯れてしまった一本と感じました。
(宇多丸)
この方「パルプ・フィクション」が大好きと。とにかく、ピンとこなかったって言う感じですかね。タランティーノの感覚がずれてきちゃったんじゃないのか、みたいな。
*アズマヒロノブさん 続き
長々とすいません。私が最も尊敬していた監督の落日を目の当たりにした一本となりました。
(宇多丸)
という、非常に低い評価なんですけど。
「ヘイトフル・エイト」宇多丸さんが鑑賞した解説
はい、ということで、「ヘイトフル・エイト」。私も、後ほど言いますが、日本では本作をベストな状態で観ることができない!それができる映画館が現状存在しないので。せめて、これだけはちょっとシネコン以前の、大型劇場の雰囲気を残してる劇場で、都内上映館の中でかろうじて残してるとこで見たいということで。傾斜が斜めに下がってくあれじゃなくて、比較的平らな感じの席で、見上げる感じの大きいスクリーンのところで観たい、と思いまして。丸の内ピカデリーで3回観てまいりましたってことでございます。しかも、3回とも、あんまり入ってなかったです。正直。非常に私は残念でございます。嘆かわしい事態だと思っております。
タランティーノ作品
というのも、タランティーノ。作品を取り上げるたびに僕、言ってることかもしれませんけど。自ら、こんなこと言ってます。「オレは常にヒップホップの精神にのっとって映画を作ってるんだ」って、インタビューなどで公言してるぐらいです。サンプリング世代。ヒップホップ世代的な、いわゆるポストモダン的なってことですかね。クリエイターの代表格なのは間違いないんですけど。「ストリート版ゴダール」なんて言い方もしてますけど、私。凡百の、はっきり言わせてもらえば見下げ果てたタランティーノフォロワーとは、根本の格が違っておりまして、当たり前のことながら。そのサンプリングというのが、小手先のギミック的な目配せとか、そういうレベルのことがやりたい人じゃないわけです。もちろん、例えば元ネタを指摘したり、あとは「ここがナントカなんじゃないの?」みたいな、元ネタの指摘とか発見みたいな楽しみは、もちろん今回の「ヘイトフル・エイト」を含めて、タランティーノ、新作が出るたびに間違いなく、ものすごくある。それが楽しいタイプの作品を作ってるのは間違いないんだけど。
元ネタは知らなくてよい
ただ、ここで大事なのは、元ネタを知ってるか、知ってないかとかじゃないんです。元ネタは知らなくたっていいんです。ってか、知らない方がいいぐらい。っていうのは、こういうことです。かつて、たしかにこういう野蛮でパワフルでブッ飛んだ映画のあり方、楽しまれ方というのが確かにかつてあったんだ、というこの感覚を、タランティーノの映画は元ネタを知らないはずの観客、例えば知らない若い観客も、「あっ、かつてこういう映画の楽しみ方が、ああ、たしかにあったんだ!」って思い出す。分かる?元ネタを知らないのに「思い出す」感覚っていうか。
タランティーノ作品の独特且つすごい所
これがタランティーノの作品の独特、かつすごいところだというふうに私は思っておりまして。あるジャンルの映画を観るという体験。その感覚ごと蘇らせようとしてる。そういう作品ばっかり作ってると言える。サンプリングの果てに、サンプリングっていうのは言ってみれば、偽物なわけですけど。偽物の集積の果てに、いつか本物の映画にタッチしようとする。そういう志に常に貫かれてる。これがタランティーノ。このスタンスがまた、僕は正しくヒップホップ的だなというふうに思ったりするんですけど。
彼のフィルモグラフィー上でも突出した最高傑作
例えば、分かりやすいところでいえば、僕は間違いなく彼のフィルモグラフィー上でも突出した最高傑作だと思っている、「デス・プルーフ」を含む「グラインドハウス」。「デス・プルーフ」か、「イングロリアス・バスターズ」のチャプター1でしょう。彼の突出した最高傑作は。「デス・プルーフ」を含む「グラインドハウス」。あれなんかはまさに、かつてあったB級映画2本立て、3本立ての劇場の興行スタイルとか上映形式ごと、現代に再現するっていう。で、その時代とかその劇場とかに行ったことがない、その時代のそういう映画を見たことがない観客にも、「ああ、こういうタイプの映画の楽しみ方、楽しまれ方っていうのがあったんだ!」と思い出させるという試み。「グラインドハウス」まさにそうでした。で、この「グラインドハウス」はしかし、残念ながらここ日本では、ロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー」とタランティーノ監督の「デス・プルーフ」。その合間に、嘘予告編が入って。あと、変なお店の宣伝みたいなのが入る、みたいな。そういう全体の形式込みの、本来の「グラインドハウス」オリジナルバージョンの上映は、日本では限定的にしかされなかったです。当時も。後にDVDに収録されたりとか、あとタマフル映画祭で1回、やったりなんかもしましたけど。基本的にはちゃんとされずに、バラで1本ずつの公開となったと。そういう意味で、ちょっと残念な公開のされ方をされちゃったんですけど。
今回の「ヘイトフル・エイト」は残念な状況での公開と言わざるを得ない
その意味でいうと、今回の「ヘイトフル・エイト」はその「グラインドハウス」よりもさらに残念な状況での公開と言わざるを得ない。つまり、「グラインドハウス」はB級、C級、Z級というか、本当に下の下の映画たち。本当にクズみたいな映画たちの中にあるお宝みたいな。そんな感じのあれだったんだけど、「グラインドハウス」とは対称的に今度は、映画というものの興行、上映形態としてある意味、最も豪華。最もリッチなスタイルの再現という。さっき言った興行スタイル、上映形式ごと再現なんだけど、今度はものすごいリッチな方に行ったのが今回「ヘイトフル・エイト」。詳しくは、劇場パンフレットなどをあたっていただきたいんですけど。劇場パンフレット、充実してるんで。
「ウルトラ・パナビジョン70」
とにかく今回、オープニングでも非常に誇らしげにクレジットで出てきますけど。「ウルトラ・パナビジョン70」という、これなかなか耳慣れない方式。とにかく、60年代一部の超大作映画で使われていた撮影・上映方式。例えば「ベンハー」であるとか、「バルジ大作戦」とか、「戦艦バウンティ」とか、一部の超大作で使われていた。で、66年「カーツーム」という作品を最後に使われなくなってしまった撮影・上映方式っていうのを、本作のためだけに復活させているっていうことなんです。しかもそれが、今回の「ヘイトフル・エイト」。事前に脚本の第一稿が早い段階でネットにリークされてしまって。タランティーノが激怒して、「今回のは作らねえ!」って一旦は言ったという、そういう展開がありましたけど。その初稿から、もう70ミリのこれで撮られてっていうふうに書いてあるんで。もう最初のビジョンに入ってることなんです。ウルトラ・パナビジョン70使うのは、70ミリフィルムで上映するっていうのは。
ロードショーバージョン
で、アメリカとか欧米では、ベテラン上映技師をもう1回、改めて引っ張りだして来てまで、70ミリフィルムでの上映バージョン。いわゆるロードショーバージョンっていうのを決まった劇場では上映してるわけです。入場者全員にプログラムが配られ、そして、本編のスタート前に、日本だったら、ベッベッベッベッベッベッベッベッみたいな、映画泥棒みたいなのがやってる、あのところじゃなくて本編のスタート前に、先ほど「ヘイトフル・エイト」バッて言った時に後ろで流れていたエンリオ・モリコーネによるオーバーチュア、序曲が流れて。映画が始まる前に音楽がずっと流れて、映画までの気分を高めるわけです。で、いくつかのショットは、いま日本で見られるデジタル上映版よりも長いそうなんです。で、途中、これはたぶんチャプター3。「ドミニクには秘密がある」っていうあの章の前です。あの章の前に、ある衝撃的な出来事起こります。あの、ある衝撃的な出来事が起こったその後に、15分間のインターミッション、休憩が入るという、そういう形式なわけです。
チャプター3の頭
これ僕、いま46歳ですけど。僕でギリ、「2001年宇宙の旅」のリバイバルを79年かな?にした時に、こういう序曲がずっと劇場に流れてて、インターミッションが入ってっていうのをギリ、それは「ああ、ああいう感じかな?」って想像がつく感じなんだけど。なので、今回、実際映画を観た方は分かると思うんですけど、チャプター3の頭。途中でものすごい大きい事件がドーン!って起こった後、一旦話がひと区切りして、いきなり、唐突にタランティーノ自身によるナレーションで、この15分間、劇中の舞台で何が起こったか?みたいなことを説明するというくだりがあるんですけど
「この15分間、何があったか?」
。あれはまさに、その15分間、衝撃的なことが起こって、はい、休憩です!ってなって。15分後、映画をこうやって、はい席に、みんなおしっこ行ったりして、ガヤガヤガヤッて席について、さあ始まりますよ、15分後始まると「この15分間、何があったか?」っていうそういう説明がつくという。軽いギャグになってるってことなんです。とにかく、そんな諸々込みでの187分版。現在日本で見れるデジタル版より20分長い。その20分の内訳っていうのはさっき言ったように序曲が3分、そしてインターミッション15分ということで、残り2分だけ中身が長い。で、どうやらこれは、いわゆる70ミリ画面を活かしたロングショットです。基本的には室内の映画ですけど、馬車が走ってるようなロングショットがたぶん長くなってるっぽいんだけど。
時間の贅沢な使い方。異常にリッチな映画体験。
ということで、そういう序曲が流れて、すごい気分を高めて、何か特別な体験しに来るぞっていうことです。なんなら、着飾って来て。で、余裕を持って休憩も挟んでみたいな。そういう時間の贅沢な使い方。異常にリッチな映画体験というもの全体の再現。これ自体が今回の「ヘイトフル・エイト」の非常に、語られてる物語と同じぐらい重要なコンセプトなわけです。今回のこれは。さっきから言ってるように、初稿にすでに書かれてるわけですから。もう、コンセプトそのものと不可分なことなわけです。この上映形態とかってことが。
日本では現在、70ミリ上映をできる映画館が物理的にない
にもかかわらず、日本では現在、70ミリ上映をできる映画館が物理的にないっていう。不可能なわけです、物理的に。このあたりの経緯は「映画秘宝」、岡村尚人さんかな?による記事が非常に詳しい。普通に計算してって、今から70ミリ上映できる環境を整えてくと、ざっと概算して60億円いるっていう。だから、先ほどメールにもあったように、「ギリ、新宿ミラノ座がまだあれば、目はあったのか?」みたいなことを考えちゃうんですけど。とにかく、日本では70ミリ上映はできない。で、それにタランティーノ。非常に日本びいきな人なのに、日本では70ミリ上映できない。つまり、この「ヘイトフル・エイト」に関しては自分の意図したものが伝わるような上映の仕方をできないっていうことにいたく失望して、今回はプロモーション来日もしていないという。いかにこの本作が撮影から配給に至るこの形式まで含めての作品であるか、っていうのの証だと思うんです。
「不完全な状態」
ということで、本当に申し訳ないんですが、僕も本当は、こうやって批評とかするんであれば、この1週間でアメリカなどに飛んで70ミリバージョンを観て来るべきではありましたが、申し訳ないです!すいません!ちょっとその時間ありません。他の仕事もあったもんで、申し訳ございません。できませんでした。ということで、僕が観てきたのはあくまで、この日本で見られる、敢えて言いましょう「不完全な状態」。デジタル版167分を観て、本チャン上映スタイルを頭に思い浮かべながら。サントラも買いましたから。オーバーチュア、序曲を事前に聞いて、気分を高めて。で、チャプター2とチャプター3の間は、「今!はい!15分休んだ!はいっ!」っていう、そういう気分を思い浮かべながら、ということをちょっとね、お断りしておきたいと思います。
167分バージョン
でもこの167分バージョンでも、今回タランティーノが作品に込めようとした、要はこういうこと。映画を観るということの豊かさ、贅沢さっていうのを、さっき言ったように、それをもうもはや今の観客は忘れかけてるわけです。もう、知らない世代もいる。タブレットで見るのが映画だと思ってるかもしれない。そういう世代に思い出させるっていうことは十分にできる作品になってるというふうに思うわけです。例えば、まずもうオープニングです。オープニング。エンリオ・モリコーネによるオリジナルスコア。タランティーノ、今までエンリオ・モリコーネの曲をそれこそサンプリング的には使ってきたけど、ついにサンプリング手法の後に、それこそ本物にタッチした瞬間っていうことです。
「最前線物語」のオープニングを彷彿とさせるようなオープニング
言っちゃえば、ダフト・パンクがナイル・ロジャース本人を呼んできて「Get Lucky」作ったみたいな、そんな感じです。聞いてください、これ。もう、もうわくわくでしょ!なにが起こるの?フォーッ!なに?なに?なにが起こるの!?これが流れだす。そして、画面は通常のシネマスコープよりもさらに横長。縦1に対して横2.76という超ワイド画面。これに流れ出して、こうやって。で、雪にまみれたキリスト像がアップです。ちょっと「最前線物語」のオープニングを彷彿とさせるようなオープニング。アップからゆっくりゆっくり、カメラが本当にゆーっくりゆっくり動いて。遠くから、6頭立ての駅馬車。6頭立てってことは普通に僕らが考える馬車よりも、馬が長く連なってるわけです。これも当然、ワイド画面が映える。この6頭立ての馬が向こうから、遠くの方からゆーっくりゆーっくりカメラが動いて。向こうから撮ってくるこのファーストショットからして、作品全体のリズム、語り口のテンポをもうすでに提示してるっていうか。「さあ、これからとっても贅沢な時間が始まりますよ。せっかく映画観るんですから。せっかく映画館に来て、映画という贅沢な時間を過ごすんですから、ま、せかせか先を急がず、腰を据えてゆっくり順に話していきますからね。ゆっくり楽しんでね。それが70ミリで撮ったこういう本物の映画というものの楽しみ方ですよ。」と宣言するようなファーストショットということです。
本題の前のセッティングのために1時間たっぷりかける
で、実際この映画、オープニングテーマから始まって最初の1時間たっぷりかけて、これはこの間高橋ヨシキさんもこんなこと言ってましたけど、とにかく、本題の前のセッティングのために1時間たっぷりかけるわけです。具体的には、いかにもタランティーノらしいクドーい会話劇が一見ダラダラと続くんですけど。ただ、そのタランティーノのトレードマークである延々続く駄話タイムっていうのは、これ、はっきり実はフィルモグラフィー上、ちょっとネクストレベルに行った。今はもう入ってて、とっくに。「イングロリアス・バスターズ」以降ははっきりと、ただ駄話タイムっていうのが独立してあるのがタランティーノ作品だったんだけど、ドラマ上のサスペンス、緊張感と駄話が実は結構直接シンクロする作りに、もうはっきりシフトしてるんです。「イングロリアス・バスターズ」。そして前作「ジャンゴ」。そして今回の「ヘイトフル・エイト」。つまり、エンターテインメントとしてはよりわかりやすくなってきてる。ブラッシュアップされてるというふうに言えるんですけど。今回も、「イングロ」以降のタランティーノ会話劇の延長線上。というか、進化系。たしかに集大成というのも僕は分かる気がします。
序盤から延々と続く、一見駄話
というのは、序盤から延々と続く、一見駄話。でも、その会話の1個1個のパーツは実はほとんど全て、後でほぼ全て意味を持って回収されるんです。タランティーノ脚本史上でも、僕やっぱ確かにメールにもあった通り、珍しいほどものすごい無駄がないです。実は、会話の全てが。「あ、すごい!いわゆる良く出来た脚本じゃん!」みたいな感じになってると思います。そしてもちろん、たっぷり時間をかけた贅沢なセッティングという。これが完了してからは、もう圧力釜の中身のようにってことだと思う。みるみる会話劇の、映画の半分は1時間30分なわけですけど、残り1時間かけて、さあ、セッティング完了。そっから30分でグーッと会話の圧が高まってく。危険な領域に高まっていく。で、高まってくに従って、カメラのサイズもそれこそセルジオ・レオーネ風の、顔のどアップとかでどんどんどんどん圧迫感が高まっていく。で、グーッと高まったところで、バーン!一瞬で恐るべき惨劇が起こるという。これはもう、タランティーノ十八番の語り口が堪能できるあれじゃないでしょうか。
サミュエル・L・ジャクソン・オンステージ
特に今回の「ヘイトフル・エイト」は、多分本当に「パルプ・フィクション」のジュールス役以来と言ってもいいぐらい、サミュエル・L・ジャクソン・オンステージです、今回は。もう、サミュエル・L・ジャクソンがすごい。まず、北軍の黄色とネイビーのコートにマフラーというあの衣装が非常にかっこいい。衣装をやってるコートニー・ホフマンさん、タランティーノの今の恋人らしいですけど。もう登場した瞬間かっこいいんですけど。例えばこのサミュエル・L・ジャクソン演じるウォーレン少佐が、相手を追い詰める時に、例え話を出す。もう、例え話出すのがすごいタランティーノ話術なんだけど。
何個も同じ例えを並べるというこのテクニック
タランティーノ、例え話を出して相手を追い詰める時に、いちいち、何個も同じ例えを並べるというこのテクニック。「おふくろのシチューの味、それはいつも同じだった。チャーリーの作ってくれたシチューの味、それもいつも同じだった。そして今日食ったミニーのこのシチューも同じ味だ!」って。この3つも同じ例を重ねるというこのクドさ。クドさゆえの圧の高まり。これこそがタランティーノ的。そしてサミュエル・L・ジャクソン的圧迫話術。まさに圧迫話術のキモ。基本的にタランティーノ作品は、話術がある奴、つまり話でその場を制することができた奴が、少なくともその場では一番強いという構造を常に持っているため、いかにもタランティーノ的なカタルシスじゃないでしょうか。
「圧の高まり」
「圧の高まり」という意味では、対照的に、セリフじゃなくて、事前にこれから何か大変なことが起こるよと一旦示しておいて、延々それを引き延ばす、文字通りのサスペンス。そして何かことが起こる瞬間まで圧が高まっていくという中盤のある展開。ちょうど、エンリオ・モリコーネの「遊星からの物体X」のサントラより「Bestiality(獣性)」。これが流れだす。ラスト近くにももう1回流れるんだけど、ここなんかもう最高です!こう、舞台上は何も起こってないように見えるんだけど、「キョロキョロ、まだ起こんない・・・キョロキョロ、まだ起こんない・・・」みたいな!もう、これ聞くだけでわくわくしてきますけど。
サスペンスのネタ振りんところ
というのも、この場面の手前のところでサスペンスのネタ振りんところ。画面の左奥で、奥の方で進行している事態と、画面右側手前の方でギターを弾き語りしている、本作最大のトリックスターと言っていいジェニファー・ジェイソン・リーが、この歌の内容も物語の進行とレイヤードされてますから。画面の奥の方と手前の方、そしてこの歌ってる内容、こうレイヤーが3つ重なってる。で、その奥の方と手前の方が交互にピントを合わせてっていう。超ワイド画面ならではの情報量と見せ方っていうのを一番分かりやすくダイナミックに見せる。「室内劇、会話劇なのに70ミリ。スペクタクルなのに、なんで室内劇なんですか?」という疑問に対してタランティーノは、「いや、この空間の中で十分、70ミリ的スペクタクルは見せられるぜ」っていう、そういう勝算があったと思うんです。ウルトラ・パナビジョン70で撮影するという大挑戦にあたって、多分タランティーノはCGとか絶対使いたくなかったでしょうから。現実的に、自分がコントロールできる範囲に舞台を限定するという、そういう計算もあった上での、密室だけど70ミリワイドっていうあれだったと思うんだけど。
大胆な画面構成と演出の積み重ね
で、実際この映画は、まさに日本が世界に誇る美術監督、種田陽平によるミニーの店のセットの中だけで、非常に計算された、そして大胆な画面構成と演出の積み重ねで、ちゃんと豊かな、十分豊かなひとつの世界っていうのを浮き上がらせてる。それぞれの登場人物が距離を、距離感を制したものが勝つというゲームを見事に演出してる。で、それはもちろん、いわゆる2つのアメリカというものの縮図にも見える。そういうメタファー的な作りにもなっているんだけど。同じ人種差別問題に触れた西部劇としても、前作「ジャンゴ」、「イングロリアス・バスターズ」に続く人類史の暗部にジャンル映画的落とし前をつける「ジャンゴ」。
「ジャンゴ」
だから「ジャンゴ」はタランティーノ作品としては例外的に、明快な主人公、ヒーローが設定されてましたけど。今回はちょっとモードが違う。例えば、サミュエル・L・ジャクソン、ウォーレン少佐は「レイシストに逆襲だ!」という「ジャンゴ」的なカタルシスをもたらしてもいいような、元は「ジャンゴ」で描いてたらしいんだ、このキャラクター。なんだけど、「逆襲って言うにはちょっと引くんですけど」っていう、ドン引き必至の冷酷さを発揮するし。我々が画面上で見てるあの光景が本当に起こったかどうかは分からないという、そこのグレーさも残してるわけだけど。で、あと北軍からも追われる身であるという設定もあって。つまり、善悪は敢えてグレーにしてるし。他のキャラクターも、善悪は敢えてグレーになるような描き方をしてる。レイシスト丸出しな南軍チームだって、ちょっとグレーな描き方になってる。何より、お話の始まりの時点と終わりの時点で最もはっきり成長する、これネタバレしないように「あいつ」って言っておきますけど。彼の成長譚として見ると、非常に感動的だったりもすると。
立場の違いから生じるヘイト
ということで、とにかく一方的に善が悪を断罪するタイプの話では今回はなくて。立場の違いから生じるヘイト、憎しみ同士のぶつかり合いによる破滅。それでも、立場の違いを乗り越える可能性はゼロではないという、ギリギリのかすかな希望。これを示す、非常にアダルトな今回はメッセージの作品だと思います。そしてそのメッセージの幅もまた豊かさのうちです。ということで、時間の使い方、画面の使い方、メッセージの込め方、幅。全てが贅沢さ、豊かさ。そういうところを味わうべき作品ではないでしょうか。結果そして、誰も観たことのないタランティーノ映画にちゃんとなってるということで、偉い!ぜひ、劇場で、まあデジタル版でも十分です、観てください!
書き起こし終わり。
○○に入る言葉の答え
「③タランティーノ脚本史上珍しいほど無駄のない「駄話」」でした!