アメリカのハードボイルド小説が生んだ3大私立探偵といえば、ダシール・ハメットのサム・スペード、ロス・マクドナルドのリュー・アーチャー、そしてレイモンド・チャンドラーが創造したフィリップ・マーロウだ。
過去、ハンフリー・ボガートやエリオット・グールドなどが演じた、名探偵フィリップ・マーロウをこの映画「さらば愛しき女よ」では、ロバート・ミッチャムが、都会に疲れた男の哀しみを見事に滲ませて好演していると思う。
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説は、色々な監督と俳優で映画化されて来たが、この映画は1946年にハワード・ホークス監督、ハンフリー・ボガート主演で作られた「三つ数えろ」(大いなる眠り)以来の秀作だと思う。
この映画は、ロバート・ミッチャム扮する主人公の私立探偵フィリップ・マーロウが、ロスアンゼルスの街路を見渡せる、うらぶれた部屋から、警部補のナルティ(ジョン・アイアランド)に電話をかけ、事件の真相を話すところから始まる。
物語の舞台は、1941年のロスアンゼルスで、まずこの冒頭の場面のムードからして、映画的魅力に満ちて、素晴らしい。
監督は、第一線の写真家から映画に進出し、リアリズム西部劇の秀作「男の出発」で並々ならぬ才能を見せ、続く「ブルージーンズ・ジャーニー」も好調だったディック・リチャーズで、この映画が3作目となっている。
ある女の消息の調査を依頼されたマーロウは、わずかな手掛かりをもとに調査を進めていたが、彼の前で次々と殺人が発生し、重要参考人にされてしまう。
警察の追及と、暗殺者に狙われながら、マーロウは事件の核心に迫るのだが----------。
次から次へと起こる暴力沙汰を織り交ぜて、繰り広げられるこの物語は、このジャンルの定石と言っていいが、重要なのは物語の筋よりも演出のタッチだと思う。
いささか人生に疲れて、うらぶれた感じの主人公マーロウが、ロバート・ミッチャムの渋い好演で、よく生かされていることも成功の要因だと思う。
レイモンド・チャンドラーの小説におけるマーロウの心情には、日本的な"もののあわれ"に共通する何かがあると思っているが、それがこの作品に滲み出ているのも、実に素晴らしいと思う。
それと併せて、ディック・リチャーズ監督の簡潔で流れるような描写で、1940年代のやるせないムードを全編に漂わせる演出が実に見事で、ナチス・ドイツがソ連へ攻め込んだという切迫した時代なのに、人々はジョー・ディマジオの連続安打の話題などをしているということを織り込んだ、当時の時代色の醸成とが、実にいい味を生み出していると思う。
そして、何よりもこの映画を面白くさせているのは、マーロウもさることながら、怪力の巨漢ムースの存在だ。
恐怖という感情とはほとんど無縁でありながら、愛する女ベルマを思う純情ぶり、あたかもそれは、あのキングコングの恋の様に、コッケイにして崇高、美しくも哀しい。
結局、その恋人に裏切られ、銃弾をぶち込まれた彼が「どうして?」とつぶやいた様に、"人生への懐疑と絶望"が、この映画の底に重く淀み、単なる謎解きのミステリー映画に終わらせていないのだ。
マーロウ自身も、決して颯爽としている訳ではなく、貧乏で野球が好きで、仕事も何か仕方なくやっているという感じがとても面白い。
そんな虚しい探偵マーロウであるだけに、余計に、最後に見せる彼の人情味というものが、私の胸をグッと突き刺すのです。