作品を通して描かれていること
2021年9月2日 20時26分
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総合評価:
4.0
よくこの映画を評する意見として「ベトナム戦争ではあのように捕虜にロシアンルーレットを強いるというような事実はなかった」とコメントされることが多い。そのため、戦争映画としてリアリティに欠けるというものである。
私は、この映画をリアリティに基づく戦争映画とはとらえなかった。どちらかといえば「地獄の黙示録」などと同様、舞台設定にベトナム戦争を選んで人間というものを描き出そうとチャレンジした作品だととらえた。
前半、延々とアメリカの田舎町の鉄工所で働く若者たちの群像を描いている。その後、舞台が一変して、ベトナムの戦場での惨状が繰り広げられる。映画の後半で主人公らがまた地元に帰ってくる。何も変わらない日常が待っているのだが、ベトナムから帰ってきた人たちの心は傷つき、以前の暮らしとは違った日々が送られることになる。
戦場での暴力的な体験、この映画では端的にロシアンルーレットに象徴して表現されるのだが、それを経て人間がどう傷つき回復していくのか。そういったことを監督は描きたかったのではないだろうか。
登場人物の中には傷つき、回復せずに別の世界に行ってしまう人も描かれている。人間は環境、時代に翻弄されてしまう存在なのだと感じさせられた。
イメージワード
- ・悲しい
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